どんな記憶も思い出す料理

しらす

奇妙な予測変換

「どんなに君の手に触れたくても 伸ばした手は空を掴むんだ」

 いつもの会社帰りに近所のスーパーで買い物をしていた私は、ふとそんな歌詞を耳にして立ち止まった。

 平日の夕方のスーパーは、私と同じような会社帰りと思しきスーツ姿の客が多い。中には惣菜コーナーの前で六時の値引きシールが貼られるのを待って、店の中を目的もなくうろうろしている人も居る。

 普段なら子供連れの母親もよく見かけるのだが、今日は一人もいないようで、店内はとても静かだった。


 私は歌詞の続きを聞こうと耳を澄ませた。けれど先ほど聞いた歌はそこで最後だったらしく、すでに違う音楽に切り替わっていた。いつもこのスーパーの店内で流れている、聞き慣れた歌詞の無い音楽だ。


 そう言えば、この店でこの音楽以外を聞いたことがあったかな。


 私は普段、自分の買い物に集中していて、どんな音楽が流れているのかなど意識したことが無かった。いつも会社帰りで疲れ切っているのもある。

 私の上司はただでさえやたらと声が大きいのに、短気でよく部下を怒鳴りつける女性だ。皆からは当然のように煙たがられていたが、仕事ができないわけではないので、さらに上の上司に相談しても困り顔をされてしまう、いわゆるおつぼねさんだ。


 そんな上司の前では、いつも耳にふたをする癖がついてしまった。どうせ大半が八つ当たりなのだから、黙って聞いている振りをしてうなずいていればそのうち嵐は去る。

 実際に耳に蓋はできないけれど、耳の奥に分厚ぶあつい幕を張るようなイメージをして、怒鳴り声を風の音だとイメージするのだ。


 春の始めや秋の台風の時に吹く、あの体ごと吹き飛ばされそうな強い風。そう念じるようにイメージしていると、だんだん彼女の声はただの風になり、オフィスじゅうを吹き回り、デスクの上の紙をバラバラと巻き上げて、やがて部屋の中では飽き足らず窓ガラスを割ってしまう。そして部屋から飛び出していく頃には、彼女は私を怒鳴るのに飽きて自分のデスクに戻り、部屋はしんと静かになっている。


 いつの間にかそれは癖になって、会社を出ても同じことが起こるようになっていた。

 空吹からぶかしするバイクの騒音も、叫びながら走り回ったり泣き声をあげたりする子供の声も、突然鳴り出すパトカーや救急車のサイレンも、いつの間にかそうしてやり過ごすようになっていた。

 このイメージが頭に浮かんでいる時は、音そのものは聞こえていない。全て風のように目の前を吹き過ぎていくだけだ。けれどあとは一人暮らしのアパートに帰るだけなので、途中でよほど危険な場所でもない限りは問題ない。


 そんな私の耳に、スーパーで流れている音楽の歌詞が飛び込んで来たというのは、それだけでちょっとした奇跡だ。

 聞いた感じだと別れの歌か、片思いの恋の歌かといったところだ。

 特別興味をそそられるような内容ではないが、なんとなく耳に入ってしまったということが私は気になった。


 家に帰ったら調べてみよう。「どんなに君の手に触れたくても 伸ばした手は空を掴むんだ」


 不思議と一回で聞き覚えたその特徴のない歌詞を、私は忘れないよう頭の中で何度も繰り返しながら、買い物を済ませた。



 帰宅して買って来たものを冷蔵庫にしまうと、私は夕食に買った弁当を開ける前に、まずスマホを取り出した。

「ど」と打ったところで予測変換で「どんな」と打つ。するとブラウザの予測変換が一気に私の目に流れ込んで来た。

 これだけではまだ見つからないだろう、なにしろ聞いたのは歌詞の終わりの部分だ。次は「に」と打って、それから「君」、「の」と続く。普段の仕事では使わない言葉なので、一文字ずつ打っていくしかない。

 そう考えると早くも億劫おっくうになり、私は「に」を打つ手を止めてブラウザの予測変換に何となく目をやった。


 すると上から四番目のところに、「どんな記憶も思い出す料理」という奇妙な言葉があった。

 こういう予測変換はたいてい、その時期に多く検索された言葉か、よく聞く言い回しなどが出てくるものだ。流行に鈍感どんかんでテレビなど見るひまがない私でも、そういう予測変換をたまに追ってみて、休憩室での話題にしたりする。


 私は手を止めたまましばし考えた。こんな上の方に来る話題なら、私でなくとも誰かが話していそうなものだ。けれど今まで休憩室でこんな言葉を聞いたことはないし、どことなく怪しげで誤解を誘うような言葉だ。


 咄嗟とっさに私が思い付いたのは、故郷を離れて都会で生活している人が懐かしさを感じるような料理、というものだった。

 しかし都会には様々な物が集まって来るし、郷土料理も全国各地で違うものがあるし、味噌汁の味付け一つ取ったって、地方や家庭によって違う。一種類の料理で懐かしさを感じさせるのは難しい気がした。


 何となく気になった私は、歌詞を調べるのを後回しにして「どんな記憶も思い出す料理」という予測変換を押した。

 ぱっと画面が切り替わり、検索一覧に切り替わる。

 しかしヒットしたページはたった一件だった。

 予測変換の四番目というかなり上の方にくる言葉なのに、ヒットするのが一件だけ、というあまりの少なさに私は驚いた。驚きながらも、指は自然と動いてそのリンクを押し、ページを開いていた。


 再び画面が切り替わり、映し出されたのは全体が黒い画面で、その真ん中になぜか街灯に照らされた夜の喫茶店の写真がついていた。「喫茶・ゆーかり」というレトロな雰囲気の看板が入り口前に立つ、ハーフティンバー風の建物だ。


 暗い写真なのでよく見えないが、植え込みは冬枯れしているのか手入れが行き届いていないのか茶色くなっていて、左端の入り口以外は壁の大半が赤くなったつたで覆われている。

 その写真の下には、派手なピンクや黄色の文字で何やら書かれていたが、どれもその店を見た事があるとかないとか、そんな話ばかりをまとめたものだった。

 ただ一つ情報として書かれていたのは、「その店の料理はとても美味しくて、そして二度と食べられない」というものだった。


 なんだ、都市伝説の類だったの。


 おそらくこのいかにも古めかしい喫茶店の印象から、誰かが勝手にそんな話を始めたのだろう。けれど写真を見る限り、明らかに建物の中から灯りが漏れているし、これと言って目を引くような不気味な印象を受ける店でもない。

 どうしてこんなものが予測変換に出たのか分からないが、誰かが面白がって作った噂話うわさばなしのたぐいだろう。呆れた私はすぐにその画面を閉じた。


 溜息を一つつくと、それから改めて、「どんなに君の手に触れたくても」と入力して歌詞を検索した。

 しかしこの歌の方は、それからあの手この手で何度検索しても、結局見つからず終いだった。

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