第六章 ハートマークはいらない二人

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 皆にとっては一大イベントなのかもしれないが、少なくとも俺からしてみれば地区総体は季節の行事、そのひとつに過ぎない。壮行式から大会当日まではあっという間で、特にこれといった心境の変化を迎えることなく無事に終了した。

 俺の出場したやり投げは参加人数が少ないこともあり、いつもより少し調子が良いくらいのコンディションだったにも関わらず一位をとってしまった。チームメイトや顧問は、一位という成績に加えて自己ベストを出したことに対して我がことのように喜んでくれたが、俺としてはあまり実感がないまま表彰台に上がった。

 ここで入賞しなければ三年生は引退だ。眞瀬北中に限らず、それらしき選手たちの中には人目を憚らず泣いている人も多かった。県大会の応援に行くから、と涙ながらに伝えてきた先輩も何人かいて、とりあえずありがとうございますと答えておいた。特別嬉しいとは思わない、などとは口が裂けても言えない。

 陸上部は競技が日によって分かれていたこともあり、土日の二日間、丸々参加する形となった。そのため、日曜日のみの開催だった剣道部の応援に行くことは叶わなかった。

 宝井はうまくやれただろうか。大会の最中も、俺は彼女のことが気がかりで仕方なかった。勝ち負けはどうあれ、宝井が定めた目標を達成していれば良いと祈りながら眠り、月曜日が振替休日であることを悔やんだのが今朝のこと。疲れを癒すための休日なのだとは理解していても、それ以上に宝井の結果が気になってしまう。こんな雑念まみれの奴が一位になるべきではないなと、何度も内心で自嘲した。

 休日が重なったということもあり、今日は功一の家に集まることとなった。いつもは自宅に人を招きたがらない功一だが、この日は兄が学校に行っているから、と言って珍しくたまり場にすることを許してくれた。功一の兄さんは高校生で、俺たちにもよく構ってくれるけれど、功一自身はそんな兄のちょっかいを鬱陶しがっている。いちいち嫌がる素振りを見せるから余計に構われるんじゃないか、と指摘したいところではあるけれど、余計な口出しをして機嫌を損ねられたら困る。喧嘩にはならないが、よく信也が小突かれているのを見ているので同じ轍は踏みたくない。地味に痛そうなんだよな、あれ。


「いや~、二人ともお疲れ、あとおめでと。揃って県大会出場とはめでたいなあ」


 ごろりと寝転がりながらねぎらいの言葉をかけるのは信也。休日、かつ気心の知れた幼馴染が相手ということもあってか、いつもならセットされている前髪は下りきっている。

 対する功一はというと、テレビに視線を向けたまま、ん、と上の空な返事をするばかり。画面には、剣道の試合の様子が映し出されている。何でも、一週間以内に総体を終えての作文を提出しなければいけないらしい。功一も県大会に出場するとのことで、練習の時間を割くくらいなら振替休日で終わらせてやる、と気を吐いている。この幼馴染は、剣道に対するやる気だけは十分なのだ。

 つい先程聞いたことではあるが、信也の所属するバスケ部は敗者復活戦で辛くも敗れ、県大会への切符を手に入れられなかったという。何かと軽薄な信也でも悔しさはあるようで、あと少しだったんだけどなあ、と呟いた。


「新人戦までそんなにないってのはわかってるけどさ、やっぱり先輩らがいなくなると寂しいもんだな。新しい部長とかも決めなきゃなんねーし……あー、まだ後輩でいたかったわ」

「こっちも代替わりはしなきゃだから、そう言うなよ。今度はお前が県大会に連れていってやれば良いだろ」

「大地ってたまに無茶言うよな。俺が部長になるかわかんないのにさ~。お前らは確定事項なんだっけ? 大変そうだな」

「確定してるのは功一だけじゃないか? 陸上部はまだ決まってないよ。俺、部長って柄じゃないし」


 またまた、と信也は揶揄うが、本当に部長になる気はない。陸上部は剣道部みたいに実力主義な気質じゃないし、人数だって足りている。だったらやる気のある奴や、リーダーシップのある奴に任せるのが妥当というものだ。

