Just-Ice ～明星の注ぐ理想郷にて～

32.正義の執行者 ＊＊＊

　フェイバルは玲奈の肩に手を添える。突然の出来事に参ってしまった彼女を慮ってか、言葉は贈らなかった。

　重い空気の中、青年の指の通信魔法具が光る。それは彼の師匠・ツィーニアが作戦を終えた合図だった。

　「フ、フェイバルさん。師匠が戻ったようです」

　「……おう。今行く」

玲奈はそこに立ち尽くす。

　「レーナ。気持ちは分かるが、その子のことは後だ」

　「……はい」

三人は荷台から降りると、ツィーニアとの合流を目指した。

　「ご苦労様でした、師匠」

　「ええ。それでムゾウ、どうしてこんなとこに恒帝が居るのか教えてもらっていいかしら？」

　「恒帝殿とこちらのお付きの方は、ギルドに届けられた不審な依頼書の依頼主を追っている過程でこの要塞へ辿り着いたそうです」

　フェイバルは会話へ割り込む。

　「まーそういうことだ。そんで、その横に居る娘は生き残りか？」

　「ええ。彼女はギルド・ギノバスの魔道師。無事だったのは彼女だけ」

　「あの要塞には何人くらい居た？　おまえにしちゃかなり時間食ったみたいだが」

　「そうね、三〇人ってとこかしら。中には食糧まで備蓄されてたから、これからもっと集められる予定だったのかも」

　「中に居たのは全員魔道師か？」

　「ええ。ギルド紋章を確認した。紋章はギノバスと隣町のカポリエテのギルドのものばかり」

ツィーニアは続ける。

　「全員もれなくして訳の分からない魔法にかかってたわ。まるで催眠にかかっているような目をして、でもって凶暴に襲いかかってきた。自分の意志で動いているようには見えなかった」

　「そのことなんだが、俺らは道中でそれを一番良く知る奴に出会ってな。曰く、洗脳魔法とかいう代物らしい」

　「洗脳魔法……聞いたことないけど」

　「あくまで推測だが、誘惑魔法と同じ系譜の魔法だろう。そして誘惑魔法よりも大規模かつ精密に人間を操作できる。そっちに操作対象が三〇人も居たってんなら、いわゆる自動操縦のような機能もあるのかもしれねーな」

　「……その術者はあんたが始末したの？」

　「いや、別の誰かに術者は殺された。まんまと口封じされたってわけよ」

　「はぁ……また物騒な事件に繋がりそうね」

　ツィーニアは地面におろしていた大剣を持ち上げる。軽々と肩に担ぎ上げれば、要塞のほうへ向き直った。

　「この場で考えたって分かるものじゃないし、とにかく今は王都に帰還するわよ。この現場はまた騎士の調査が入るはずだから、事態を知るのはその後でいい」

　「……だな」

　「あんたもちゃんと騎士団に情報を伝えなさいよね。それにどうやら私よりも、その洗脳魔法ってのに興味あるようだし」

妙に含みのある言い方だった。

　「ああ。分かってる。俺に巡ってきた好機だ。無駄にはしねぇ」

ツィーニアは振り向くと玲奈たちへ背を向けて歩き始める。

　「それでは、我々はこれにて失礼します」

ムゾウは二人に一礼すると、慌ててそれを追った。

　玲奈とフェイバルもまた帰路へとく。車の唸るような駆動音だけが場を満たした。

　玲奈にとっては二度目の戦場だった。今思えば、まだ自分は甘かったのかもしれない。彼女がかつて愛した少年漫画のように、何も失わずして戦果を得る世界とは訳が違うのだ。彼女の降り立った世界は、もっともっと残酷だ。

　フェイバルからすればそれは突拍子もない問いかけなのだろうが、玲奈は躊躇わず言葉にした。

　「何というか、どうして人間は争わなくちゃいけないんでしょうか。同じ人間を殺してまで……」

フェイバルはハンドルを握りながら少し返答に困ったような表情をしてから応えた。

　「なんだ。ダストリンの作戦後とはまるで威勢がちげーな」

　「いや、ほんとのほんとに当たり前のことなんですけど、あるんだなって思いまして。その……守りたい人が守れないときって」

　フェイバルはそれとなく、いつかの日と同じ話をした。

　「……前にも同じことを話したな。殺しなんて物騒なものはギルド魔導師の禁忌。それでも俺のもとでギルド魔導師をするのならば、そいつを許容しなければならない事態が必ず訪れる。ただ自由気ままに仕事を受諾し、夜はギルドで酒を酌み交わすだけのギルド魔導師とは、もう住む世界が違う」

　「分かってます……いや、分かってたつもりだったんです」

　「俺はお前の魔導師たる素質に惚れた。お前は俺の魔導師たる矜持に惹かれた、だとか言ってくれたか」

　「……はい、それは今も変わりません」

　フェイバルは黙り込んだ。玲奈は平然と無免許運転を続ける彼の横顔を伺うが、思いのほか真剣な表情をしていたことに気がつく。

　そして彼は、ようやく先程の問いの答えを調達した。

　「……こっからは俺の持論だ」

　「は、はい」

　「正義って言葉あるだろ。人間は誰しもが正義を持ってる。持ってるというか、成長の過程で形成されていくもの、というのが俺の解釈だ」

　「ガキの頃ってのはいろいろあるし、まず自分じゃ何も変えられねぇ。そんときの経験が、そいつの正義を歪ませる」

　「ダストリンのあいつらも、ジェーマ＝チューヘルも。そして俺らも同じだ。誰しもが己の正義を為すために争う。人は殺し合うときは、正義が衝突したときだ」

フェイバルは一呼吸置くと、流れるようにして玲奈の琴線へと触れる。彼には彼女の質問の本意が分かっていた。

　「あの子が殺されたとき、ダストリンのときとは違う殺意を感じた。自らの意志で敵を殺めることは許容できようと、守りたい者を奪われたことに対する殺意は許容できない。都合良く命を区別する自分へ激しい嫌悪感を覚える。違うか？」

