誠実 二〇二〇年 十月三十一日 ②

 拓実とは話をする回数が減った。あいつは一人でもやかましいから、雰囲気自体はあまり変わってはいない。この感覚は実家にいた頃と似ている。なんというか、親からの言葉全てが肌を刺すような感覚。そう思うと、拓実がお袋と重なってくる。

 自然体でいよう。そう思いながら寮の自室に入ると、机の前でパソコンを動かしていた拓実と目が合った。「おかえり」と言いながら、拓実は自然にパソコンを閉じた。

「彼女のとこ行ってたん?」

 首肯すると、いつもの声が返ってくる。自分の机にリュックとマスクを置いて、パソコンを取り出す。帰ったら、今週中に締め切りのESを書こうと決めていた。お茶で口を濡らして椅子の横に置くと、朝飲んだ栄養ドリンクの缶が目に入る。すると、拓実から叱責の声が飛んできた。

「健太郎、飲み物のゴミは片づけなあかんって。最近守れとらんよ」

「わかってる」

 つい置いたまま放置してしまう癖は中々治らない。ちまちま言われるのは正直鬱陶しいが、言う通りではあるので今日中には片づけよう。

「真子ちゃんにはあんなに優しいんやから、僕のこともちょっとは気を遣ってくれや」

「知るか」

「それはそうと、今から映画観ようと思ってたんやけど健太郎もどう?」

「映画?」

 難色を示すと拓実がさっと、「最近つき合い悪いやん。たまにはええやろ?」と逃げ道を塞ぐ。思えば最近、寮にいるときは事あるごとに同じ誘いを断ってきた。「スマホやパソコンで観れるし、一人で観ろよ」と返すと、「サブスクには登録されてない映画もあるし一人だと寂しいやろ」と飛んできた。本当はそんなこともなく、拓実のいつものお節介が働いているだけだろうと察した。むず痒い。

 はあ、とわざとらしく大きくため息をつく。

「一日くらいサボっても、何も変わらへんやん」

拓実のへらっとした言葉が、仕方ねえなあと言おうとした喉を圧迫した。

 同時に、自分がひどく馬鹿にされたように感じて、気管の下が熱くなる。拓実はおそらく、俺がいつものように断るのだと思って何気なく言ったのだろうが、どうしても今の一言は、耐えられるほど軽くはなかった。

「いい。今日は気分じゃない」

 できるだけ刺を取り払って言ったが、拓実の顔は見られなかった。なのに、あいつはテレビの電源をつける。画面の向こう側では、名前も知らないタレントが口大きく開けて笑っていた。普段なら気にならないことまで、全てが不快になる。

「別に見たくないからいいって」

 拓実からリモコンを取り上げて電源を切る。

 お前なら察していてもおかしくないだろう。どうしていきなり親にチャンネルを変えられた子供のような顔をするのか。一から全部説明したくなった。

「前から思ってたけどさ、お前、人にいらない気を遣いすぎ。まじでお節介なんだよ。心のどっかで就活上手くいかない俺のことを笑ってるのはまだいいけどさ、だったら放っておいてくれよ」

 余計なことを言ってしまい、「やべ」と途中で口をつぐんだ。いつもなら言わない言葉が火薬に引火したのか、バチバチと音を立てる。本当の導火線はもっと長いはずなのに、いつの間にかちょん切られていた。

「気を遣いすぎっていつのこと?それに僕、健太郎のこと笑ってなんかないよ」

 それは嘘だろ。「あ?」と苛立つ声が聞こえた。多分、俺の口から出たんだ。

 いつの間にか買っていたスーツ。寝ようとしていた瞳に入り込んできた太陽。

 パソコンが入ったリュック。

「お前、俺の前では絶対に自分の就活の話しなかったよな。そのくせさ、自分だけいつの間にかインターン通ってたり、こっそりスーツ買ったりして」

 ちょきちょき。

 どうしようと啜り泣くあの子。

 一回もキャンパスに入れない一年生。

 無駄を削ぎ落としたオンライン授業。

 未だに現実を受け入れられない人たち。

 鋏の音が、不快感を加速させた。

「意味わかんねーんだよ。言えよ!就活始めたって、スーツ買ったって、そういうところがマジで吐きそうなくらい気持ちわりいんだよ!」

 目の前の栄養ドリンクの缶を蹴り上げ、指先にずしりと重さがのった瞬間、我に返った。

 違う。比べられない物を比べてしまう。勝手に切り取って、隣に貼り付けてしまう。関係のないものまでごちゃ混ぜにして、拓実にぶつけてしまっている。俺はこんなことを言うために、ずっと抑えていたわけじゃない。