 既に次期部長であることが決まりきっている功一はというと、こちらの会話に混ざることなくテレビに釘付けとなっている。せっかく集まったのに、ずっとこの調子だ。何周目になるかわからない自分の試合を、食い入るように見つめている。


「功一は個人戦なんだっけ?」


 信也とばかり話しているのもなんだかなあという感じだったので、功一にも話を振ってみる。今日の功一は機嫌が良いので、いつもより多めに絡んでも嫌な顔はしない。


「ああ、県大会に出る奴は皆個人だ。団体はダメだった」

「何人くらい出るんだ?」

「俺と服部先輩だけ。今回は同門対決……同じ学校の奴同士で当たることもあったから」

「あれっ、英里奈は? すげーやる気出してたじゃん」


 てっきり男子の話だけかと思ったので後から話すのだろうと踏んでいたが、実際は信也が受け取った通りのようだ。功一はふるふると首を横に振る。


「鷲宮は三回戦で敗退。当たったのが今回優勝した奴だったから、こればっかりは運だな。そいつ、二回戦で宝井のことも負かしてたし、うちの女子はほぼそいつにやられたようなものだ」

「ノーメンちゃんなら仕方ないんじゃね? 災難だったなあ、英里奈も。向こう一週間は近寄らない方が良いか」


 ああおっかない、と信也は大袈裟なリアクションを取ってみせたが、それよりも俺は問い質したいことがあった。


「二回戦って……もしかして宝井、一勝したのか⁉️」

「そうだけど……なんでお前がそんなこと気にするんだよ」

「大地、ノーメンちゃんにお熱だからな。気になって仕方ないんじゃねえの?」

「いや、前に公式戦で勝ったことないって聞いてたから。それでびっくりしただけだよ」


 いくら幼馴染といえど、放課後や休日に宝井と会っているとは言い出せない。何より、宝井がそれを望まないだろう。

 以前に聞いた話を持ち出して誤魔化せば、功一は合点がいった、というような顔をした。おもむろにリモコンを手にすると、ボタンを押して映像を巻き戻す。


「斜め後ろでやってるのが宝井。俺らに比べたら弱いけど、今回の試合に関してはなかなかやると思った」


 功一の指差した先では、二人の女子が向かい合っている。ピントは合っていないが、動きを見るのに不都合はない。

 背中に白いたすきを着けた方が宝井だろう。相手の選手は背が高く、何度も宝井に攻撃を仕掛けている。審判が旗を上げかけることも度々あったが、なかなか一本にはなりきらないようだ。果敢に攻めかかっているのも、技が決まらない焦りから来るものかもしれない。

 鍔迫り合いに持ち込まれる。宝井は押し込められそうになりながらも、どうにか踏ん張っているといった様子だ。体格でもそうだが、力も相手の方が上なのだろう。このままでは試合場から押し出されてもおかしくはない──自然と、握る手に力がこもる。

 鍔迫り合いでは不利だと感じたのか、宝井が面を打って後方に下がる。その後を追いかけるように、相手が踏み込んだ。面を打ち込むつもりなのだろう──小柄な宝井が相手だからだろうか、先程から面ばかり狙っている。

 振り上げられた相手の腕。そのまま宝井の頭に向かってぶつかる──よりも先に、宝井が動いていた。

 宝井の小さな体が、相手の懐へと潜り込む。あっと声を上げる間もなく、宝井の持つ竹刀は胴を叩いていた。そのまま速度を落とさず、宝井は真っ直ぐに突き抜ける。白い旗は三つとも上がっている──一本だ。

 相手選手は目に見えて動揺している。声こそ上げなかったが、のろのろとした動きで背後を振り返り、そして全てを察したらしい。一言も発することなく、静かに持ち場へと戻ったが、その背中からは隠しようのない絶望感と焦燥がにじみ出ている。

