第15話

「んんっ……」

 どこか眩しい陽の光が瞼の上を照らしているような感覚を覚え、意識がゆっくりと現実に移っていくのを感じます。

 瞼を明けると、いつまで経っても見慣れない天井が。数日経ったというのにもかかわらず、未だに違和感が押し寄せてきます。

「もう朝ですか」

 起こしに来てくれるメイドがいない生活の朝。ほとんどを使用人に任せていたというのに自分で起きられてしまうのは、それほどこの場所が私にとって落ち着きがないのでしょうか?

 ゆっくりと体を起こし辺りを見渡します。

 レイシア様とミラ様の寝室。衝立を挟んだその先にもう一つのベッドがあり、大きな執務机とソファーが置いてあります。

 そして、私が寝ていたベッドの横には—――

「すぴー……」

 小柄な体躯の少女が気持ちよさそうに寝ていました。

 艶やかな銀髪を扇状に広げ、愛くるしい顔が無防備に晒されています。

 ……こうして見ていると、本当に年頃の女の子です。きっと、この姿を殿方に見せれば誰もが胸打たれてしまうでしょう。

「こんなお方が大罪聖女」

 世の中分からないものです。どのような道を歩けば、こんな可愛らしい少女が悪の道を歩くというのでしょうか? いえ、そもそもこんな私を助けてくれるレイシア様は本当に『悪党』と呼んでもいいのでしょうか?

 考えれば考えるほど、不思議なお方です。

「でも、可愛いです……」

 気持ちよさそうなレイシア様の顔を覗き込みます。

 透き通った瞳と桜色の唇にどこか魅入ってしまいます……少し、このまま。ずっと見ていたいと思ってしまうほど。

(触っても、いいのでしょうか?)

 可愛らしい姿を見て、そんな衝動に駆られてしまいました。

 やってはいけないのでしょうけど、少しだけなら……気づかれません、よね?

 私はゆっくりと柔らかそうなレイシア様のほっぺに指を伸ばし―――

「何やってるの?」

「ひゃっ!?」

 突如背後から聞こえてきた声に、私は思わず驚いてしまいます。

 伸ばす指を止め、背後を振り返ると、そこには寝間着姿のミラ様が立っていました。

「い、いえっ! これはですね……!」

 いきなり早まってしまった鼓動に苦しさを覚えながら、私は慌てて弁明しようとします。

「皆まで言う必要はないわ、分かってるもの。寝ている当主を見れば、触ってしまいたくなるのも理解できるわ」

 ひ、否定をしたいのですができません……ッ!

「そういう時はね、こっそりじゃなくていいのよ……堂々と触ってやればいいの!」

「堂々とですか!?」

 それだとレイシア様が起きてしまいます。

 それに、触っていると分かれば気分を害してしまう恐れも……。

「大丈夫よ。いざとなったら私の魔術で逃げればいいだけだもの」

「怒られる前提で動かれるぐらいならしない方が……」

「いい、こう考えればいいのよ―――触りたくなるぐらい可愛い当主が悪いんだって」

 綺麗な責任転嫁です。ここまで清々しいのは久しぶりに聞いたように思います。

「というわけで、ちょっと失礼するわ」

 ミラ様はベッドの上に腰を下ろすと、そのまま勢いよくレイシア様に抱き着きました。

「あぁっ! これよこれ! 当主はちっさくて柔らかくて最高だわ! 肌もすべすべ、こんなに可愛い……はぁ、生きていてよかったわー」

「うぅ……」

 思い切り抱き締められたレイシア様はうなされているような苦しい顔をしました。

 しかし一方で、ミラ様は恍惚とした顔でレイシア様に抱き着き、可愛らしい顔に頬擦りをします。

 ……私はこれほどまでに幸せそうな顔をしている人をあまり見たことがありません。

「一日の始まりは当主からね……やっぱり、こうして当主成分を補給しないと頑張れないわー」

「そ、そうですか……」

「はい、次はソフィアね」

「私ですか!?」

 ミラ様が寝ているレイシア様の体を起こして、そのまま私に預けてきます。断る前に私の胸に収まってしまったレイシア様からは、ほんのりと甘い香りが漂ってきました。

 そして「やってはいけない」という気持ちの上から「やってみたい」という気持ちが芽生えてしまいます。

 この小柄で華奢な体を抱き締め、愛くるしい顔を思う存分に近くで見たらどうなってしまうのでしょうか?

