こぎつねの毛並みのようなツヤツヤ茶わん蒸し

玉藻はキッチンへと駆け込んで開けて歓声を上げた。


「今日も卵が一杯あるのじゃ! 冷蔵庫に鶏が住んでいるかのごとしじゃ!」


なるほど。庫内の一角に設えられた鶏舎けいしゃ。鶏がココッと声を上げると、卵ケースへと産みたての卵が転がっていく。おもしろそうだ。が、そこで羽菜はハッと我に返ってぶるぶると首を振った。


「飼ってないから! でも卵って、ついつい安売りしてるパックを見ると買っちゃうんだよねー」

「む? こっちには2パック目まであるのじゃ」

「くっ」


羽菜が卵を買い込むのは別の理由もあった。卵はいろんな料理に使える。手軽な目玉焼きに、ちょっと気合を入れてオムライス。その他「卵料理」で検索するだけでどっさりレシピが出てくる。


常々、きちんと料理しなくては、と思っている羽菜にとって、手ごろな食材と考えているのだ。


だが、スーパーで卵パックを手にした時に満タンのやる気ゲージは、家に帰る頃には半減、着替え終わればもはや風前の灯。結局何も使わずに、翌朝、申し訳程度に卵かけご飯をだけ。その後なんやかんやで賞味期限を迎えてしまう、というのがいつものパターンだった。


「ちゃんとレシピ見てやらなくちゃなあ、って思ってはいるんだけどね」

「ふむ。レシピのう。む! 羽菜殿、ウィンナーがのじゃ。それにこれは……チーズ? 牛乳まで。ラインナップが牧場のごとしなのじゃ」

「ああ、それね。実家が牧場の友達がいてね。定期的におすそ分けしてくれるの。パックに入ってるからまだ大丈夫、と思ってると、来ちゃうんだよね。奴が」

「賞味期限じゃな」


羽菜と玉藻はしみじみと頷く。と、玉藻は頭に葉っぱを載せてくるりととんぼ返りすると、キッチンスーツ姿に変化した。


「よし、今回はこれで行ってみるのじゃ。卵とチーズとウィンナー、どうやっても安心な組み合わせなのじゃ。キッチン・アル・モンデ、開店じゃ!」


玉藻はシンクの前の台に飛び乗ると、両手でなにやら印を結んだ。むにゃむにゃと何事か唱えると、ポン! とデジタルスケールが飛び出してきた。


「うわ、何それ」

「フフフ。神通力で料理グッズを呼び出したのじゃ。これはデジタルはかりじゃな」


ボウルを載せてリセットボタンを押すと、卵を2つ、ぱかりと割り入れる。


「えーと、120gなのじゃ。キリがいいの。羽菜殿、3倍すると?」

「え、360?」

「うむ。ではめんつゆを360gくらい用意するのじゃ。チーズとウィンナーもある事だし、ちょっと薄めでいいぞよ」


スケールを借り、言われた量のめんつゆを作る。横では玉藻が箸で切るようにして卵を溶いていた。めんつゆを渡すとボウルに投入し、再び静かに混ぜ合わせた。


「これで卵液の完成じゃ」

「何を作るの?」

「茶わん蒸しなのじゃ。羽菜殿、蒸し器はあるかの」

「え、ないけど」

「ふむ。ではフライパンでいくのじゃ」


玉藻は電気ケトルで湯を沸かすと、包丁を手に取った。ウィンナーを輪切りに、チーズはサイコロくらいに切ると、湯飲み茶碗に入れてボウル内の卵液を注ぐ。


「卵液は茶碗の半分ちょいくらいにしておくのじゃ。あとで追加するでの」


フライパンの底に布巾を敷き、その上にアルミホイルで蓋をした茶碗を置く。ケトルからフライパンへと、茶碗の半分ほどの高さまでお湯を注ぐと、蓋をして中火で煮たて始めた。


「おっと、忘れるところじゃった」


玉藻は慌てて蓋とフライパンの間に菜箸を1本噛ませ、再び閉じた。


「まずは中火で湯がふつふつ言うまで煮て、そこから弱火でことこと煮るのじゃ。そろそろいいかな? 羽菜殿、スマホ殿に7分のタイマーをお願いしてもらえぬか」

「え、わかった。えっと、『タイマーを7分』」


スマホから《カウントダウンを・開始します》と声がする。羽菜は画面を確認すると、指でOKサインを作ってみせた。


「茶わん蒸しって、フライパンでも蒸せるんだね」

「うむ。蒸すというか、茹でるみたいな感じじゃがの」

「底に布巾引いてたのは何で?」

「ああすると茶碗が動きにくくなるのじゃ。カタカタ鳴らなくなるぞ」

「なるほど。じゃあ蓋に菜箸を噛ませたのは?」

「温度が熱くなりすぎないようにするためなのじゃ。卵はあまり熱を入れ過ぎると固くなるでの。茶碗蒸しはプルンとしてた方がいいじゃろ? だから少し隙間を開けて、熱を逃がしてるのじゃ」

