掟やぶり

 外は雨が激しく降っている。


 雪太はソファーに寝そべり、新たな依頼と向き合っていた。


 プリントアウトした女の子の横顔を時折見ては頭の中で90度回転させる。


 しかし正面の顔はあやふやにしかならない。反対側の写真でやっても同じこと。行き詰まっている。


 鍵はボケた唯一正面から撮った写真だが、これもおぼろけなイメージにしかならない。横顔とつながらないのだ。


 それにさらに、ニット帽がじゃまをしている。髪の毛がないと子どもの顔なんかみんな同じに見える。


 雪太が、うーんと起き上がる。


「とにかくこう!」



 段ボールをA4サイズに切り、プリントアウトした正面の写真を画ビョウで貼り付け写真立てに立て掛け、スケッチブックをイーゼルに乗せ、まずは写真に手を合わせる。


 2Bの鉛筆で輪郭から写し取っていく。目を描き、鼻を描き、口を描き……


 その間脳裏をよぎるのは、やはり恵利のことだった。恵利が同じように小児がんにおかされたら、自分はどうなるだろう。


 シャドーを入れていると胸がつかえ、知らず知らずに涙がこぼれる。前がよく見えない。頭のタオルで涙を拭きながら、それでも前を向き筆を進める。


 30分泣き通しだった。泣きはらすと胸のつかえも取れ爽やかな気分になった。


 スケッチは完成した。写真とは違い顔の各部位ははっきり描いたのだが、やはり何か違う。右上に1と書き、スケッチブックを破る。もう少し目を離したり、口を大きくしたり、鼻を伸ばしたり、後3枚描いてみた。


 1、2、3、4と番号をふり、写真を撮る。そのSDカードをパソコンに挿し込み、メーラーを立ち上げると、依頼主の酒井さんにメールを送る。こうした行為は掟やぶりとは思いながらも、依頼が依頼だけに、今回だけはよしとする。


「4枚スケッチを描いてみました。一番お子さんのお顔に近いのは何番でしょうか。ご返事お待ちしております」


 一時間ほどして返事がきた。


「3番が面影があるといいますか。欲を言わせていただくなら、もう少し上を向かせていただければ」


 口を大きく描いたやつだ。今度はそれをもとに、様々なバリエーションのスケッチを5枚描く。時刻はもう夕方4時になっていた。


 また右上に番号をつけ、再度メールを送る。このようなやりとりが次の日まで続いた。


 どうせならむこうが満足するものを描きたい。スケッチを続ける。



「これです!この5番の顔です。写真を見ているようです。この顔でお願いいたします」


 ようやくたどり着いた。その絵を段ボールに貼り付け、イメージを脳裏に焼き付ける。そして協会から送られてきた縦70センチ、横50センチのキャンバスを大きめのイーゼルに立て掛ける。



 台所に行くと静江が晩ご飯を作っているところだった。


「この顔だってさ」


 アトリエに静江を呼ぶと、スケッチを見せる。


「ふーん、可愛い子じゃない。頑張ってね」


「ああ、今日はここまでにしとくよ。疲れた。ちょっと横になる」


「分かったわ。ご飯とっておくわ」


 布団を敷き寝転ぶと、恵利が上からのしかかってくる。しばらく相手をしてやる。続いてすんも。


(こりゃ寝れそうにないな)


 えいや!っと立ち上がる。


「びんびんこー」


 リクエストに応じて肩車をし、リビングへ。


 顔をぺたぺたいじくってくる。


「うっふふふ」


 静江が台所で笑っている。


(幸せなんだろうなー、いまのおれ)


 思いは、子どもを早くに亡くした酒井さんのことにうつろう。その絶望感やいかばかりか。


 静江がリビングに漬け物を持ってきてお茶をいれてくれる。


「なあ」


「んー?」


「今度の日曜日、家族写真を撮りにいかないか」


「いいけど、急にどうしたの」


「いや……ずるっ」


「なに泣きだしてんの」


「幸せだなーっと思って。ずるっ」


「依頼主さんのこと考えてるの?」


「ああ、まあ」


 雪太は、ティッシュで鼻をかむ。


「ねぇ、パパどうしたの?」


 恵利が上から雪太の顔をのぞきこむ。


「近頃涙腺がゆるいのよ」


 お茶を飲み、ぼんやり壁に貼り付けた家族の写真を見つめる。


 こんな未来が待っていようとは、想像だにしていなかった。幸せというものを憎悪すらしていたのに。


 この温もりを失うのが怖い。心からそう思う。


 何故か現実感が手からこぼれ落ちそうになる。頭をふり、頬を叩いてみる。 (現実だ) と再認識する。


「ただいまー!」


 大河が帰ってきた。


「またうるさいのが帰ってきた。これじゃもう寝れんな」


 静江が笑う。


「つぎお馬さーん」


「はいはい」


 四つん這いになり恵利を背中に乗せ跳ね始めた。


 大河も乗っかってくる。


おもっ!」


 その重さを抱き止め、絆というものを噛みしめた。



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