第24話 一か八か

 夜間の町、街灯の頼りない光の下を2人と1匹の影が通り過ぎていく。

 やがて古いビルへに到着した一行は、仔狐だけを外へと残し建物へと入った。エレベーターではなく階段で2階に上がり、殺風景な元オフィスで待つ妖と対峙する。光源は非常灯のみの部屋だがお互いの姿ははっきりと視認できた。


 口火を切ったのは、セーラー服の締結師――暦右夜だった。


「句珠、連れてきたけど」

 首からチェーンを外し、黄色く輝く石をぶら下げたまま前へと突き出す。右夜の瞳に怯えの色は無かった。

「おりこうさんねえ、月華」

 そこから数メートル離れた部屋の反対側で、ほくそ笑むのは巌乃斗天莉だった。

 妖の身体である石に直接触れていなければ、右夜は身体強化を使えない。恭順を示す彼の行動に笑いたくなるのも当然というものだろう。


「……なんで、格好が天莉ちゃんなん?」

 右夜の目の前にいるのは、髪が異常に伸び色気のある着物姿の姉弟子だ。


「まあ食べたからねえ。身体くらい好きにできるわよお」

 しかし、浮かべる表情は天莉では決してありえぬものばかり。己が主を手に入れたキミドリは、優位を疑っていなかったが警戒を忘れてもいなかった。

 右夜の背後には破邪師の少女が大人しく立っている。キミドリが外へと『目』を向ければ建物の入り口に妖狐が座っているのが見えた。今のところ、キミドリの指示通りに物事は動いている。


「……じゃあ句珠のことは? どうするつもり?」

「そりゃあ食べるに決まっているでしょう。この辺りで一番強い上級妖なのに動けないなんて、そういないもの」

 右夜の顔が悔しそうに歪んだ。

「渡すから、……天莉ちゃんはよ返して」

「あらあこわい」

 キミドリは茶化して、懐から取り出した刃を自身の首元に突きつける。青白い肌から一筋血が流れ刃物が本物であることを主張した。


「こっちに句珠を投げてちょうだい。そうしたら天莉は自由よお、ね?」

 従わなければ天莉の身体を刺すかもしれない。従ったとしても天莉の身体を刺すかもしれない。人質とはそういうものだ。ルールなどあってないのだから、取った側の裁量に委ねられる。


「……ッ!」


 右夜の後ろで控えていた破邪師の少女に、何本もの細長い髪が絡みつく。そっと室内を這わせていたキミドリの身体の一部だった。

 櫛笥みことに動かれるのはまずい。破邪師の力は妖だけに作用する。だから見える範囲で余計なことができぬよう、縛り付けておく。

 拘束しても意味のない締結師の右夜は自由にさせておいた。彼の霊力ではキミドリを祓おうとしても天莉の身体を傷つけることになる。句珠を使っても同じことだ。式神の卯月は探索などを得意とし戦闘は不得手。キミドリの動きを一時的に止める可能性がある長月は雨ではないのでそもそも呼べない。

 もし村雲が飛び込んできたとしても、天莉は殺せても救うことはできない。


 この子どもたちは天莉の命を優先する――キミドリはそう睨んでいた。


「動かないでね、お嬢さん。――さあ月華投げてちょうだい」

 破邪師を拘束する髪を句珠の力を使って千切ろうとするなら、背後にあるドアから出て廊下の窓から逃げてやろうと、キミドリはそんなことを算段していた。

 句珠は惜しいが、楽に手に入らないならそれでもいい。


 右夜が、握ったチェーンを振りかぶる。



「みことッ!!」



 張りつめられていた緊張の糸は一気に切断された。指名された人物に、キミドリの意識はおのずと注がれる。

 強い力で少女を縛り付けていた髪は――――急に下へと落下した。


 違う、これは緩んだのだとキミドリは気が付く。

 普段と違う呼び名は、彼への合図だったのだろう。みことに化けるのをやめた妖は、元の小さな狐へと戻っていた。建物の外で待っているはずの村雲だ。


 混乱するキミドリに構わず、右夜は次なる行動に移っていた。手にした簡素なチェーンネックレスを引き、掌に句珠を収めると彼の瞳が淡い黄金へと輝きだす。

 セーラー服のスカートの下には、右夜の祭具である押さえ杭が数本ベルトで足に固定されている。少年はそこから1本引き抜くと、持ち手の部分を逆にして投擲した。


「くっ!」

 標的は、刃を構えるキミドリの手の甲だ。

 カーペットが敷き詰められたフロアに、音もせず刃物が落ちる。


 この時点でも優位はまだキミドリにあった。右夜が迫る前に刃物を拾うことは可能だし、何ならこのまま逃げてもいい。身体にほとんど損傷のないキミドリを止めることはできない――はずだった。


 キミドリが刃を取り落とした直後に村雲は炎を吐いていた。

 それが天井辺りの、ある部分に触れる。




 時を少し遡るが、貸しビルに向かう前の高地自然公園にて。

 みことは、キミドリとの通話が切れてから気になっていたことを右夜に質問した。こちらに委ねられた落ち合う場所を、わざわざ妖除けをほどこしに行っていたビルにしたのは何故なのか。

 それは右夜の咄嗟の判断だった。もしかすると役に立つかもしれないと、彼はその設備があることを覚えていた。


 ――スプリンクラーだ。




『締めし結びし 途切れぬ誓い 土地は満ち、整いたり』

 火を消そうと落ちる水の中、条件は見事整った。

『月華の名を楔とし、ここに御身を召喚す――来りて 落ちよ 長月!』


 主の思惑を察した雷獣は、現れた瞬間に弱い電気を数秒生じさせる。まだあまり濡れていないキミドリの身体に静電気より少し強い稲妻が走った。

 動けない。衝撃と対応しようとする思考で、天莉を内包するキミドリは上手く動くことができなかった。


 少しでも状況を把握しようと、キミドリは村雲がいたはずの外へと『目』を向ける。だがそこに座っていたのは、右夜の式神の卯月だった。

 公園を出てからの動きをずっと監視していたせいで安心していたキミドリは、狐に化かされたことをようやく悟る。

 自身はみことに化け、卯月を村雲に見せ、彼らはここまでやって来た。

 高校での幻術は本気ではなかったのだと、キミドリは腹立たしく思い――凍り付いた。


 廊下に通じる背後のドアから、誰かが飛び込んできた。

 破邪師の気配を消し、村雲が見つからないようかけた幻術が有効な範囲にずっといた黒髪の少女。


 何とか動くようになった身体を捻り、キミドリは鈴串を振りかぶる櫛笥みことと『目』が合った。

 まだ間に合う。まだ殺せる。

 キミドリの姿が変化する。髪は濃い緑へと染まり、頭上の口が開く。捕らえようと伸ばした髪先は、みことの巫女服の袖を貫いた。


「なん、で」


 破けた白衣から、ビニール袋に入れられた何かが飛び散り落ちる。

 緑の、そうまるで剣のような葉。こんな場所にないはずの植物を、みことは持ち込んでいた。



 そして勝負の結末は、真白の光の中に全て飲み込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る