誠実 二〇二〇年 十月三十一日 ⑤

「勘違いしてるって、どういうことだよ?」

 一時停止されたテレビ。セックスを終えた男女。夏彦の部屋で食べたパスタが口の中に、まだ残っていた。

「だから、健太郎がどうして通らないのかの理由」

 拓実の知っているような口ぶり。怒りこそないが、数時間前の冷や水を浴びせるような叱責と同じだ。拓実の胸元に手が伸びたときと、同じ感情が込み上げてきた。俺がここに戻ってくるまでに考えてきたこと、拓実に伝えたことは無駄だったというのか。それだけならまだいい。ここにいはいない、大切な人の選択までもが否定された気がした。

「こうした方がわかりやすいか」

 棚から何冊か本を取り出し、俺の前に置く。面接対策などで使われる想定質問集だ。

「僕が学生役ね」

 拓実が手本を見せるということだろうか。思えば、同じ部屋に住んでいるのに、面接官で見せる顔をお互い知らないままでいた。寮生活での顔と、大学での顔の違い以上に、ここで相手に自分を見せることへの抵抗があったからだろう。俺がそうだった。

 腰を下ろした拓実が体を向ける。質問集はパラパラと捲っただけだが、大きな質問は経験則からおおよそ決めていた。そもそも面接では幹にあたる大きなテーマから、複数の関連した質問に枝分かれすることがほとんどだ。だから拓実が話す内容によって、面接官側にも柔軟性が求められる。そういう意味では、この想定質問集は役に立つ場面は限定される。

「じゃあ始めるぞ」

 なすがまま拓実の提案に乗っかったが、始める前の時点で俺はいくつかの疑問を頭に抱えていた。

 まず、手本を見せたところで一体何の意味があるのか。一人一人話すことは違う面接はあくまで一つのサンプルにしかならない。そこから何を学び取ればいいというのか。

 さらに、拓実の面接を面接官役の俺は、一体どう評価すればいいのか。逆に言えば、それを知らないから、選考を通過できていないということなのか。

 最後に、俺は何を勘違いしていたのか。

 拓実はそれらを直接的ではなく、間接的に説明した。

 そして、疑問は全て頭の中で爆散した。

『周囲と協力して目標を達成した経験を教えてください』

『バイトリーダーを務めたレストランで、関東エリアのお客様評価一位を達成したことです。当初新人研修で学んだことが活かせておらず、従業員の学習内容、レベルに差がありました。また、他のベテランスタッフが新人のカバーをすることが、全体の業務を滞らせ、お客様から不満が発生しておりました』

『バイトリーダーとして何をなされたのですか?』

『新しいマニュアルをホール、キッチンにわけて作成し、また研修完了項目を作成し、達成率を可視化できるようにしました。本部の教育担当者に持ち込んで許可を頂き、そのマニュアルを新人教育に活かしながら、新人スタッフからの意見を取り入れ毎回改善を講じました』

『あなたの取り組みで周囲はどう変わりましたか?』

「最初は二段階の研修で新人のモチベーションに差がありましたが、こちらの方がわかりやすいという声も多くいただきました。ミスの数が減少し滞りなく業務が行えることで、お客様に質のよいサービスを提供することができました。その結果、上半期では関東エリアのお客様評価一位を獲得することができました」

 目の前にいる拓実は、全く別人の歴史を、あたかも自分のことのように話した。

「他人になりすますことが……、その人本人のことを話すのが勘違いなのかよ?」

『あなたらしさが最も発揮できたエピソードを教えてください』

『文化祭の渉外担当として各学年をまとめ、前年以上の働きができたことです』

『ミスを減らすためどのような取り組みをしましたか?』

『前年の引き継ぎ資料を全体で共有して、同じミスしないように実行委員で徹底しました。また、他大学の渉外局と連絡を取りながら、事前のミスを確実に潰していきました』

『入念に準備されていたようですが、当日で予想外なことはありましたか?』

『警備局の警備を一部担当したことです。ステージ企画で人が集まりすぎたため、周りのブースの道が塞がっており、各日の夕方に警備局の人手が不足する状況でした。渉外局は当日の来賓対応が主な業務でしたが、事前の準備で人員に余裕があったため警備局から警備の一部を頼まれました。副局長はじめ実行委員全員が優秀だったため、私も最終日は渉外局の方を任せる事ができ、結果的に事故もゼロに抑えることができました』