玲奈はぎょっとする。図星と認めたくはないが、きっとそれで正しい。

　「そう、かもしれません」

そして玲奈は別れを告げたはずの地球を語った。

　「じ、実は私、王都に来る前はもっと平和な場所にいました。そこは殺人なんてめったに起こらないようなところです。私の中で、人を殺めるということは絶対悪でした」

玲奈は自嘲する。

　「都合良すぎだし、今頃かよって感じですよね。ダストリンではこんな感情にならなかったのに。自分の側に火の粉がかかるときだけ、こうやって取り乱して……」

　フェイバルの話はまたも過去へ遡った。それは彼が玲奈へ、ひとかけらの語弊も無く問いの答えを伝えたかったからだろう。

　「……ただのしがないギルド魔導師の頃、俺は漠然と人を守るためにこの力を奮おうと思った。それで選んだのが、王都マフィアの幹部でも反政府組織の一員でもなく、国選魔導師。その席につくことができれば、最大多数の人間を守れると思った」

　「考えた先に行き着いた席が、たまたま国選魔導師だった。国選魔導師とは大陸の秩序のため最前線に立つ、いわば正義の執行人。俺の正義は大陸の正義であり、またそれは大陸に住まう最大多数の人間と同じ正義。俺が国選依頼で国の害となる人間を殺しても罵声を浴びないのは、そういうことだ」

　「……は、はい」

そして長い前提のもと、ようやくフェイバルは結論を下した。

　「正義のもとの殺しを容認するってわけじゃない。だがこの世界に生きる人間は、誰しもが魔法という名の人を殺める力を持っている。そいつと正義が衝突したのなら、戦わなければ生き残れない。それはただ生物として生存するという意味だけじゃねえ。選んだ正義を貫くことのできる、誇り高き自分が死なないためだ」

　「そして俺たちが正義のもと戦うとき、同時に敵は奴らなりの正義のもと戦う。そこに譲り合いは生じない。互いに何かを失うことはもう必然だ。だから正義を貫くってのは難しいし、何より苦しい」

そのとき玲奈はなぜか、フェイバルの次の言葉が予見できた。

　「難しいし苦しいから、わずかな人間にしか成せない。そして私はそれを今日乗り越えようとしている、と？」

フェイバルは少し驚いたように語った。

　「なんだ。分かってんじゃねーの」

　「話を聞いていてなんとなく分かりましたよ。まあ予想はできても、自分がフェイバルさんの言う正義の執行者として相応しいとは思えませんが……」

　「俺の話を先読みしといてよく言うぜ」

　「……でもフェイバルさんの話で、どこか腑に落ちました。私の正義は、きっとまだ成長途中なんです」

　「ほう。そんなら俺の長話は無駄じゃなかったぜ」

　「私はこの世界で色々な経験をして、少しずつ正義なるものを確立していく。そしていつの日か、自信を持ってそれを執行するときがやってくる。そう信じています」

　「そうか。それはつまり、まだ俺のもとでギルド魔導師を続ける決意があると？」

　「……もちろんですとも。これからまだまだお世話になりますよ」

　「ふーん。なら俺は、お前の言うい（・）つ（・）の（・）日（・）を気長に待つとするぜ」

　夕焼けで茜色に染まる空に、街を囲む高い壁が映り始める。気づけば王都・ギノバスはすぐそこだ。

　少女の亡骸の引き渡しを終えた二人は、自宅兼オフィスへと帰還した。疲れがどっと噴き出した玲奈は、颯爽と自室に籠もってベッドに沈んだ。カーテンを閉めるまもなく目を閉じた彼女の部屋には、温かい月明かりだけが差し込む。

　「正義……ね」

　ギルド魔道師とは、いやフェイバルの言うギルド魔導師とは、想像より遙かに過酷だった。

　思えば今日は、それを嫌というほど痛感させられた。まさに激動の一日とも言うべきだろうか。目の前で多くの命が失われすぎた。たった一言、辛いという言葉だけで表現するには軽薄すぎる。

　玲奈は両手でパチンと自分の頬をはたく。自分の中で折れてしまいそうだった何かが、どうにか持ちこたえた気がした。

　フェイバルは居間の隅で埃をかぶった文通魔法具なるものの前に座った。タイプライターのようなその機械は、入力した文書の送受信を行うことのできる便利な魔法具である。

　慣れない手つきでキーボードに指を置くと、ゆっくりと鍵盤を叩き始める。

　「得意じゃねーんだけど。次があればレーナにやってもらうか」

　ふと机に置かれた額縁立ての中のクアナへ視線が吸われたが、すぐに注意を取り戻した。満身創痍の体へ鞭を打つように公文書の制作へと取りかかる。その宛名は、王国騎士団。

　深夜になって、ようやく打鍵音は鳴り止んだ。慣れないフェイバルにはまさに大仕事であった。男は立ち上がると、クアナの写真が入った額縁立てを手に取る。

　「こりゃーまた、大仕事が入るかもな」　

【玲奈のメモ帳】

No.32　ツィーニア＝？

国選魔導師の一人であり、刃天（じんてん）の名で知られる。フェイバルと同じ二八歳。艶やかな金髪と碧い瞳は吸い込まれそうなほど美しいが、冷徹な性格が彼女を近寄りがたい存在にする。魔法剣・ヘルボルグと魔法大剣・ヘブンボルグの二本の剣を操る二刀流の魔法剣士。