誠実 二〇二一年 四月一日 ①

    二〇二一年四月一日

    東京都感染者数四七五人

 

 社会人の門出を祝福するような天気だった。都心の最高気温は二十度を超え、去年と同様、観測史上最も早く桜が開花した。

 雅也さんたちは新しい環境で上手くやれているだろうか。そんなことを考えながら、駅から寮までの帰り道を歩いていた。

 海を越えたアメリカでは第二次世界大戦の死者数を超えたものの、ワクチンのおかげで第三次世界大戦の様相を呈した対ウイルス戦も、あと一歩のところで人類が勝利宣言の兆しが見えた。相変わらず、どこもかしこもワクチンデマや、コロナデマは噴出しており、それを虱潰しに、現実、SNSを問わず、各所で戦い続ける人たちがいる。

 今年度、うちの大学の入学式は、一、二年生合同で行うそうだ。式は数日先だが、真子の妹をはじめ、新しい門出を迎える一、二年生達の生活が少しでもよくなることを願うばかりだ。

 オリンピックも七月に開催されるようだ。ワクチンが普及すれば、オリンピック開催までとは言わなくとも、秋には以前の生活に戻れるかもしれないという展望が、体を軽くする。

「健太郎!」

 前方から聞き慣れた声がした。拓実と、その隣には真子。前に集団で遊んだことは何回かあったが、付き合ってから二人が並んでいるのを見るのは新鮮だった。「不倫?」とふざけて訊いてみる。

「実はそう……ってなわけあるか!そもそも自分ら結婚してないやろ!」

「次受ける面接が、拓実くんがインターン行ってたところだったから、資料とか、メモとか急ぎで貰いに来たの。写メの代わりに寮まで来たのは、健太郎の顔を見に来たんだよ。ついでに」

 ついで扱いをされた……。がっくりと握っていた鞄を地面すれすれまで提げ、悲しい振りをする。

「てかその恰好、面接?まだ続けてるんだっけ?」

 真子が形のいい顎で、くいっとスーツを指した。

「うん。内々定はいくつか貰ったけど、選考進んでたやつは、最後までやりきりたいから」

「真面目だね~。あと一年しかないのに」

 俺だって、残された時間で遊び尽くしてやりたい。やりたいことだって沢山ある。飲み会とか、バーベキューとか。この時期なら、どこかで集まって花見でもして騒ぎたい。

 でも、それよりも今は、やるべきことがあるんだ。

「そうだ。みんなの進路が決まったら、また車借りて遊び行こうよ。泊まりでさ」

「ええやん」

――また遊びに行くよ。就活が終わったら、今度はみんなを連れて。

 二人の会話が以前、夏彦とした約束を思い出させる。学生だった頃の夏彦とした、最後の約束。内々定の連絡をしたら、研修の様子を撮った写真と一緒にすぐ返信がきた。

「それなら――」

「いいところがあるんだ」と言い切る前に、誰かの着信音が遮った。真子が顔を切って少し離れた場所で電話に出る。

「あっ、実果!今ちょうどよかった!あのさ――」

 実果、と真子の口から訊くのは久しぶりで、顔を思い出せなかった。たしか、いつも高いヒールを履いていた子だ。そのくせ、よく転ぶんだっけ。

「今日のところは、どうやった?」

 俺の肩に、拓実がいつもの調子で腕をかけてきた。

 いつもの確認だ。

「ほぼ……いや、全部そうだったよ。他と変わらない」

 二人にしか通じないやり取り。

 その度に、全身が重力に負けそうになる。

 だが、もう諦めていた。

「ごめんごめん」と、電話を終えた真子が戻る。

「もうええの?」

「うん、よくわかんなかった。実果ってほんと慌てると意味不明でさー。どこかの企業が動画をネットに流出させちゃって大変らしくて。とにかく、その動画を送るからー、って。あ、きた」

 迷惑な企業だな、と俺は巻き込まれた他人に同情しながら、前に送った自己動画について今日の面接で訊かれたことを思い出した。

 毎度のことながら、腹が捻れるほど傑作だった。


 私の長所は――、


『私の長所は――、』

 

 勝手に声が出たのかと思った。けど、その方がずっとよかった。誤魔化しようがいくらでもあったから。

 俺が着ているのと同じ色のスーツ、同じネクタイ。

 が、真子のスマホに映っていた。

 背景は三年以上過ごしてきた部屋の二段ベットとアイボリー色の壁。

そして――、


『――目標に向けた努力を継続的に行い、絶対に結果で応えることです』


 同じ声。顔には薄いモザイクが掛かっているが、しばらく会っていなかった実果がで判別できたのだから、二人ができないわけはない。


『私は塾講師として、担当した生徒全員を第一志望合格に導きました。一年目での反省から、二年目では塾長含め、講師でミーティングを開き、二点の改善を行いました。一つ目は生徒個人個人の合格ロードマップを設定することです。受験当日までに何をすれば合格できるのか、生徒と講師の相互理解が取れておらず、生徒の意欲低下に繋がっていました。そこで、講師全員で協力し作成することと並行して、各生徒に合わせた講義、問題集の選定を行うことで、去年担当したクラスよりも偏差値が全体で五、上がりました。二つ目は小テストの復習です。苦手分野の克服のために三つの難易度に合わせて小テストを作成していたが、全体的に小テストと同じ問題を模試で間違えていることがわかった。そこで、小テストを行う際に、以前の小テストで間違えた問題も出題することで、間違いを徹底的に潰していきました。結果、他校の塾よりも偏差値が大幅に上昇し、担当生徒全員が第一志望校に合格できました』


 「どうして……」

 間違いなく俺が課題としてアップロードした自己PR動画だ。本来、これを視れるのは、俺のパソコン上か、アップロード先の企業だけだ。ウイルスに引っかかったのかそれとも――。

 だが、ここで一番問題なのは、動画に映っているのが俺ではないということだ。

化粧どころの話ではない。骨格を変え、見違えるほどの姿形に変貌した存在しない誰か。

 誰も死んだように動かない。

 太陽が厚い雲に覆われる。目の前が真っ暗になった。 


『私自己PRは以上です。ご清聴ありがとうございました』

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