「へー。いろいろ理由があるんだね」


玉藻は腕を組んで「なのじゃなのじゃ」と頷いている。そうこうしている内にタイマーが鳴る。いったん茶碗を取り出して蓋を取り、その上に残りのウィンナーとチーズを乗せ、卵液を注いだ。


「これはなのじゃ。下がある程度固まってから乗せることで、底の方に沈まずに蒸せるのじゃ」

「そっか、そうすると見た目が良くなるんだね」

「うむ。それと、一さじ目から具が食べられるようになるのじゃ」


茶碗をフライパンへと戻し、追加で3分蒸したところで火を止める。玉藻は茶碗を傾けて蒸し具合を確認する。うまくいったようだ。ひとつ頷くと、仕上げに黒こしょうををかけた。


「うむ! お稲荷特製茶わん蒸しお待たせなのじゃ」

「やったー」


茶碗にはつるりと滑らかな玉子。その縁からはうっすらとだし汁が見えている。鈍く光る玉子の表面からは、ウィンナーとチーズが。羽菜の知っている茶碗蒸しとはだいぶルックが違うが、出汁とチーズの香りだろうか、良い匂いが鼻をくすぐる。2人はさじを手に取って、ぱちんと両手を合わせた。


「「いただきまーす」」


匙は玉子にするりと入る。ふうふう吹きながら口に入れると、出汁を含んだ玉子の滑らかな食感に続き、ウィンナーの塩気とチーズのミルク感がやってくる。熱を入れたチーズからは玉子とは違ったとろみが、ウィンナーからはパリっとした噛み応えが。いろいろな味と食感が口の中に広がってくる。


「おいしい! 茶碗蒸しにウィンナーとチーズ? って思ったけどいけるね」

「うむ。どちらも卵と相性が良いのじゃ」

「だねー。黒こしょうもいい感じ。自分じゃこんなの試さなかったなあ。レシピだとしいたけとか剥き海老とか銀杏とかだもんね」

「何でも入れてしまえばいいのじゃ。卵とだし汁の割合が1:3というのだけ押さえておけば、そうそうは起きないはずじゃ」

「はー、なるほど。でも、美味しくないのもできちゃいそうね」


羽菜が笑うと、玉藻も目を糸のように細めて笑った。


「美味しくなくても良いのじゃ」

「え」

「うちで作るごはんというものは、そのくらいでいいのじゃ。毎回レシピ通りにきちんとやらずとも、ある材料もんだけ使って、適当に作るくらいで丁度いいのじゃ。そりゃ、食べられない程の事故は良くないがの」


美味しくなくていい。ちゃんとしなくていい。羽菜は母の事を思い出した。母は食事の時、毎回「おいしいよ」「おいしいからね」「おいしいでしょ」と聞いてくる人だった。


母としては何気ない一言だったのだろう。だが、食事の度に念を押すように「おいしい」を聞かされているうちに、素直に「うん。おいしいね」と返事ができなくなっていた。もちろん食事の味は美味しい。美味しいのだ。けど。


美味しくなくちゃいけない。美味しいの押し付け。羽菜はだんだんとそんな風に感じてしまい、「おいしいでしょ」と言われるたびに食事が楽しくなくなってしまったのだ。


「美味しくなくて、いいんだ」

「うむ。良いのじゃ。でも、今回は思ったより上手くハマったの!」


玉藻は嬉しそうに匙をくるりと回して見せた。


「うん。おいしいね」


羽菜もくるりと匙を回して見せる。今思うと、母も料理に対してなにかプレッシャーのような物を感じていたのかもしれない。忙しくてもきちんと作らなくてはいけない。美味しくなくてはいけない。その不安から、ついつい確認するように、半ば心配げに、半ば押し付けるように「おいしいでしょ」と聞いていたのかもしれない。


羽菜の中で、料理に対して感じていた、喉の奥に固まっていた、しこりのような何かがつるりと胃の腑に落ちて行った。まるで茶碗蒸しのように。


「で、羽菜殿、今回のまかないの名前は何にするのじゃ!」

「え」


玉藻は目をまん丸にして羽菜を見ている。


「ふふ。そうね、じゃあ、アル・モンデ特製ぷるとろチーズ茶わん蒸し、で」

「うむ!」


小さなシェフのきつね色の髪からは、ぴょこんと飛び出した耳が、ぴこぴこと動いていた。

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