2 アメジストの月、13日、月曜日
ラットは目覚めてもなおぼんやりとしていた。
これは夢だ。
だって、地面がこんなに柔らかいわけがない。外に天井があるわけもない。
それに、アメジストの月なのにこんなに温かいわけがない。
自分の体から石鹸みたいないい匂いがするわけもないし、何より自分の体がもう動くわけがない。
ラットはパチパチと目を瞬かせる。天井には手を伸ばしても届かない。
掌を見つめた。ボロボロの爪だ。だが、汚れてはいない。
ゆっくりと、周囲を警戒しながら上体を起こしてみる。柔らかい毛布が、ラットの掌に弾力を返してきた。
さっきまで頭を預けていたらしい大きな枕も、ベッドも、怖くなるぐらい柔らかくて、ラットは、これはやはり夢なんだと悟った。
きっと死ぬ前に、神様が見せてくれた幸せな夢なんだと。
その時、静かに扉が開いた。
巨大なベッドがこの寝室の中心にあって、扉はベッドで頭を向ける側の壁についてある。
ラットは、ベッドから飛び起きようとした。しかし、すぐに立ちくらみに襲われ、ベッドから出られなかった。
開いた扉から、手押し車に乗せられたトレーが現れた。
「具合はどうですか?」
ラットはできる限り扉の方を睨みつけながら、毛布を体に巻き付けて身を守ろうとする。無意識での行動だった。
手押し車を押しながら、一人の男が寝室に入ってくる。
執事の格好をした背の高い男だ。
「・・・あの」
頭まで毛布にくるまったラットに、男は恐る恐る話しかける。
辺りに気まずい沈黙が立ち込める。
男はラットの怯えを察知して、ベッドから離れた。
足音が離れていくことを不思議に思ったラットは、わずかに毛布から顔を出した。その時、男の容姿がわかった。
強そうな奴だ、油断できない。ラットはそう感じた。
男は手押し車をベッドの脇に持ってきた。トレーの上には丸い蓋が載っている。
「御夕食を、と思ったのですが・・・起き上がることはできますか?」
男が丸い蓋をパカっと取り除いた。するとそこには、若鳥を蒸して赤いソースがかけられた、なんとも香ばしい香りのする料理があった。
香りにつられ、ラットの鼻が毛布から出る。
男は無理に毛布を剥ぎ取る様な真似はせず、ただベッドの脇で待ち続けた。
そうして五分程が経った。
紳士的な男は、苦笑いを浮かべた。無理もない。
「あの・・・食欲がない様でしたら下げましょうか」
片手に丸い蓋をとって、それを料理に被せようとする。
とうとうラットは我慢がきかなくなり、毛布からもぞもぞと出てきた。
その体を見て、男は安心した。
寝巻きにと着せた青いパジャマから覗く、男よりも少し濃い色の肌には、汚れひとつ無い。所々に見られるかすり傷や火傷の跡を除けば、綺麗な肌だ。
屋敷に連れ帰って念入りに体中を拭いてあげた益があった。
「それ、くれるのか?俺に?」
ラットは、料理を指さした。もう空腹は限界なのだろう。男への警戒心を無視して質問するほどに。
男は微笑み、トレーを持ち上げた。
「ええ。あなたのものですよ」
ラットは男の言葉に目を見開いた。信じられないものを見ている様な顔だ。
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