第2話軽食

 広いエントランスはひんやりしていた。

家令スチュワードの持つ燭台の灯りだけなので、薄暗くはっきりとは見渡せないが、床は大理石の板が敷き詰められているようだった。


 天上は高く、中央部が尖っているようなアーチ型の梁が四方から巡っていて、中央には巨大なシャンデリアが吊られていた。

灯はともされていないので、蝋燭の薄明かりのなかで、その黒い影だけが浮かんでいた。


 正面の壁には大きな絵が飾られており、白いローブをまとった数人の少女が、泉のまわりで花を摘む姿が描かれていた。

「ニンフです」

彼が立ち止まって絵を眺めていると、後から家令が説明した。


「ニンフ?」

「はい、妖精の一種とでもいいましょうか。この娘たちは、泉を護るニンフたちです」

「なるほど、美しい」

彼が、幻想的な絵を眺めていると、家令が燭台を近づけてくれた。


「お気に召しましたか」

家令が尋ねた。

「絵のことはわからないが、なぜか惹かれる」

「さようですか、それは作者である当主が喜びます」

家令は言って、燭台を通路の方へ向け、先へと促した。


「どうぞ、客間にご案内します」

「ありがとう」

男は、絵と別れるのが名残惜しいような気持ちになるのを、不思議に思いながらも、その場を離れた。


二人が去った後で、少女たちのローブがゆっくりと黒く染まり、清楚に微笑んでいた顔が、妖艶な笑みに変わって行ったのは、誰も見ていなかった。


 通路の天井も高く、真っ直ぐに伸びる柱の上から、エントランスと同じような梁が、アーチを描いていた。

柱と柱の間には大きな窓があって、夜のため外の様子はみられなかったが、燭台の光りに照らされて、ステンドグラスらしい絵柄がキラキラと反射していた。


 あたりには人の気配はなく、静まりかえっていた。どこをどう歩いたのかわからないが、長いこと歩いて少し疲れて来た頃に、客間に到着した。


 通された客間はこじんまりしていて、男は少しほっとした。あまり豪華なしつらえでは、庶民感覚の彼には、居心地が悪い。


 それでも、つややかな焦げ茶色で揃えられた家具のあちこちには、複雑な模様の装飾がほどこされていて、おそらく高価なものだろうと思われた。

 

 革張りのソファに腰を下ろして、落ち着きなく部屋を見回していると、家令が聞いててきた。

「そういえば、お名前をうかがっておりませんでした。よろしければ、お教えいただけますか」

本村義人もとむらよしとです」

「本村義人さま。ありがとうございます。今、お茶と軽食をお持ちしますので、晩餐まで、ここでおくつろぎください」


「晩餐?」

「はい、本村様の他にも、幾人かの迷い人が滞在しておりますので、その方たちとご一緒になります。お時間になりましたらお知らせに参ります」

家令は、丁寧にお辞儀をして、部屋を出て行った。


 本村は、家令が出て行ったのを確認すると、ふうと大きなため息をついた。だいぶ緊張していたらしい、肩のあたりが固まって凝っているのを感じた。

ゆっくり首を回して、ほぐしていると、ノックの音がした。

「どうぞ」

声をかけると、静かにドアが開いた。


 微かな衣擦れの音をさせて、ワゴンを押したメイド服姿の女性が入って来た。

足首までの黒く長いスカートに、首の詰まった黒いブラウス。身ごろにフリルのついた白いロングエプロン。

長い髪を後でひっつめにまとめた、控えめなスタイルだった。


 彼女は軽くお辞儀をすると、テーブルの上に、一口サイズの薄いサンドイッチとプチフールが乗った皿を置いた。

手慣れたように、ワゴンの上でカップに紅茶を注ぎ、静かに彼の前に置いた。


「ありがとうございます」

本村が礼を言うと、彼女は驚いたように目を見開いてから、口元を少し緩ませて、深々と頭を下げた。


 それから、紅茶のお代わりが入っているのだろう、銀色の盆に乗せたティーポットと、砂糖、クリームの入った壺を置き、また静かに部屋を出て行った。


 ふうう、と。再び長い息を吐き、彼は紅茶を口に含んだ。

いつも飲むティーバッグの薄い紅茶とは違う。香り高いが、少し苦くて濃い味がした。


 もしかしてと思いついて、角砂糖を一つと、クリームを少し入れて飲んでみると、これが正解だったようだ。

クリームで苦みが抑えられ、香りが強調された。ほんのりの甘さも疲れていた体には心地よく受けいれられた。


 薄いパンに、キュウリを挟んだだけのサンドイッチも美味しかった。塩味しかしないシンプルさではあったが、一つ食べてみると、自分が空腹だったことが思い出された。


 皿に乗っていた数切れを食べてしまう頃には、急に感じた空腹感はほどよくおさまり、緊張もほぐれてきた。


 ふうと、今度は満足の息を吐き、彼は紅茶のお代わりをカップに注いだ。


 プチフールは、一口で食べられる小さなケーキだ。ビスケット生地で作った器に、カスタードクリーム。上に赤いベリーが飾られていた。

もう一つは、四角いチョコレートのスポンジ生地に、オレンジの皮の砂糖漬けが乗っていた。


 いずれも、四度よたび目のため息が出るほど、美味しかったのは言うまでも無い。

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