タイムスリップするレモン

華川とうふ

第1話 

「おいっ、勝手にから揚げにレモンをかけるな!」


 そういったときはもう手遅れだった。

 高校時代の知り合いが目の前で、レモンを絞る。

『時間も忘れる柑橘から揚げ』そうメニューにあったときから警戒すべきだった。

 柑橘類を使用したとわざわざ書いてあるから、むしろレモンなんて凡庸なものが添えられるなんて想定していなかったのだ。

 油断した……。

 レモンのさわやかで甘酸っぱい香りが小さな粒子になって空気中に漂うのが見えたような気がした……。


 人に言えない特技がある。

 いや、特異体質というべきだろうか。


 僕は本物のレモンの香りをかぐとタイムスリップしてしまうのだ。


 タイムスリップができるっていうのはすごく便利なように聞こえるかもしれない。

 子供ならばみんな憧れるだろう。

 好きな時代に旅行して、恐竜と記念写真を撮ったり、未来に行ってまだ誰も食べたことないような料理を味わう。

 そんな遠くの時間に行かなくても、宝くじを買えば大儲けだ。

 自由に時間を行き来できたらどんなに楽しいだろう。


 だけれど実際はそんなうまい話はない。

 僕の体質は、誰かがレモンを近くで絞っただけで勝手にタイムスリップしてしまうのだ。

 過去にいくのか、未来にいくのかわからない。

 百年先なのか、千年前なのかも調整ができない。


 だから僕は、レモンが大っ嫌いだ。


 こちらの都合なんてお構いなしにタイムスリップさせられる。

 好きなわけながないだろう。


 だから、から揚げにレモンをかけるやつも大っ嫌いだし。

 飲み会なんてもってのほかだ。

 ハイボールにはレモンが欠かせないから。

 一晩で何度タイムスリップさせられることになるだろうか。

 だから誰とも食事に行かないし、誰にも心を許したことはなかった。

 ずっと一人で生きていく。

 幸い就職して自分ひとり食べていくならば十分な収入もあるし、いまどき、結婚しないのも珍しくはない。

 タイムスリップする限り僕は一人で生きていく……そう決めていたのに。

 今日に限って油断していたのだ。

 白くて細い華奢な手がレモンを絞るのを止められなかった。


 どうせ、タイムスリップするならば、せめてラベンダーの香りだったらよかったのに。

 そう思っていると、周囲がぐにゃりとゆがんだ。

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