第39話 少しすっきりした

「栗原さんは、素晴らしい考えをお持ちだったんだね」

「はい。それはもう。ただ、難しい考え方をされるというか、次元の違うところから見ているというか。そういう独特さがある方でした」

 当然のことだが、和田には数学者としての亜土のイメージしかないわけだ。工学者である、この屋敷で最先端の研究をしていることは、和田には関係のない話なのである。

「ありがとう。もう一つ聞きたいんだが、何度かこの屋敷に来ているってことは、尚武さんと会ったことがあるよね」

「え、いいえ」

 おやっと、これに聖明だけでなく他の三人も意外だった。

 すると和田が、正確には話したことはないと言い換えた。

「尚武さんは、殺された作業小屋にいることが多くて、普段はあまりここにいませんでした。食事も、お弁当を持って行って食べていましたから。あの日も、食堂では取られなかったですよね。一人で過ごされることが多かったんです。おそらく、三浦さんとも必要最低限のやり取りしかされてないと思いますよ」

 これもまた、新たな情報だった。たしかに尚武は、それだけでなく美典も、それほど洋館の方へはやって来なかった。それは会いたくないという気持ちからなのだろう。美典も神経質のようだから、他人と空間を共有することは避けたいだろう。

「そう言えば、この家にずっといる三浦さん、それに美典さんを忘れてましたね」

「ああ。そうですね。どちらも呼びますか」

 和田を帰してから、あの二人からも話を聞くべきかということになった。和田の印象に尚武がないという、意外な事実が発覚したからである。

 そうなると、容疑者の内二人は、尚武とさほど話したことがないのではないか。そんな懸念が出てくる。

「そうですね。三浦さんには後で、客観的な意見として聞きましょう。美典さんに関してはいいです。辻さんから見て、美典さんがどうか。それだけ教えてください」

 ここに連れて来られて、また揉めても困る。それに下手な刺激をして激昂させるのも、体に障るだろう。文化財としての価値を利用して売ろうという魂胆もまた、この事件の中では非常に異質だ。

「あれですよね。二時間サスペンスとかだと、確実に怪しまれるタイプですよ。家を売るってのも、証拠隠滅みたいな」

「辻さん。そういうの、ご覧になるんですね」

 不適切な例えに、三人から冷ややかな視線を食らう。口に出して言ったのは、もちろん部下の田村だ。

「ま、まあな。うちのカミさんがそういうの好きなんだ。定期的に、我が家のテレビはそれになる」

 俺だって見たいわけじゃないと、辻は照れ臭そうに言った。

 既婚者だったのかと、そこに驚いたことは内緒だ。辻からは、どうにも家庭の存在が感じられない。

「それはさておき。今回の事件において、美典さんが犯人である可能性は限りなく低いでしょう。この家のシステムがありますからね。それに殺された二人も、どちらも引退しているとはいえ、研究者であることから、研究者以外が犯人として浮上することはないです。事件が破綻します」

 聖明はそれよりもと、話を元に戻した。

 それに辻はもちろんと頷く。

「ここまでこの家の人工知能に翻弄されて、実は遺産相続でしたと言われると拍子抜けもいいところです。それに美典さんからすれば、二人を殺すメリットは何もない。得らえる相続分という話ならば、尚武殺害はあるかもしれないですが、亜土に関しては説明できません。美典に全額相続させるみたいな遺書があれば、別ですけどね。それにしても、研究者であることは重要ですか」

 急に重要になった気がすると、辻がボケたことを言う。

「では、何のためにこの聞き取りをやっているんですか」

 部下の田村は冷たい。

「ああ。そうだった。切り取られた部位と、その扱いの差。これの正体が、二人に抱いている感情の差だった。つまり、研究者として尚武のことが許せないってことですか」

 そこで聖明を見て、辻は確認する。全員から話を聞き直している間に、辻の中で事件が捩れていた。単なる猟奇殺人が、思わぬ様相を呈しているせいだ。

「そうでしょうね。だから今、仕事として大事な腕を奪って放置することで、その否定をより強固なものにしたと考えるのが妥当です」

 聖明はようやく、事件に関して説明できるところまで来たと感じていた。

 今まではバラバラの部位が切られていたのは、コレクションの関係だと考えていたが、腕の発見により、思考の転換が容易になったのだ。そしてそれは、今の数学者二人の意見から、より確かなものになった。尚武を研究者として捉えることが可能になったのだ。

「なるほど。たしかに以前研究者だったというだけでは、理系という共通項しかなったわけですが、今ならば父親と同じ研究をしていたと解るわけですものね」

「そうです。だから、同じ土俵に乗っている二人の扱いの差が、大きな問題となるんです。腕が必要だったのではなく、腕は奪うためだった。それはどうしてか。研究者として駄目だったからという、かなり勝手な理由が成り立つんです」

 すっきりと考えられるのはこれしかないと、聖明は確信していた。川口の話からして、尚武はそれなりに優秀だったはずだ。そして犯人は、それを知っているに違いない。

「となると、ますますあの三人が怪しいってことですね。あの三人ならば、尚武の研究を知っている可能性がある」

「ええ。問題は今の尚武と話す機会があったのか。吉田さんは昔から出入りしているので、川口さんと同じく、今も昔も付き合いがあったはずです。しかし残りの二人は、年齢からしても若く、話すことが出来たのか不明ですね」

 その指摘に、辻は手帳をぴらぴらと捲って二人の年齢を確認した。

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