十七 喪失       1994年 4月

 春節から二月ふたつきも過ぎているのに朱夏は求婚されたことを未だ両親に伝えていなかった。僕も新潟の実家に伝えていない。それどころか、朱夏との付合いさえ僕の家族は知らなかった。会社倒産後の生活立て直しに汲汲きゅうきゅうとしている家族にとって稼ぎのない長男の結婚など厄介ごと以外の何物でもない。僕はそう思っていた。弟は父の会社が倒産したひと月後に大学を中退し、田舎に帰って勤めにでた。田舎に帰る際、二年間つきあった恋人と別れている。父は知り合いの百姓家を借りて其処そこに旧い織機を置き機織りを始めた。母も和服の仮縫いや着付けの内職を始めた。僕が結婚すると言えば父も母も弟も大喜びして僕らを祝福し全財産なげうってでも僕らを援助しようとするだろう。しかしその頃の僕の実家には、なげうつ財産などこれっぽっちもなかった。

 自分だけ恋愛だ結婚だと無責任にオメデタイ話をするのも気が引けたし、少なくとも朱夏の両親から許しをもらうまで家族には話さないでおこう。僕はそう決めていた。

「結婚の話なんか両親が日本に戻ってからでいいわよ。私たちのことはもうお祖父ちゃんが台湾にリークしているわ」

 随分前、「好い奴だから心配するな」と祖父が電話で話しているのを聞いたという。

 朱夏の身内は父方の祖父と両親だけだった。祖父にも両親にも兄弟はいない。台湾の本省人ほんしょうじんだった母方の祖父母は二人とも他界している。朱夏と僕の関係を知る者は、当事者の二人と、朱夏の祖父、そして朱夏の両親の五人だけだった。九份のアルバイト店員が二人いたが、僕の苗字くらいしか知らない。

 番組の改変期で忙しく、二月から四月までの二か月間、僕は三回しか名古屋に行っていなかった。

 朱夏が仕事の引継ぎを終え、ひと段落ついたら話を進めればいい。僕らはのんびりと構えていた。


 四月の中旬、朱夏は祖父とともに台湾に行った。二週間ゆっくりと遊んだ後、月末に両親と共に四人で名古屋に帰る予定だった。

 昼過ぎに台湾から国際電話をもらった。帰国予定日の三日前だった。

「ねえ、びっくりしないで。神様が私たちに天使を一人下さるそうよ」

 僕は笑いだした。子供ができたという期待まじりの予感があって、それが的中したからだ。

「そんなに嬉しいの? 私の身体の心配をするのが先でしょ?」

 心配、心配……と、僕は笑った。

「今日、病院に行ってわかったの。帰国してから話そうかと思ったんだけど、早くあなたの喜ぶ声が聴きたくて。やだ、お父さん、電話返してよ」

 父親が受話器をひったくったらしい。

「初めまして。君が私の孫の父親か。いやあ、あっぱれあっぱれ。おめでとう」 

 陽気な人だとは聞いていたが、その通りだった。朱夏の祖父と、母親と思われる女性の笑い声が電話の向こうから聴こえた。

「帰ったら、みんなでお祝いしようね」

 朱夏は父親から受話器を奪い返すと、帰国の日時を僕に伝え電話を切った。

「おいペン公、僕が父親になるんだぜ。すごいだろう」

 僕は部屋の隅からペンギンの縫いぐるみを持って来て、彼に話しかけた。

「えっ? 苦労の種がひとつ増えたなだって? 違うよ。増えたのは幸せの種だ」

 お前たちがいるから自分たちは毎日幸せに生きている。それが父と母の口癖だった。どんなに貧しくても子供がいれば楽しく暮らせる。子供のためならどんな苦労も厭わない。僕の周りにはそんな夫婦しかいなかった。子供は希望だ。子供が生まれたら、どんな運命も必ず好転する。僕はそう教えられて育った。

