誠実 二〇二一年 一月二十九日 ①

    二〇二一年一月二十九日

    東京都感染者数八六八人


 腹立たしさを込めた足取りで東京駅にへ向かいながら、電話口の相手を待つ。俺がさっき出たビルからの電気は、暗くなりはじめた風景に一色の光を灯していた。働いている人の下には必ず電気が灯る。俺がこのまま真っ直ぐ寮に帰って飯を食べ終えても、あのビルの室内照明は消えないだろう。

 ビルの影から吹き込まれる季節風は、耳をじんじんと打つ。着信音が切れた瞬間、相手が『もしもし』と言う前に、すかさず今日全部の苛立ちをため息に溶かして吐きつけた。

「『はあああああ~』って、お前は恋する女子高生か!」

 威勢のいい声に、さっきまで経典にも負けない文字量で頭の中を回っていた恨み言が一瞬で吹き飛んだ

「えっ。女子高生?」

「女子高生がため息つくのは、恋してるときって決まってるんや!ほんとやで!」

 電話口の相手――拓実は時々、呆れるほどしょうもないことをとっさに言い出す。

「そういう決め打ちはよくねえよ」

「それで何か用?」

 拓実がひらりと躱し尋ねると、ホットケーキの気泡のように不満がまた浮かび上がってきた。

「今日の面接、手応えがあんま無くてさー。落ちたっぽいわ」

 十一月に通ったインターンシップ、その通過者限定の早期選考が今日だった。しかも珍しく一次面接から対面だったので、気合いを入れて意気揚々と電車に乗り込んだが、あえなく撃沈させられた。ビルの間から見える空には星が輝いている。日中はずっと空が青く、いいことがありそうだと気合いが入った。

「僕も面接受けてて『このおっさんリアクション薄いわ~』と思ってたら通過通知来てたこともあったよ。怪しくても、最後まで自信ありげにしてた方が印象ええって」

 常に口角を上げようと努めてはいたが、特に今日は対面だったからお互いマスクをしていたことや、面接官の眼が細いせいで反応が掴めず、途中から頬の筋肉が重力に負けた。

「健太郎の口ぶりからすると、最初と最後切り抜いたら別人みたいになってそうやな」

「あーもういい。次に切り替えるわ」

「それがええって。どうせ第一志望じゃないんやろ?」

「そうそう。第四……、とか五?かな?でもせっかくインターン通って面接練習して、色々調べて時間掛けてさ、それで落ちるのは嫌じゃん。って、あーまた話戻った。愚痴ばっか出るからもう切るわ。次の電車逃すとバイトに遅れるし」

「熱心やな~」

「一人インフル罹ったからその代打だよ」

 全体LINEのメッセージであれば無視できたのに、電話で頼まれるとどうしても断りづらかった。それに面接が終われば行けなくはないので、ちょっとした気分転換と捉えることもできる。

「インフルってレアキャラやな。そもそもお客さん入るの?ほら、今ってどこも八時になったら締まるし、アルコールとかも制限かかっとるやん?」

「テイクアウト始めたから」と言ったものの、拓実の言及したこと全てが、売り上げの低下に繋がっていることも事実だった。

 アルバイトの俺が考えても仕方がない。面接のことで気をとられて、ミスをする方がよっぽども問題だ。

一度緩めたネクタイの結び目に手を当てて、地下鉄につづく階段を下った。

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