第4話 わたくしの力、ミチルの力


 リビングの窓を全て閉めて、残りの護符を貼りつけていく。

 ミチルのことはもう見ない。ソファの後ろを通り過ぎて、目的の階段下へ。

 肩幅に足を開き、用意しておいた鈴串を正面でしっかりと握る。



『破邪区域――指定開始』



 掌で木製の温かみを感じながら、鈴串に破邪の力を注いでいく。先端の部分にはいくつもの鈴が3段に分かれて取り付けられていて、使用者の力を受けることで発光し神聖な音が鳴り響くようになる。


『ひがしにいつつ にしにむっつ みなみにいつつ きたにやっつ』


 言葉の区切りごとに鈴を振り上げ、力を流す。

 ふわりと髪が浮き、柔らかな白い光が夕方の薄暗い廊下に満ちる。

 わたくしから出て来る言葉は、耳に届いているのに、どこか遠くで聞こえるようだった。


『かみさきよ つめさきよ めぐりて ながるる』


 別荘の色んな所に張り付けた護符との細く長い繋がりを、血管を拡張するイメージで広げていく。


『うでよ あしよ めぐりて ながるる』


 破邪の力が護符へと注がれ、外と分断された空間ができつつある。

 破邪区域が完成間近なことは、わたくしの身体の疲労度が物語っていた。


『かたよ はらよ めぐりて ささげる』


 あともう少し。


『破邪区域――発動!』


 一気に周りの光量が増した後、ゆっくり深呼吸すると視界が落ち着いてくる。


 大丈夫。無事に下準備は終わった。

 破邪師としてまず初めに覚える破邪区域だが、これは保有する力を半分以上持っていかれる、なかなか疲れる技だ。この中に入れてしまえば、まあどんな妖怪も最終的には滅されるので当然の代価とも言える。破邪師の実力にもよるが、低級の妖はこれが発動した時点で消し飛ぶこともある。


「今回のは……」


 少し期待して区域内を探ってみたが、ダメだ、まだいる。

 低級とはいってもわたくしの破邪区域では、消え去らない強さの妖らしい。だが、確実に弱ってはいる。それに、これで終わるとはもともと期待していなかったので、いつも通り攻撃へと移る。


「はあああッ!!」


 力を込めた鈴串を、視界の中の階段上から下へ叩きつけるように振り下ろす。

 一般人には見えないが、縦長に伸びた光が勢いよくぶつかり飛び散る。

 それは物理的な攻撃力の無い、妖を滅するためだけの一撃だった。


【ギャッ ッギャア ッ】


 人では到底出しようのない、ノイズの交じった叫び声。

 黒い何かが階段から弾き飛ばされ、近くの廊下へ、ベチョリと落ちる。


 妖。妖怪、物の怪などとも呼ばれる、それら。

 はるか昔から人と共にこの地に住み、害を為し、益などほとんどない、それら。

 能力の高い者なら狡猾に姿を隠し、人間を誑かすこともあるだろう。名が付いている者もいる。

 けれど、こういった小さいものは、何も理解せず、ただ不幸を振りまくのみ。


「別にあなたは悪くないんです、ただここにいては、いけないだけ」


 存在に罪はなく、ただその在り方に罪がある。



「お別れですわ」



 もう一度、破邪の力を込めた鈴串を振り下ろす。

 黒い手がいくつも絡まったような妖の真ん中へ、集まった真白の光が注がれる。

 じゅっという焼け焦げるような音がして、その中心部が消滅していくことを確認する。破邪の力の余波か、黒塊の端にある妖の手は吹き飛んでいき、壁に天井に、ちぎれてぶつかって消えていく。あの程度の欠片であれば、破邪区域の力で数秒後に滅されるだろう。


【ギャッ ギャア ギギッ】


 言葉にならない、もしくは妖的には恨みの言葉を吐いて、瞬きの間にその存在は無いものとなった。


 鈴串へ力を籠めるのをやめ、緊張しきっていた身体を楽にする。

 力の8割を今ので持っていかれてしまった。もし今日もう一件、破邪師の仕事をしてこいと言われたらさすがに無理だ。

 というか、破邪区域への力の配分が多すぎたかもしれない。

 ミチルに八重の巫女の話を振られ、気合が入りすぎてしまった。完璧にやるんだという思いで、かなり強めの区域を作成してしまった。

 というわけで、こんなに疲れているのも、何もかもミチルが悪い。


「さあ、これで――」


 終りと、ミチルに告げようと、スリッパを履いた足を動かそうとして。


 前方から真っ黒の手が飛んできた。


「……ぐ、あッ!!」


 暗闇の底へ引きずり込むように、その手はわたくしの首へ伸び、指は肌を締め付ける。

 冷たく硬く、容赦なく。

 一定の強さでゆっくりと掴まれる範囲は狭まり、嫌な汗が流れ落ちる。


 呼吸、こきゅう、いきを、なんとか、しなければ――。

 わたくしの手から力が抜けて、鈴串が転がり落ちる。

 や、だ。



「みことさま!」



 急に飛びついてきたのは、銀灰の毛玉だった。

 村雲。

 名が脳裏をよぎった時にはすでに、彼が黒い手に噛みつき、はるか彼方に放り投げる。



「ああーーめんどくさ。気ぃ抜くからだよ、みこと」



 黒い手の妖が、飛んで行った先。

 そこに立つのは、大須賀家本家の娘、ミチル。


 彼女の手には、青白く輝く石製の剣。

 茶色の長い髪は、力の開放で波打ち、その毛先まで破邪の力で満たされている。

 白衣の袖も、緋袴も大きくはためき、こちらにまで風が来る。

 赤いフレームの中のレンズは光が反射して、彼女の表情をわかりにくくしていた。



「滅せよ 邪悪」



 対象指定もない、区域指定もない、力の矛先を誘導する言葉なしの、純粋な命令。

 石の剣を振り下ろすと同時に聞こえたのは、ただの「声」だった。


【――ギッ】


 もう、それだけ。

 気が付けば、黒い手は霧散し、別荘から妖の気配は消失している。


 いつの間にか廊下に座り込んでいたわたくしは、げほげほとせき込み、浅く呼吸を繰り返す。

 しくじってしまった。

 完璧にこなすと言い切って、やらかしてしまった。

 情けなくてたまらない。

 低級の妖すらやりきることができず、ミチルに助けられてしまった。


「なんか言うことは?」

「……助けていただいて、ありがとうございます」

「最後さ、妖自分の身体を切り離して、逃げてたじゃん。分割したのをもう一回集めなおして、襲ってくるよねそりゃ。みことを殺せばこの破邪区域は無くなるわけだし、そしたら逃亡し放題じゃん」

「……おっしゃるとおりです。わたくしが、……甘かったからいけないのです。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」

「あの妖もう消えかけだったから、ボクほとんど力使ってないもん。あともうちょっとなのにさあ」

「……はい」

「みことって、まあまあ優秀だけど、ほんとダメだよね」


 言い返せない真実が、心に深々と突き刺さる。


「八重の巫女? 無理無理。さっさと諦めて、勉強でもしとけば? そっちならボクに勝てるかもしれないよ」


 高いところに立った女が下位の者に、ただ事実を投げつけるだけ。

 勉強でも勝てない。破邪師としても勝てない。

 受け入れたくないことを、わたくしの前に立つだけで証明してくる。


 もう、それ以上何も返せなくて、わたくしはただ黙り込んだ。

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