2:咒禍



 A.D.2XXX。

 この世界にはいつの頃からか、自然現象としては特異すぎる被害が発生するようになっていた。

 何もない場所で、不自然な突風や破壊現象が頻発し、人々にも影響が及んだのだ。

 学者たちがその原因を突き止めようとしてもなかなか答えは出ず、ただ、そこにエネルギーが発生していることだけが事実だった。

 なのに、何もない。

 次第にそれは忌避される現象として、のろわれたわざわいとして、咒禍じゅかと呼ばれるようになった。


 と同時に一部の幼い子供達が、咒禍じゅかの発生現場を見て、黒い獣が悪さをしていた、と証言するようになる。最初は子供のたわ言と相手にしなかった大人達だったが、徐々にそれは信ぴょう性を帯び、一部の子供達にだけ見える何かがあるのだと肯定するに至った。


 ……咒禍じゅかと呼ばれる特異点の発生と、それに伴ってごく僅かずつ生まれ始めた、咒力の因子を持った子供たち。

 それは徐々に世界を侵食し、現在に至る。

 日常の脅威となり、多くの若者が肉眼で検知出来るようになった咒禍。そして更に一部の若者は、生まれ持った咒力を糧に咒具を扱い、咒禍に対抗出来るようになったのだ。


 国立・咒力じゅりょく技術高等学校(通称:咒技校じゅぎこう)は、そんな咒力を扱える特殊な子供を集め、特異点の影響で発生する禍いに対抗するために設立された、国立の最高峰養成機関の高等部である。

 とはいえ、高等学校であることに変わりはない。

 選ばれし咒力を持った者だけが入学できる咒技科というエリートクラスの他にも、咒力がなくても入学できる普通科や工業科、情報科、看護科も存在する。

 ただし、それら全ては咒技科のためのサポート学科としての位置付けが大きい。

 最高峰の教育を受けさせつつ、将来、咒操士をサポートする職に就くことが約束されたも同然な裏方学科だ。


 普通科二年に所属する御神楽みかぐら れいも、卒業後は【咒力技術連盟】の職員に志願することを建前として、学費無料の奨学金制度に飛びついた一人だった。




「次はどっちだ!?」

「えぇと……あっち。そこの路地裏狭いから、バカみたいに咒具振り回すのはやめとけよー」

「オッケ、見つけた。……つか、一言っ、多いんだよ……っ! ……よーし、一丁上がり〜」

「あー……まだ反応消えてないや。ということは、次はそこの横の通路かな……?」

「あいよ。……あー……見えねぇなー……」


 少し離れたところで咒禍を探す由賀を確認しつつ、手元のスマホに視線を落とす玲。

 探知班の情報では、まだ咒禍の反応がこの付近にあるらしい。

 もっと正確に分かってくれれば、バイトごときの自分が、業務外でこんなしんどい思いをせずに済むのに……なんて毎度の愚痴を心の中にしまいつつ、これまでの情報を元に、現在の状況と独自の経験から導き出した係数を掛け合わせて、残った咒禍の位置を絞っていく玲。


「その奥に進んだところの可能性が高い」

「うい。……離れてろよ」

「言われなくても」


 展開したままの長刀の咒具を構えた由賀が、先を行く。

 その後方から様子を伺いつつ、状況の把握と分析を行ってデータの蓄積を行うのが、未来の情報局職員【候補】である、アルバイトの玲の役割だ。……いや、本来ならただの裏方である職員が、現場の最前線で咒操士と行動を共にする必要など全くない。玲以外の情報局職員は、事後に探知班のデータや咒操士じゅそうしの戦闘履歴を確認して、データベースに入力する程度だ。

 だから業務時間外に業務範囲外の呼び出しなんて、バイトである玲が応じる必要もないのだが……何故か毎回毎回、事あるごとに巻き込まれるから不思議だ。


 そして全く望んでいないのに、嫌が応にも慣れてしまった由賀の後方支援業務は、……絶対に割りに合わない。


「そっちじゃない、由賀!」

「…………!?」

「頭上!!」

「…………っ!」


 玲の叫んだ声に即座に反応し、頭上に掲げた長刀で、垂直落下してきた咒禍を弾き返した由賀。

 重たい衝撃音と共に、歯を喰いしばってその圧に耐えた由賀の小さな呼吸音が聞こえた。


 玲は捲き上る砂埃に目を細めながらも、咒禍の行方から目を離さない。

 素早く態勢を戻した由賀が目の前を駆け抜け、大きく跳躍するのを鋭い目線で追いつつ、咒禍の動線を常時推測していく。


 咒禍は、それ単体での意思や思考は確認されていない。だから暴れ回る動きに、確定している法則やアルゴリズム等といったものは、一般的には特定されていないとされている。


 ……ただ、玲には何となく、その動きの先読みが出来るのだ。


「高く上がったら電線を伝ってそっちの建物に移動するはず……!」

「……っち。ここに入られたら玲は追えねぇな……」

「あ、お気になさら――」

「掴まってろよ……っ!」

「だぁああからぁぁああああああああっ!!!」


 冷静に場の構造と空気感、相対する咒禍の雰囲気なんかを感じ取って予測の更新を行っていた玲を、走り寄ってきた由賀がタックルする勢いで腹回りに手を回し、そのまま物凄い脚力で抱えたまま飛び上がった。