 嬉しくて嬉しくて居ても立っても居られず、僕は新潟の実家に電話をかけた。

「どうした。何かいいことでもあったのか」

 父が電話に出た。

「子供ができた」と、僕は短く答えた。

 父は二、三秒ほど沈黙した後、大きな声で笑いだした。

「笑うことないだろう」

「いいじゃねえか。泣くことでもねえし、怒ることでもねえ」

 こんなに笑ったのは久し振りだ。愉快、愉快と父はさらに声をあげて笑った。

「母さんは?」

 母と弟は留守だった。残念ながら二人とも夜遅くまで帰らない、と父は言った。

「で、俺の孫は男か女か」

「今日妊娠がわかったんだ。まだ二か月だよ」

「ってことは、孫の顔が見られるのは早くて年末だな。ところで、俺の孫の母親がそばにいるなら電話かわれ」

 朱夏は今、台湾だと僕は答え、彼女の家族のことや二人が知り合った経緯いきさつを父に伝えた。

「名古屋の女か。祝言しゅうげんどうする。うちには今、余裕ってもんがねえし」

 名古屋の嫁入りは派手なことで有名だった。

「結婚式の心配なんかしなくていいよ」

 まともな結婚式を挙げる余裕など今の我が家にはない。でも父は今夜、帰宅した母や弟と一緒に長男の結婚や出産の心配を大喜びでするだろう。

「早く帰って来ねえかな。かあちゃんバカみてえに喜ぶぞ」

 母と弟は夜十時に帰宅する予定だと、父は言った。

 父と電話しているうちに、僕の興奮は少しおさまった。

「これから、何をすればいいんだろう」

「祈っていればいいんだ。男親にできる事なんて、そんなもんさ」

 父は真面目な口調で、そう言った。


 十時過ぎに、弟から電話があった。

「父さんが危篤だ。直ぐ帰って来てくれ」

 病院の公衆電話からかけていると言った。

 母と弟が帰宅した時、父は仏間で倒れていた。既に意識はなかったという。

「母さんは?」

「父さんに付き添っている」

 僕は直ぐに行くと言ったが、もう最終の新幹線には間に合わない。いつもロケ車の手配を頼んでいるレンタカーの営業所が近くにあったので、そこで車を借りることにした。所長は知り合いだ。

「車、用意しておくから、直ぐに来てください」

 僕は十五分で営業所に駆けつけ、カローラを借りた。

 父が運ばれた県立病院は関越道を降りて二十分ほどの所に在る。病院に着いたのはアパートを出た五時間後だった。

 僕が病院に到着した一時間後、家族三人に看取られて父は息を引き取った。

 僕と弟は大声で泣いた。

「二人とも、しっかりしなさい」と、母は泣いている僕たちをいさめた。

「あんたの親父さんに世話になったもんがこの町には大勢いる。だから、葬式代の心配なんかしなくていい」

 分相応ぶんそうおうな葬式をのぞんだ弟に葬儀屋はそう言って、大きな会場を用意した。葬儀屋が予想した通り、焼香客は通夜と告別式を合わせて三百人を超し、警察が交通整理に出動するほどの盛大な葬式になった。喪主の僕も大忙しで、泣く暇も眠る暇もなかった。

 朱夏の帰国を思い出したのは告別式の翌朝だった。前日の夜八時過ぎには名古屋空港に着いているはずだ。僕は九份に電話した。しかし、何回コールしても誰も電話に出なかった。

「どこの局もおんなじニュースしかやっていないぜ」

 テレビのリモコンを手にもった弟が言った。

「名古屋空港の事故だよ。犠牲者は二百人を超えたらしい」

 暗い画面の奥に燃え盛る炎が見えた。

「昨日午後八時十六分頃、台湾から……」

 朱夏一家が乗った飛行機だ。

 僕はもう一度、九份に電話をかけた。呼び出し音がむなしく響く。

 空港と航空会社は、何回かけても話し中だった。

 僕は、朱夏の父親が勤める名古屋の会社に電話した。

台北タイペイ支社長の御親戚の方でしょうか」

 電話に出た女性に、僕は「そうです」と答えた。

「お気の毒ですが支社長も支社長のご家族もお亡くなりになりました」

 遺体は空港近くの航空自衛隊基地に搬送はんそうされたと、女性は言った。

 僕は受話器を置くと、夢遊病者のように家を出てカローラに乗りエンジンをかけた。

「兄貴、何処に行くんだ」

 背から弟の声がきこえた。

 その後何があったのか憶えていない。

 気が付くと、僕は白いパイプベッドに寝かされていた。

 三日間、昏睡こんすい状態じょうたいだったという。

 幹線道路かんせんどうろに向かう峠道とうげみちで僕の車は崖から落ちた。車は谷底で炎上したが、落ちる途中で僕は車外に投げ出され一命をとり留めたらしい。

「あんた、どこに行こうとしてたの?」

「おぼえていない」

 母の質問に僕はそう答えた。


                               

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