第二章 放課後の自己主張

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 今日も白々しい程『普通』だ。

 天神さんで宝井と言葉を交わしてから数日。それ以降、俺に対する宝井の態度が変化した──などということはなく、相変わらず必要最低限の会話しかせず、昼休みになるとふらっとどこかへ消えてしまういつも通りの宝井だった。俺ばかりが変に意識しているようで、何となく悔しい。……宝井と張り合っている訳ではないから、俺の勝手な思い込みではあるのだろうけれど。


「功一」


 給食のトレーを手に、功一の席に近付く。今週は当番でない無愛想な幼馴染は、普段浮かべている仏頂面を幾分か和らげて俺の方を見た。

 俺は体質的に缶詰のパイナップルが苦手だ。食べると腹痛を起こして、しばらく動けなくなる。そのため、時たまに給食で出るデザートは功一にあげることにしている。小さい割に食い意地が張っている功一は、食べ物がもらえるとわかると目に見えて機嫌が良くなる。良い意味で単純なのだ。

 食べ物ひとつで喜ぶ功一のことを、信也はよくからかう。お前って本当に単純だよな、とあいつに笑われる度、僅かに頬が膨らむこともあるかもしれない。口に出さなければ良いのに、と思わないでもないが、信也は功一のそういうところが可愛くて仕方ないのだという。じゃあ彼女にも構ってやれよ、と言いたいところだが、口さがない野次馬と同じにされたくはないので黙っておく。

 おう、と朝に比べたらずっと弾む声で、功一はデザートの入った小鉢を受け取る。見れば、一人一個と決められているはずの豆腐ハンバーグも半分増えている。


「それ、信也か? 珍しいな」


 食べ盛りの中学生は、基本的に主菜メインディッシュを他人に分けることはない。いくら仲が良くとも食べ物に関しては別、といったスタンスなのだ。運動部に所属する生徒が大多数を占めていることも関係しているだろう。

 何かにつけて功一を可愛がって(そして本人には鬱陶しがられて)いる信也ならあり得るかな、と思ったが、当の功一は首を横に振った。


「いや、これは大野だ。ダイエットしてるらしい」

「大野が……肉ならともかく、豆腐は太らなそうだけど」

「どんな理由だろうが、もらえるなら何だって良い。女子は仲間内だったり、比々野ひびのみたいなおとなしくて逆らわなさそうな奴にあげたりするのが多いから、今日はラッキーだ」


 主菜を分けてもらえた功一は上機嫌だ。いつもより口数が多い。

 大野は功一と同じ班なので分けやすかったのだろう。今は当番の仕事をしているらしく、白い給食着に身を包んで食缶の片付けをしていた。

 大野を見ると、どうしてもこの前の信也が思い浮かぶ。今のところ二人はまだ別れていないようで、少なくとも大野の様子に変わりはなかった。どことなくぎくしゃくとして、大野の方はあれこれと不安を抱いている状況。

 しかし、その不安が杞憂ではないと俺は知ってしまった。交際しているいないははっきりとしないが、信也と猫屋敷の距離感はクラスメート同士のそれではなかった。今の大野に対する態度とは、全然違う。信也は、猫屋敷に乗り換えようとしているのだ。

 このことは、まだ誰にも話していない。話せる訳がない。大野に伝えるなんて論外だし、信也を注意したところで俺は部外者だ。功一に話すのもなんだかなあという感じだし、そもそも俺は事を荒立てたくない。ただ、信也には誠実にあって欲しい。そして、なるべく大野を傷付けないでやって欲しい。それだけのことだ。

 先程、功一が挙げた比々野の席を見る。ずんぐりとした体格の比々野は児備嶋出身の男子生徒で、いわゆるオタク系として同類の生徒と集まっていることが多い。クラスでのヒエラルキーも低く、『格上』のクラスメートから事あるごとにいじられている印象が強かった。

 そんな彼は体格に見合った食べっぷりということもあり、給食の時は普段馬鹿にしてくる女子からも頼られている──というか、一方的に減らしたいおかずやら何やらを押し付けられている。本人に嫌がる素振りはないが、ほとんど強制的に食べる量を増やされているのはどうかと思う。


「比々野ぉ、サラダあげる。あんたならヨユーで食えるっしょ」


 そして今日も、比々野はクラスの中心にいる女子──この時たまたま目に入ったのは元木だった──から、サラダをどばっと勝手に盛り付けられていた。

 比々野が、あっ、へへ、あは、などと単語にならない挙動不審な笑いを返している間に、元木はさっさと自分の席に戻ってしまう。力関係が一目でわかるやり取りだった。

 こういった押し付けは日常茶飯事と化しており、教員が注意することはない。残飯が少なければそれで良い、という姿勢なのだろうか。

 いつまでも功一の班にいる訳にもいかないので、俺はトレーを持って自分の席に戻る。給食は班のメンバー同士で机を縦長にくっつけて食べるのが眞瀬北中の伝統、というか常識だ。隣の席である宝井は、ちょうど真正面に座って食べる形になる。

 その宝井だが、まだ席にはついていない。どこへ行ったのだろう、とつい視線が動く。

 宝井は当番ではなかったはずだ。昨日──というか、ほとんどの日は俺が席に戻った時点で着席しているのに、珍しいこともあるものだと思う。


「どーしたの、磐根君。何か探し物?」


 行き来するクラスメートの中に宝井がいないものかと探していたら、急に声をかけられた。反射的に顔を向けた先には、頬杖をついてにへらと締まりのない笑顔を浮かべる男がいる。