「そぉいうとこぉおおおおおおっ!!!」

「舌噛むぞ」

「…………っ!!!」


 声にならない悲鳴を上げる玲を全く意に介さず、咒力によって強化された身体能力をフルに使って、ビルの合間を反復して蹴り上がっていく由賀。


 一呼吸で、落ちたら死ぬ高さになっている自分の足元に目眩がしそうだ。

 恐ろしく心臓に悪い。


 毎度毎度、こうやって無理やり最前線に連れて行かれるから嫌いなんだ。

 頭のネジが外れた咒操士じゅそうしたちと一緒にしないでほしいと何度も言っているのに、由賀には全くピンとこないようだから理解不能だ。……曰く、絶対に自分が受け止めるから何も怖いことはない、らしい。自己中にも程がある。


 人事局で手伝いをしている先輩にも直訴してみたが、危険手当とかいって微々たる報酬が上乗せされただけだったのだから世知辛い世の中だ。


「……いた……あっち……!」

「どっちだよ!」

「こっちだよっ!!!」

「いっ……あぶねーだろっ、頭を掴んで向かせるなっ!」


 この状況で、どっちから見て右やら左やらを説明するのが面倒になり、目の前の頭を掴んで振り向かせたのだが、盛大に怒鳴られてしまった。

 しかしすぐに視界に捕捉できたのか、玲の示した方向へと跳躍した由賀。改築工事が止まったままらしいビルの、組み上げ途中の足場に着地すると、すぐに開いていた窓から中へと飛び込んだ。


「どっちに行った?」

「たぶん向こう」

「攻撃は?」

「来ない」


 玲は、抱えられたままという状況をそろそろ諦念しつつ、由賀の問いに即答していく。


 確かに、自分が現状を<視た>方が早い。役割分担だ。

 黒い影のような咒禍が、縦横無尽に無機質なビルの中を駆け抜け、窓や壁を破壊していってるような状況では、素早い対応だけが正義なのだから。


 玲を抱えつつも展開した咒具を片手にいつでも対応できる様子の由賀を確認して、先回りを指示していく。が、


「あ、そっち無理だ。来る」

「おま……そういう事は先に言え……っ!」


 予測が少しズレ、由賀を襲うように咒禍が正面から飛び込んできた。


 同時に、抱えていたお荷物である玲を放り出し、両手で構えた長刀で咒禍に斬りかかる由賀。


 基本的に、咒禍には咒具でしか対抗できない。

 生身のまま咒禍に触れると火傷や裂傷となってしまうし、場合によっては重篤な意識障害が発生する。例外として、咒力を身に纏った咒操士だけはそれを相殺できるのだ。

 だから咒力を持たない玲は、放り出されたと同時に壁際に寄って避難する。


 こういう時、変に頑張ったりしないのがポリシーだ。


 抱えられていたせいで、すぐには足の力が入らない玲は、咒禍と渡り合う由賀を壁に膝をついて見上げ……そして焦ったように声を上げた。


「……っ、由賀っ!!」

「く……っ」


 由賀の長刀が、大きく膨れた咒禍の輪郭を二つに切り裂いた。……と思ったのに、咒禍はそのまま二つに分裂して攻撃を仕掛けてきたのだ。


 手応えが薄かったせいで由賀の態勢は崩れ、少し前につんのめった隙に、咒禍が背後の二方向をつくような形になってしまった。


「……やば……っ」


 長刀一本では、防ぎきることが出来ないだろうタイミングだ。


「そのまま頭を下げて……っ!」


 玲は反射的に由賀に向かって声を上げた。

 そしてポケットに入れていた愛用のトランプケースを取り出し、腕を振り上げざまに口を開け、咒禍に向かって大きくばら撒いたのだ。


「今っ……!」

「せんきゅ!」


 何枚ものトランプが空を切り裂くように咒禍の輪郭を崩し、数瞬の間が生まれた。

 その機会を逃すことなく、受け身の要領で身体を反転させた由賀が、長刀を振りかぶりながら咒禍に詰め寄る。


 ……そこからは早かった。

 素早く咒力を高めた由賀が、一つ目の咒禍の核を破壊し霧散させ、次いでその動きを止めることなく踊るように二つ目の咒禍の核に傷を入れる。


 ――ゴォ……ォオ…………!