 その先にある幸せに、手を伸ばしたくなってしまいます。

(少しだけなら……)

 ある種の麻薬みたいなものかもしれません。

 ちょっとだけなら、これぐらいは……そういう葛藤のせめぎ合いで、流されてしまう言い訳を見つけて前に出す。

 今の私はきっとそのような状態なのかもしれません。しかし、そうと分かっていても逆らえないような感覚が―――

「え、えいっ」

 衝動に身を任せ、胸に収まっているレイシア様を後ろから思い切り抱き締めます。

 全身で感じられるレイシア様の温かさ、眼前にまで迫る可愛らしい顔立ち、柔らかくも触り心地のいい肌に、サラリとした銀髪。それら全てが一心に感じ取れ、胸の内に多大な幸福感が押し寄せてきました。

(ミ、ミラ様が好きになるのも分かる気がします……)

 少し、と言いながらまだまだ触っていたいという気持ち。本当にこれは麻薬です。一度味わってしまえば、もう離したくなく―――

「んんっ……」

 その時でした。レイシア様が目を覚ましてしまったのは。

「ソフィア、ちゃん……?」

「ひゃ!?」

 その声が聞えた瞬間、令嬢らしからぬ口から変な声が飛び出してしまいました。

 咄嗟に誤魔化そうとしても体が硬直してしまい、抱き締めている腕がそのままレイシア様に残ってしまっています。それ故、徐々に意識がはっきりとしてきたレイシア様はゆっくりと私の方に顔を向け、可愛らしく首を傾げます。

「えーっと……抱き枕、ほしかったの?」

「ち、違いますっ!」

「もしかして、前はずっとお気に入りのぬいぐるみがあって、それがないといけなかったからとか……」

「ほ、本当に違うんですっ!」

 慌てて否定しましたが、もしかしなくても肯定してしまった方がよかったかもしれません。

 レイシア様が可愛らしくて抱き締めてしまいたかった―――などと、本人に向けて言えるはずもないのですから。

 それに、まだまだ知り合ってほんの少しの時間。加えて、お世話になっている身にもかかわらずこんな不敬。彼女は悪名高いレイシアファミリーの当主です。これで気分を害してしまえば、私の首が飛んでしまうかもしれません……ッ!

「あのっ、その……申し訳ございませんっ!」

「どうして謝るの? ミラじゃあるまいし、別に抱き締めた程度で怒らないよ~!」

「私はダメなの、当主?」

「うん、そこはかとない身の危険を感じるからね。ミラはえぬじーなんだよ」

「差別だと思うの、当主! ただ、一人の恋愛対象として見ているだけじゃない!」

「それがダメなんだけどね!?」

 た、確かに同性で恋愛対象というのも……レイシア様が身を隠すように私に抱き着いてくる気持ちも分かる気がします。

「もぅ、二人共朝から私に何をしてくるの。ソフィアちゃんは別にいいんだけどさー、ミラはダメなんだけどさー」

 そう言って、レイシア様は私の胸に顔を埋めて───

「……やっぱり、ソフィアちゃんも嫌だ」

 すぐに私から離れ、端の方で小さく足を抱えてしまいました。

「いきなりどうしたの、我が当主?」

「レイシアちゃんのたわわが、私を傷つけるんだもんっ! 顔がね! 沈むんだよ!!!」

「え、えーっと……」

 これは、私は何も言わない方がいいですね……。

 小さく蹲り、拗ねた姿を「可愛いです」と思いながら、私は苦笑いを浮かべました。

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