『利久徒』、君の名前の由来


 僕らの息子は予定日より一ヶ月早い出生を迎え、この世に誕生した。

 さすがに「お父さん」とは泣かなかったけど、大きな産声だった。



 時が過ぎるのは早いもので、息子はあっという間に三歳になった。

 生意気になり、自分からりんごを強請るようにもなった。


「おとうさん、りんご。あかいとこはとらないで。キラキラしてきれーだから」


 どうやらあの時、妻が腹を抱えて蹲った、息子が産まれた日、僕がりんごの皮を剥こうとしたことが気に入らなくて妻の腹の中で暴れ回ったらしい。

 ありえない、偶然だとは思うが。

 僕たち夫婦は、それが正解だと信じている。

 息子はとても賢い、将来は偉大な人物になるだろう。

 断言する、だって彼は僕の息子なのだから。


 二人でりんごを食べ終え、洗い物が終わると同時、休日出勤をしていた妻が帰宅した。


「遅くなってごめんなさい。じゃあ、行きましょうか」


 微笑んだ妻が、息子の右手を握る。

 僕は頷き、息子の左手を握った。

 三人揃って玄関を出て、足並みを揃えて歩き出す。





『本当の自分を探す』と言って飛び出したきり、実家には帰っていなかった。

 連絡先も伝えておらず、五年近い音信不通期間。


 利明の父親、僕を育ててくれた父さんは僕と妻、そして夫婦の間にいる子どもを見て涙を流した。


「おかえり、利明。えぇっと……」


 困惑した表情の父に妻と子どもの名前を伝えると、その顔が穏やかな笑みに変わった。


「いらっしゃい……いや、おかえりでいいかな……おかえり、俺の孫子」




 次に向かったのは、四年前と何も変わらないボロアパート。

 玄関のドアを開けた瞬間、大久保葉、僕に命を与えてくれた父さんは「おぉ……おぉ」と歓喜の声を上げ、やはり涙を流した。

 可愛い孫と綺麗なお嫁さんを汚い部屋に上げることは出来ないと、玄関先で十分程度の小話をしてその日はお別れした。




 家に帰る途中の道で、息子が躓いて転びそうになった。

 両手を繋いでいたので転んではいないし怪我もしていないが、怖かったらしく盛大に泣き始めた。


「大丈夫よ、お父さんがおんぶしてくれるから。ね、秋徒さん」


 妻に目配せされ、僕はしゃがみ込んで二人に背中を見せる。

 喜んで飛びついてきた息子が、僕の耳元でうふふっと笑った。


「ありがとう、お父さん」


 その声が可愛くて、嬉しくて。

 僕は立ち上がって一歩踏み出した。

 当然のように、僕たちの横に並ぶ妻。

 夕暮れの中、三人で家族の家へと向かった。





【本当の自分】



 それが何であるかの答えはまだ、見つかっていない。

 だけど一つだけ確かなことは、【自分はこの子の父親だ】ということ。


 何があっても絶対、それだけは変わらない。


 同じように、僕を育ててくれた人も、命を与えてくれた人も、【僕の父親】という確かな存在なのだ。



 帰り際、父達(息子の祖父達)に、「また遊びに来る」と約束した。

 彷徨っている、寄り道をしている場合ではない。



 生きなければ。



 しっかりと生きて息子を育てる、父親として頑張らなければ。

 そう思わせてくれた、僕に【父親】という存在意義を与えてくれたのは、背中にぴったりと貼り付いている小さな命だった。


「ありがとう、利久徒りくと


 呟いてしまった言葉に、息子が返事をした。


「どーいたしまして!」


 その声が本当に、本当に愛おしくて。

 夕日を見上げた僕たちは、家族三人、みんで一緒に笑い合った。



 いつか君に伝えよう。


 お父さんの最初の名前は『利明』っていうんだ。

 アパートのお爺ちゃんは『大久保』って苗字だね。

 お父さんの今の名前は『田畑秋徒』


 もうわかったかな、『利久徒』



 君の名前の由来はね––––




* * * 終 * * *

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