第5話

「こんなところで何してるの?」

「ッ!?」

 すると女の子は思い切り肩を跳ねさせ、勢いよく顔を上げて私の方に向いた。

 フード越しから覗いたあどけなくも美しく整った顔立ち―――そして、宝石のように透き通った琥珀色の双眸に、一瞬だけ目を奪われてしまう。

 だけど、その瞳は……酷く怯えて揺れているように見えた。

「こんなところにいたら危ないよ? 何があったかは聞かないけど、人が多い場所に―――」

「……ッ!」

 私が言い切る前に、その子は勢いよく立ち上がって私の横を通り過ぎようと走り出す。

 だけど、通り過ぎる直前……急に立ち止まってそのまま足を押さえて蹲ってしまった。

 見ればその子の足は赤く腫れ上がっていて、小さな切り傷から少しだけ血が出ていた。

「だ、大丈夫!?」

 私は慌ててその子に駆け寄る。

 顔を覗くと、その子はとても痛そうに顔を歪ませていた。

 どうしよう……明らかに怪我してるし、早く治療してあげないと。で、でも私は治療できないし……治療してもらえるところに運ぶ? いや、でも悪党の私が行ってもいいところなのかな? かといって、私のアジトに連れて行くわけにはいかないし───まぁ、いっか!

「待っててね! 今、私が怪我を治してもらえるところに運んであげるから───」

「だ、大丈夫です……」

 だけど、その子は私の行動を拒んでしまった。

「いや、でも怪我してるじゃん! 早く治療しないと悪化したら大変だし……」

「これぐらい、大丈夫ですから……それより───」

 その子は私から距離を取るように顔を後ろに向けると、ゆっくりと口を開いた。

「あなたは……誰ですか?」

 ……なんて答え難い質問なのかな。

 指名手配されている悪党がしてたくないことって自己紹介なんだよね。ほら、「私は指名手配されている悪党です!」って言ったらそのままお縄だよ。大きな声で叫ばれたら私は泣くよ?

「え、えーっと……通りすがりのシスター、です?」

 修道服を着てるから、多分これで大丈夫……大丈夫、だよね? 他のシスターと着ている修道服が違うけど。

「……私を追ってきたわけではないのですか?」

「ん? いや、別にたまたま見かけちゃったから声をかけただけだよ?」

 もしかして、この子は追われている人なのかな? だったらどうしてここにいるのかとか、どうしてそんなにボロボロなのかとか納得できるね。

「だったら安心して! 私は別にあなたを追ってる人じゃないから! 人畜無害……安心して私に助けられればいいんだよ!」

「ほ、本当ですか……?」

「うんっ!」

 人畜無害ではないけど。まぁ、この子にとっては人畜無害なはずだから嘘じゃないね!

 私が胸を叩いて安心させようとすると、その子は恐る恐る私の方を向いてくれた。

「……私、あなたの顔をどこかで見たような気がします」

「き、気のせいじゃないかなぁー?」

「そうでしょうか?」

 私はこんな子に会った覚えとかないし、きっと手配書で私の顔を見たんだね。

 ちょっと回れ右をしたくなってきた。

「まぁ、構いません……見ず知らずの私を心配してくださってありがとうございます。ですが、治療は必要ありません」

「どうして? 怪我してるじゃん!」

「これぐらい、たいしたことはありませんので……」

 たいしたことないかもしれないけど……足を押さえるぐらいに痛いんじゃないの? 私、馬鹿じゃないから分かるんだ……これって痩せ我慢って言うんだよね!

「瘦せ我慢はダメだよ! 大したことなくても早く治療するに限るんだから!」

 私はその子の手を掴んで、そのまま腰に手を回して抱え上げた。

 あ、腕がプルプルしてる。でも、魔術を使ったら驚かれそうだし、我慢我慢。

「ひゃっ!? な、何をするんですか!?」

「何って、今から近くの治療できる場所を探して連れて行くんだよ!」

「ほ、本当に大丈夫ですからっ! そ、それより私と一緒にいるとあなたにまで迷惑をかけてしまいます《・・・・・・・・・・・・・・・・・》!」

 その子が腕の中で離れようと暴れてくる。

 ただでさえプルプルしてるのに、暴れないでほしい。落っことしちゃうから。

 それにしても―――

「やっぱり、追われてるんだね」

「ッ!?」

 その子の動きがピタって止まった。恐らく、予想が当たってるんだろう。

「あ、あの……」

「あ、別に追われてるから突き出そうとか考えてないよ? そこだけは信じてほしいかな。私、どっちに加担しようとかまったく思わない派だからね! どちらかというと、目の前にいる人の味方になろうって思っちゃう感じだから!」