──なるほど、合点がいった。


「いえ、何でもありません。賑やかだなと思って」

「そーお? そんなのいつもじゃない。先生、磐根君が何か新しい発見でもしたのかと思ったんだけど……気のせいかあ、そっかー」


 俺と宝井の縦向きにくっつけた席、そのちょうど真ん中に中心を据えるような形で、いわゆるお誕生日席のように突出した机がある。そこに、そいつは座っていた。

 副担任の秋月あきづき。今年赴任してきたばかりの教師で、担当は社会科。地歴公民、全て担当するらしい。

 中年の教師が多い眞瀬北中には珍しく、秋月はアラサーに差し掛かったばかりの、少なくともうちでは若いと分類される年齢だった。だからといって何に対しても精力的エネルギッシュだったり、生徒との距離が特段近かったりする訳ではない。お世辞にも良いとは言えない疲れきった顔色と飾り気のない銀縁眼鏡、何となく前屈みな猫背気味の姿勢などといった見た目から、生徒たちに『社畜先生』という不名誉なあだ名を付けられてしまった可哀想な人だ。実際に社畜のような労働環境下にいるのかは不明だが、服装が若干よれたモノクロのスーツか芋っぽいジャージかの二択しかないことも起因しているのだろう。他人の容姿についてとやかく言えた立場ではないが、全体的に冴えない印象しかない。当然、女子生徒から懐かれることもなかった。信也いわく、不潔ではないしまあ若いけどイケてないよね、というのが猪上たちの評価らしい。手厳しいものだと思う。

 その社畜先生こと秋月は、日替わりで各班の生徒と共に給食を食べる。今日は俺たちの班に来ていて、何とも言えない笑いを浮かべて俺たちを観察している。あまり積極的に生徒を叱ることはない上に、給食中は担任の木下が席を外すことが多い(秋月がいるからだろう)ので、二年生になってから給食の時間はさらに混沌と化した。

 素なのか意図して振る舞っているのかはわからないが、秋月は意外と口数が多い。先程のように突然話しかけてくるのはいつものことで、上手くかわせなければそこからだらだらと雑談が始まる。一般的な中学生相手だとげんなりするような、中身のない話や授業から脱線したうんちくのような話がほとんどだ。ダル絡み、と言えば良いのだろうか。その話いつまで続くんだよ、と言わんばかりの目を向けられていることは少なくない。

 無口な宝井のことだ、秋月に絡まれるのを避けて席を外しているのではないだろうか。俺はそう憶測した。秋月の手前に座っている俺たちは、ダル絡みの標的ターゲットにされやすい。鷲宮のお説教と同じように、姿を眩ませているのだろう。俺はこの時まで、そう考えていた。


「──いらないっつってんだろ、舐めてんのかよ!」


 騒がしかった教室が、一気に静まり返る。

 皆の視線が、一点に集中する。俺も思わず、皆と同じ方向へ顔を向けた。

 比々野が真っ赤な顔を引きらせ、肩をいからせている。いつも挙動不審に笑っている姿からは想像もできない怒り様だった。

 その比々野が睨む先には、一回り縮んだようにも見える宝井が棒立ちになっていた。うつむいているせいで長い前髪が目にかかり、表情を読み取ることはできない。両手でお椀を持っていたから、クリームシチューをどうにかしたかったのだろうと辛うじて予想できた。

 二人はそれ以上言葉を交わさなかった。俺のいる場所からは聞こえなかっただけで、宝井はぼそぼそと何か言ったのかもしれない。だが、比々野はすっかり気色ばんだ様子で、宝井との会話を望んでいないように見えた。

 教室にざわめきが戻ってくる。特に、女子の甲高い声はよく耳についた。

 何、あれ。

 比々野がキレるとか、珍しー。

 やば。

 てかノーメンちゃん、何したの?

 かた、と椅子を動かす音がした。いつの間にか宝井は戻ってきていて、何事もなかったかのように着席していた。お椀には、まだたっぷりとシチューが入っている。

 宝井、と声をかけようとした。あいつの助けになりたいと、打算なしに俺は思った。


「──秋月先生、」


 だが、一歩先に、宝井は視線を逸らしている。

 首だけを動かして、宝井は秋月に呼び掛けた。小さい声だったけれど、向かいに座っているのではっきりと聞き取れた。

 一人称は『先生』の癖に、まだ呼ばれ慣れていないのか、秋月は一瞬きょとんとしていた。……が、すぐにへらりと相好を崩し、なーに、と気の抜けた返事を寄越す。先程、比々野に怒鳴られていたところなど見ていませんよ、とでも言いたげな顔つきで。


「すみません。量が多いので、もらっていただけませんか」

「あー、なるほどね。いーよいーよ、先生シチュー好きだし。空いた器に移した方が良さそうかね」

「……ありがとうございます。わざわざすみません」

「いーって、気にしない気にしない。先生、器取ってきちゃうから。宝井さんは座って待っててね」


 鷲宮に対しての謝罪に比べると、ずっと申し訳なさそうだ。やっぱり以前のやり取りにはひとつも思いがこもっていなかったのだな、と今更ながら実感する。

 宝井への好奇の視線は、未だ注がれたままだ。猪上たちはもちろんのこと、茜ヶ淵の女子グループもちらちらとこちらを見ている。背中越しにあいつらの目線が刺さるようで、居心地が悪い。


「──エンコーみたい、あいつら」


 誰の声か、判別はできなかった。でも、俺の耳にはしっかりと届いた。

 振り返り、辺りをさりげなく見回す。固まっていた女子グループは散開し始めている。今から確認するのは難しい。

 宝井に対する、好奇と悪意。否が応にも感じさせられて、俺は思わず唇を噛んだ。

 お待たせー、と戻ってくる秋月の声が遠い。いつも通りの景色なのに、薄いフィルターを隔てているように、何もかもがよそよそしかった。

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