 飛んでいった缶の飲み口から蛍光色の液体が飛散し、拓実の顔や着ていた白いシャツにかかった。

さっと血の気が引いた。中身が残っていたことなんて、忘れしまっていた。

「ごめん」

 と、口から出るのと同時に、前から拓実の腕が伸びて襟元を掴み、ものすごい力で体を後ろに押し込む。びっくりして声が出せないまま、クローゼットの取っ手に腰を思い切り打ちつけられた。

「なにすんねん!」

 腰を打った痛みよりも、襟元を掴まれる苦しさの方が強かった。顔を動かせないほど彼の力は強く、白く細い腕からどんな力が出ているのか。呼吸できないほどの圧迫感が恐ろしくなって、窮屈な体勢で拓実の腕を力の限り掴んだ。

 離せよ、と力を込めて伝えたが、どう頑張っても解けず、俺はもう片方の手で拓実の襟元を同じように掴んで引き寄せた。すると拓実の手の力が徐々に抜けると共に、息がかかるほど近い距離で目元を歪ませた拓実と顔を合わせた。目元をひくひくさせているのを見ると、下がりかけた熱が沸々と湧き上がり、さっきよりも力が入る。

「このまま言うたるからよう聞けや」

 掴まれた状態で、首を器用に鳴らしながら拓実が声を上げた。

「健太郎に色々言わへんかったのはな、どうせ落ちると思っとったからや」

 パンチ。

 が、顔面に飛んできた。

「自分はわかっとらんようやけどな、僕からすればどうして落ちるのかも全部わかっとったし、それが現実になっただけや!そんな奴にスーツがどうとか話すわけあるか!」

「なんだと!」

 手が塞がっていなければ本気で殴っていたかもしれない。思いきり睨んでも拓実は目を逸らさず、荒い息が吹きかかった。

 悔しかった。誰からも認められていない傷をまざまざと突きつけられたのに、俺は何も言えない。

 模擬グループディスカッションの時もそうだった。あの時の講評シートが、焼きついて離れない。

『雅也→健太郎のいいところ。人の話をちゃんと聞いているところだと思う。話を聞きながらグループ内で課題で、説得力が足りない部分を見つけ出し、自分なりに考え、言葉にすることができる点は、これからも続けてほしいし、もっと伸ばしてほしい』

『雅也→健太郎の改善点。話を振られる前に、小さなアイデアでも積極的に意見を出していいと思った。これは健太郎なりに考えていた時間の裏返しともとれる。だが、敢えて俺が健太郎の性格を考慮に入れるとすれば、自身の意見がグループ内で、目立たなくなることを恐れていた可能性もある。オンラインという特性、限られた時間の中で、意見をまとめるために考える時間も必要だが、同時に小さな意見を出す役割も、時には必要であることを気に留めておいてほしい。拓実くんあたりが得意そうなので、彼と話し合ってもいいかもしれない』

 俺とお前で何が違うんだ。

 ずっと鼻を啜ると、拓実は手を離して顔を逸らす。

「だから、仕方ないやん……」

 さっきの発現を咎めるような口調が、頭を打つ。

 だから、仕方ないって言うなよ!

 俺は拓実を突き飛ばした。よたよたと後ろに下がりながらも、なんとか体勢を立て直した拓実に言った。

「お前の仕方ない仕方ないっていう言葉がな、前から大っ嫌いだったんだよ!」

 顔を見ずにドアを開けて廊下に出ると、隣のドアから元基と大樹が心配そうな目でこちらを伺っていた。大したことじゃない。そう言えたらよかったと思った頃には、外に出ていた。

 拓実のいない場所で、深く大きく息を吸い込めることに安堵すると、すれ違う人の怪訝な視線に気づく。口元に手を当てると、案の定マスクをしていなかった。財布とスマホはポケットに入れたのに、とんだ間抜けだ。

 戻る選択肢も頭をよぎったが、馬鹿みたいで嫌だった。

 行く当てもなかったので、とりあえずコンビニを目指して歩き出した。

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