 私はフードから覗くその子の顔に向かって安心してもらうために笑顔を向ける。

 不安を滲ませた琥珀の双眸が揺れ、桜色の唇が何か言おうと何度もパクパクと動く。

 だけど私の気持ちが伝わってくれたのか、やがて小さなため息を吐いて私の服を摘んだ。

「はい……わけあって、追われているのです」

「ふぅーん、そっか」

「……聞かないんですね」

「別に興味がないからねぇ~。あ、抱え方変えてもいいかな?」

「あ、はい。それは構いません……」

 よかった……いや、もう正直に話しちゃうけど腕がキツかったんだよ。私、魔術がなかったらか弱い女の子なんだもん。

 私はその子を一度下ろすと、しゃがんで背中を見せた。

「はい、おんぶでいいかな? っていうか、こっちにしてほしいな」

「私は大丈夫です。でもいいんですか? 見ず知らずの人にこんなに優しくしていただいて」

「気にしない気にしないっ!」

 その子が乗ったことを確認すると、私はそのまま立ち上がる。

 うん、さっきよりは持ちやすいや。これならなんとか運べそう。

「それで、追われてるんだったらどこで治療してもらおっか? 教会じゃダメだよね?」

「お恥ずかしい話、教会にも恐らく手配書が回っていますので……」

「うーん、どうしよっかな? だったら、大きな薬屋も難しいだろうし、手配書が回っていなさそうな薬屋を探すしか……」

 でも、そうなってくるとこの街に疎い私が探すとなるとかなり時間がかかっちゃう。

 いっそのこと、アジトに連れて帰っちゃう? でも、そうしたら私の正体がバレちゃうし。

(ほんとにどうしよう)

 私は行く宛てもなく路地を歩きながら頭を悩ます。

 すると———

「ちょっとそこの君、少しいいかい?」

 不意に背後から声をかけられた。

 顔を見せないよう、慎重に視線だけを後ろに向ける。

そこには、甲冑を着た二人の騎士の姿があった。

「ッ!?」

 背中越しに女の子の息を飲む音が聞こえる。つまりは、そういうことなんだと思う。

「……どうかしたの?」

 後ろを振り返ることなく、私は返事をする。

「今、我々は一人の女の子を探していてね。君も知っているだろうが、手配書に書かれている元公爵家の少女だ」

「この街にその女がいるって話だ。ボロボロのローブを着ていると騎士団の方に情報が回ってな。お嬢ちゃん、もしよかったらそのおぶっている子の顔を見せてくれねぇか?」

 穏便に捕まえようとしているのか、はたまたまだこの子がその手配書の女の子だと確証がないのか分からない。

 でも、二人の騎士はとりあえず乱暴しようとはしないっぽい。

「…………」

 私の服を握る手が強くなっているのを感じる。体は震えていて、怯えているのが分かった。

「(大丈夫だから、ね?)」

 私はその子の手にそっと手を当て、安心させるように小声で話しかける。

「多分、人違いだと思うかな~? そもそも、手配書なんか知らないんだよ」

「探しているその女の子は罪人なんだ。一刻も早く捕まえないといけない―――だから、そのおぶっている子の顔を見せてくれないか?」

「俺も女の子相手に乱暴はしたくねぇ。大人しく、顔だけでも見せてくれ」

 私が拒むと、二人の言葉が強くなってくる。

 多分、これ以上拒んだら武力行使になっちゃいそう。

 でも、正直逃げ切る自身もあるんだよね……何年悪党やってきてると思うの? そこら辺の騎士が集まったところで、私は捕まえられないんだよ、えっへん!

