一  エコー写真    2016年 7月

 一枚目のエコー写真が一昨年おととしの七月初旬に撮影されているから、妊娠したらしいと美子が僕に告げたのはそれ以前だろう。

「体温計じゃないわよ」

 美子は陽性の線がくっきりと表れたドゥーテストを僕に見せた。

「まだ確定じゃないけどね」

 美子は壁に掛かった時計を見ながら受話器を手に取った。

「どこに電話するんだ。こんな遅く」

「産科を予約するのよ」

 夜の十時を過ぎていた。

「産科は二十四時間営業。何時お産があるかわからないでしょ。私がかけるのは自動応答の予約電話だけど」

 電話のキー操作を指示する整音された女性の声が受話器から漏れて聞こえた。

「きっと、かわいい子が生まれるわ」

 美子は電話のキーを叩きながら笑顔で言ったが、僕はニコリともしなかったらしい。

「大丈夫よ。正常妊娠だと思う。かわいい子を産んであげる」

 僕を見て美子は怪訝けげんそうな顔をした。

 翌日の夜、「ご妊娠おめでとうございます」と印刷された書類を見た時も、僕は笑っていない。

 一週間後、美子は母子手帳をもらって来た。表紙の保護者署名欄が二段になっている。

「母子手帳なんだから、とりあえず私の名前を上に書くね」

 美子はそう言って保護者欄の上段に自分の名前を小さく書き、母子手帳を僕に渡した。僕は黙って、美子の名前の下に自分の名前を書いた。

「他にも父親の名前を書く欄があるわ。最初のページよ」

 僕は表紙を捲り、何も言わずそこに署名した。

「心配しなくていい。あなたが心配しても仕様がないわ。産むのは私なんだから」

 美子は、黙って署名する僕を見て少し哀し気に言った。

『神さま、あなたの天使のなかで一番かわいい子を私たちに下さい』

 美子は母子手帳の妊婦自身の記録ページに、そう書いた。

「天使?」

 むかし、その言葉に心を躍らせた記憶がある。

……凄いな。僕が父親になるんだぜ。神様はきっと、彼の天使のなかでいちばんかわいい子を僕たちにくれるだろう……

 僕はたしかに、心のなかでそう呟いた。でも僕は、自分の素直な気持ちを顔に出せなかった。何故だろう。

「祈っていればいいんだ。男親にできる事なんて、そんなもんさ」

 僕は父の言葉を思い出していた。僕は何時、父とそんな話をしたのだろう。

 父は二十数年前に他界している。

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