 流れるような動作で二つに分裂した咒禍を葬り去った由賀。

 目元にかかった黒髪を軽く振り払いながら、長刀を目の前まで掲げて息を整えている。


「……よし、喰ったな。……展開解除」


 由賀がそう呟くと、長刀は再び複雑な形状変化を経て、元の短刀へと姿を戻した。


 赤い下げ緒がひと揺れし、飾りの刻まれた鞘に納刀される。


「っ……はぁー……っ」


 そこまでを一連の手順で済ませた由賀は、ようやく気を抜ける、とばかりに大きな溜息と共に膝に手を置いた。


「あー……疲れた。玲、最後のサポートせんきゅーな!」

「そう思うなら散らばったトランプ拾っといて。俺まだ報告あるし」

「はいはい。誠心誠意拾わせていただきますよーっと」


 玲の冷めた言葉に適当な返事をした由賀が、疲労を和らげるようにストレッチしながら、足元に落ちているトランプを回収していく。

 咒禍に破壊された瓦礫が散らばっているせいで集め回るのは結構大変だが、まぁそこは由賀のせいなので知らん。


 それよりも……、


「あーあ、まだ新しいトランプだったのに……」

「咒技連に経費で申請しとけ」

「わかってるよ。誰かが間抜けなせいで援護用に破損したって詳しく書いとくから」

「おま……っ、性格悪いぞ! 玲が予報した咒禍の後始末じゃねーかっ!」

「後始末って言葉の意味知ってる? 俺は情報局として予報を提供しただけで、討伐するのは咒操士。失敗して逃がしたのは咒操士。お前が、咒操士」

「俺だって尻拭いなんだよっ、知るかっ」


 罵り合いながらも、ダルそうにトランプを回収していく由賀と、報告の為に必要な情報をメモしていく玲。


 スマホには探知班からの咒禍消失確認が通知されていたから、この現場での仕事は報告が済めば完遂だ。後は残務処理部隊が現状回帰の為の様々な手配をしてくれるだろう。


「うわー、こっちの方に落ちてるカードは、もう焦げてボロボロだぜー? 全部回収出来るかー?」

「……最悪置いといたらいいよ。処理部隊が片付けるから、言っとく」

「おけー。……にしても、お前の手品趣味もこういう時には役立つもんだな」

「趣味じゃない、就職活動だ!」

「普通トランプ投げただけじゃ咒禍相手に何の役にも立たねぇけど、玲がやると違うんだから不思議だよなぁ。やっぱり手品を趣味にしてると、トランプ投げの精度でも上がるのか?」

「だから趣味じゃなくて一芸になる予定だからっ!」

「あー、はいはい、わかったわかった」


 摘んでいたトランプの残骸を、フッと吹き飛ばした由賀。煤で指が汚れたらしく、小さく手を払いながら、比較的綺麗なトランプを集めて玲に渡す。


「ほらよ、あとは無理」

「はいよ」

「じゃ、帰るかー」

「待って、まだ報告が済んでない」

「へー。じゃあ俺先行くわ」


 忙しなくスマホを操作していた玲は、あっさりと言い放った由賀の言葉に、一瞬反応が遅れた。


「は……? いや待て待て待て。ここまで連れてきた元凶が、俺を置いて先に帰るとかありえないでしょ」


 既に身を翻して歩き出そうとしている由賀にストップをかける。


 いや、普通に考えて、こんなところに置いていくとかないよね?

 二人で来た……というか、無理やり連れてこられて来てるんだから、帰りも一緒に帰ってくれるぐらいの協調性を求めても良くない?


 ……と、思う心の機微なんて、奴には伝わらないのだ。


「何で? 俺もう終わったし。玲の報告おせーし。……どうせ教室でまた会うだろ?」

「お前と一緒にいたいって言ってるんじゃないんだよ! 察しろよ! ここに置いていかれてどうやって地上まで降りるんだよ!」

「……あぁ。そういえば階段も封鎖されてたな」


 ぽん、と拳を打って廊下を見る由賀。

 改築中のせいか階段はフェンスで封鎖され、エレベーターを設置していたらしい空間も、何もないままなのだ。

 もしかしたら別の場所には使える階段があるかもしれないが、もし無かった場合……外壁周りに組み上げられている足場を頼りに降りないといけない。しかも今回の戦闘で、一部破損しているのがわかっているから、怖いなんていうレベルじゃないやつ。


 ふむ、納得した、と言わんばかりに周囲の状況を確認して頷いた由賀は、振り返って玲を見た。


「よし。じゃ、降りてから報告の続きしろ」

「わぁぁぁああああ待てっ、待て来るなっ、お前の魂胆はわかって――……」


 颯爽と歩み寄って来た由賀が、まるでハグでもしそうなニュアンスで両手を軽く広げたのを見て、玲は反射的に拒絶した……のだが。


「だからお前は何度言えばぁぁあああああ……っっ――……!!!」


 断末魔の絶叫は、ビルの谷間に消えて行ったのだった。



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