「(……もう、大丈夫です)」

 だけど、この子は違った。

「(これ以上、あなたに迷惑はかけられません。私のことは大丈夫ですから……こんな私に優しくしていただいて、ありがとうございました)」

 騎士達が武力行使に走りそうなことはこの子も感じていたんだと思う。

 だからこそ見ず知らずの私に迷惑をかけないように―――匿った罪人として私も追われないように、この子は逃げることを諦めたんだ。

 それは……消え入りそうな声で分かった。


 けど―――そんなのは許さない。


 私は、その子をゆっくりと下ろす。

「(本当に、ありがとうございます……優しくしていただいて、本当に嬉しかった―――)」

 そして私は振り返り、その子に向き直った。

「んなっ!?」

「君は……ッ!?」

 すると、騎士達の驚く声が聞こえた。

 当然だよね……私、今顔を見せちゃったんだから《・・・・・・・・・・・・》。

 でも、私は驚く騎士達の目は見ない。ちゃんと、その子の瞳に目を向ける。

「諦めるのはまだ早いよ、まだできることはしてないじゃん」

「……え?」

「君は私に気を遣ってくれた。優しい女の子なんだね、それはすっごく分かったよ」

 きっと、ここに至るまで一人で頑張ってきたんだと思う。

 誰の手も借りず、誰にも迷惑をかけず、一人でずっと……自分の不幸と向き直って、それでも諦めきれずにここまで逃げてきた。立派だよ。凄いと思う。

 だからこそ、そろそろ誰かの手を借りてもいいと思うんだ。

 ここに―――手を差し伸べてくれる人がいるんだから。

「でもね、君はまだ「助けて」って言ってないよね? 一人で抱え込んで、一人で諦めて―――それで君は納得する? 後悔なんてしない? 君は……幸せになれる?」

 キン、と。鞘から剣が抜かれる金属音が聞えてきた。騎士達が抜刀でもしたんだと思う。

 それでも、私はその子の瞳を覗き込む。

 するとその子は徐々に瞳に涙を浮かべ、震える声で私に言葉を投げた。

「ですがこれは私の問題です。誰にも、迷惑なんかかけられません……」

「そんなの、頼ってみないと分かんないじゃん」

「私は罪人なんですっ! 追われる身、罪を犯した人間です! 誰も手を差し伸べてくれる人はいません! 当然です、私はそれだけの罪を犯したのですから!」

「けど、納得してないから逃げてきたんでしょ? 間違っているから、反省なんかできないから、今君はここにいるんだよね?」

「ッ!?」

 それに———

「どうして「助けてほしい」って言ってもないのに諦めるの? どうして、誰も手を差し伸べてくれないって決めつけるの? まだ、私はそんな言葉は聞いてないよ?」

 分かるよ……君の気持ちはすっごく分かる。普通に考えれば、罪人に手を差し伸べる人なんかいない。君の立場では、救いの手を差し伸べられることは何一つない。

 でも、でもね……そんな人のために、私がいるんだよ。

「言ってみるんだよ! まずは目の前の人間に「助けて」って! 君が諦めるのは、私の返答を聞いてからでもいいんだから! 勇気を出して、前を歩きたいと望むの! 君が本当に諦めたくないって望むのなら―――私が、君に救いの手を差し伸べてあげる」

 高らかに、訴えるように、私はその子に向かって叫んだ。

 琥珀色の双眸が揺れる。開きかけた口が何度もパクパクと動いた。

 拳を握り締め、涙が地面に零れ落ちる。

 何秒か、何十秒か? 時間経過が分からなくなっちゃう静寂が私とその子の間に広がった。

「おね、がい……しますっ」

 そして———

「わ、私を……助けてくださいっ!」

 震える声で、嗚咽の混じった声で、その言葉・・・・を口にした。

 だから私はその子の横を通り過ぎ、騎士達の前に立ちはだかった。

「いいっ! いいよ、その言葉! その言葉を受けたからには、私は救いの手を差し伸べなければならないっ!」

 こんな子がいるから。

 救われないはずだと思っている人がいるから。

 救われない哀れな人間がいるから。

 私は、何度でも己の理想を突き進められる。

「救いを求め、助けを願った君に私は名乗るよ」

 黒く染まった修道服が、金色こんじきに染まる。


「私はレイシアファミリー当主――――大罪聖女、レイシア! 悪党を倒し、悪党を従え、救いの手を差し伸べる者!」


「……えっ!」

 その子の驚くような声が聞えた。目の前にいる騎士達が顔をこわばらせ緊張感を滲ませた。

 だけど私は、顔に笑顔を浮かばせて振り返った。

「さぁ、救われぬ者よ」

 もう一度、私は尋ねる。私が初めて大悪党のおじさんに向けられた言葉で。

「大悪党が差し伸べる救い―――手に取るかい?」

 背中に、紅蓮の翼が生えてきた。

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