「答えろよ拓実!」

 喉が首回りいっぱいまで大きくなったと錯覚するほど、大きな声が響いた。前のような怒りではなく混乱が、唾を遠くに飛ばした。

「部分的にはそう……かな」

 肯定した拓実はすっと姿勢を伸ばしたまま崩れない。

「健太郎ってさ、自己PR……いや、自分のことを人に話す作業が苦手でしょ」

 顎。

 に、数時間前のパンチを越えるアッパーが入った。

 誰にも話したことがなかった。一番知られたくなかったこと。

「だったら、わざわざ自分のことを話す必要はないんじゃない?」

「え?」

 最初、何を言っているのか、わからなかった。

「ずっと思ってたんじゃないの?滑らかに聞こえる自己PRがものすごく嫌いだ、って。だから、自分で話すのも、どうしても嫌悪感が拭えない。だから淀む。滑らかな論理ではなく、どろどろした聞こえの悪い、ぐちゃぐちゃな道、だから落とされる。当たり前だよね。面接官は、健太郎のそんな心理なんて一ミクロンも気にしていない。面接官が見ているのは、滑らかな論理なんだから。自分とは全く違う他人のことを話すなら、健太郎の心は痛まないでしょ。だってこれは、自分自身の要素を排してるんやから」

「苦手だから、拓実のやり方でっていう発想に、どうしたらなるんだ。みんな面接なんて嫌いだよ。やってらんねえって思ってるに決まってるよ。それでも頑張ってるんだぞ!」

 それに、自分の面接で自分を否定するようなことは、絶対にしたくなかった。

「いや、それは違うやろ」

 と、拓実が否定する。

「面接官に話すまでの間に、自分のことを大きく見せる過程を絶対にしてるやん。健太郎もしてるはず。でも僕はそれがいけないとは思わん。例えるなら……そう、綺麗になる目的のために、メイクをするか、整形をするかぐらいの差。知らなければ、本人以外誰も気にならへん。別に誰かに不利益を与えてるわけでもないんやから。あと、面接官が見てるのは、やっぱり滑らかな論理だけだよ。経験として、僕が保証する」

「経験として……」

 それはつまり、拓実は面接を他人になりすまして受けていたというのか。

「だから、落ちたから自分自身が否定された、とか気にするだけ無駄よ。ていうか、今時すっぴんで会社に行くやつはおらんやろ?わかる?ほら、なんか学校の校則とかでさ、疑問に思ったことあるやろ?化粧はダメ、とか。でもさ、化粧なんて高校生にもなれば当たり前やん。ESとか面接は、そういう能力も見られていると思うんだよね」

 滑らかな論理。メイクか整形。以前、大樹たちがいたときも拓実は似たような事を話していた。俺がどうして選考に通過できないのかを考えていたように、拓実も前から考えていたことを俺の前に差し出したのか。

 思えば、グループディスカッションの時も、役割を各々演じること自体は、咎められなかった。 

「じゃあ、拓実は胸を張って『自分は受かるべくして受かった』と言えるのか?」

 自分の結果に、納得して、社会に出ることができるのか。

「言えるね。逆に健太郎はどれだけ調べた?さっき言っとったよな。自分の長所は?短所は?家族や友人からはどう思われてる?一番の挫折経験は?企業のビジネスモデルはどれだけ調べた?競争企業は?業界は?直近三年でやってきた成果は?今後の展開は?これまでの選考の間にどれだけ調べた?それを面接官の前で話すことをどれだけ想定した?どれだけ話す練習をした?どれだけ疑われることなく滑らかに話せた?僕はたとえ落ちたとしても、最後まで誠実だったと自信を持って断言するよ」

 運だけで通過したわけではないということか。見えないところできちんと努力していた拓実は、俺よりも就職活動に真剣だった。

「そうか……」

「僕からはそれだけ。健太郎がやるなら協力する。その代わり徹底的に、だよ」

 勿論、断るはずだった。どれだけ胸を張ろうが、それとこれとは話が違う。

 だが――、

「考えさせてくれ」

 俺の口からは、保留の返事がひっそり漏れた。

 どうしてなんだ。頭を抱えるまでもない。決心はついているはずなのに、どうしてこれほど悩まされるのか。

 沈黙を破るように映画の続きが聞こえてきた。

『二つ人生があれば――、』

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