 再び向かい合う二人。お互いに竹刀を構え、真っ向から対峙する。審判たちが動きを止め、旗を下ろした。

 ──瞬間に、宝井が飛び出した。

 例えるならばロケットだ。何も履いていない素足は体育館の床を蹴り、正面に立つ相手の面を叩く。再び三つの白旗が上がり、勝負は決した。

 これが、宝井の試合。俺は言葉を失った。こんな戦い方をするのだと、初めて知った。


「……ノーメンちゃんって、こんな素早く動けんだな……」


 これにはさすがの信也も驚いたようで、覇気のない声で感想を漏らした。体育の時の宝井は常にボールから逃げていたり、影に隠れたりしているから、勝者となった姿はリアリティーがなかったのだろう。

 なるほど、これなら功一も認めるはずだと思う。功一は無愛想で人付き合いに対しては我関せずといった様子だが、剣道になると目の色が変わる。宝井を実力者として認めるまではいっていないが、少なくとも彼女の勝利を純粋に称賛しているようではあった。


「最近の試合で、ここまで真っ直ぐぶち抜く奴は久々に見た。宮城の真金埼まがねざきの攻めに似てる、気がする。だいぶ荒削りではあるけどな」


 こういう時、功一は口数が増える。心の底から興味を持っている、という訳ではなさそうだけど、女子に対しては基本的に鬱陶しそうな顔をしている功一にしては珍しい表情だ。話の内容はよくわからないので、俺と信也は揃って首をかしげるしかないのだが──まあ、功一が楽しそうなので良しとしよう。


「宮城の……なんだって? 俺らにもわかるように話してくれよ」

「宮城の真金埼。全国にも行ってるすげえ選手。今年から高校生だから、当たるまで良くても二年はかかる」

「ふーん、要するにとんでもなく強い奴ってことね。功一が他人に興味持つとか珍しいじゃん、もしかして憧れてる?」

「どうだろう、倒したいとは思ってる。難しいのはわかってるけど、だからこそ打ち負かしたい。ビデオ見るか? 真金埼の」

「なんで見ず知らずの奴のビデオ見なきゃなんねーんだよ。俺はパス」


 信也ににべもなく断られ、功一が頬を膨らませる。無意識でこういうことをするから未だに子供扱いされるのだろうが、これ以上拗ねられたくないので俺たちは何も言わない。代わりに、俺から質問を投げ掛ける。


「その人とは当たったことあるのか? 宮城の人なら、公式戦ではなかなか会えないと思うけど……」

「ああ、合同練習で何回か会ったことはある。地稽古で当たったことはあるけど、試合したことはない。あっちは大将で、俺は先鋒のことが多いから。……それに、真金埼と当たるって思うと、少し緊張して、話しかけづらくなる」

「へえ、功一って緊張するんだな。中学入ってからは全然そんな感じなかったのに」

「当たり前だろ。馬鹿にするな」


 信也と功一のやり取りを聞きながら、俺は話題に挙がった真金埼なにがしが宝井の背を押した人物ではないかと推測する。青葉城址で話した時、合同練習で会った人だと宝井が言っていた。

 今まで誰にも期待されず、鷲宮に叱責されるばかりだった宝井。彼女の可能性を潰さず、向き合ってくれたという、宝井いわくすごい人。

 僅かながらではあるが、彼のおかげで信也と功一は宝井への認識を改めている。顔も知らない相手ではあるけれど、俺は真金埼に感謝を伝えたかった。この調子で、宝井に対する風当たりが弱まってくれたらと、心から思う。


「おい大地、何ぼーっとしてるんだよ? せっかく集まったんだからさあ、もっと休日らしいことしようぜ。お前らは県大会もあるんだから、休める時に休んどかないと」


 退屈そうな顔をした信也につつかれ、俺の意識は引き戻される。何だかんだ言ってはいるが、信也とて新人戦に向けた練習で忙しくなるだろう。女性関係についてはろくでもないところのある幼馴染みだが、こうして言葉を交わしていると昔と変わらない部分も再認識させられる。功一が剣道の話をしていると、よく俺に助けを求めてきていたっけ。

 懐かしい気持ちになりながら、俺は信也の方に体を向ける。ずっとこんな風に遊んでいられたら良いのに、という本音は、胸の内にしまっておいた。

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