4.へっぽこ召喚士、世話係に奮闘する



 翌日、朝日が街を照らし始める早朝に、ミアは与えられた寮の自室から胸を踊らせながら出てきた。


 まだ完璧に覚えきれていない獣舎までの道のりを、見回りをしている騎士達に挨拶を交わしつつ聞いて、何とか獣舎までたどり着く。


 空気の入れ替えをするべく、獣舎に入って一番に丸窓を開けて、檻の中にいる魔獣達一匹ずつに挨拶を投げかけると、ゆっくりと起き始めた。


 日当たりのいい獣舎は、外に出なくとも太陽の光が自然と入ってきて、魔獣達もどこか気持ちよさそうに太陽を浴びている。



「朝ごはんの準備してくるね!」



 昨日シュネルに教えられた通り、獣舎奥の調理室でそれぞれの魔獣が好む食材を混ぜ合わた食事を作る。基本的には雑食な魔獣ではあるが、栄養管理をしっかりとしないと病に倒れてしまう可能性があるからだ。


 バランスが取れた食事は魔獣達の健康維持に繋がり、ミアの大好きなもふもふにも磨きが掛かる。魔獣達の世話の中でも一番を争う大事な作業に、ミアは丁寧に且つ素早く作業をこなした。


 食事の準備が整いそれぞれの檻に餌を与えている間に、寝床の藁を入れ替える。トイレの掃除をして、綺麗になった頃には餌を食べ終わっていた。


 ここの魔獣達は賢い事に、食べ終わった餌の入っていた皿をきちんとミアが取りやすいように配置してくれ、思った以上に仕事はスムーズに進んでいく。


 濡れたタオルで身体を拭きあげると、甘えたような声を出す魔獣達に、朝から幸せを噛み締めていた。



「ほんっとに可愛い……」



 顔が三つあるケルベロスに、鷲の顔に獅子の身体を持つグリフォン、雷を纏うサンダーバード、召喚するのが難しいケルピーまで、揃いも揃っている。


 扱うのが難しく恐ろしい生き物だと授業では散々言われてきて、恐怖を植え付けられていた。だが、実際の所こんなにも愛くるしさを振りまく魔獣に対して、そんな感情はこれっぽっちもなかった。


 一つ一つの檻に滞在する時間が思わず長くなってしまって、気がつけば太陽は真上に上っていた。


 誠心誠意を込めたブラッシングをして、順番に獣舎周囲で手網を握りしめながら散歩をするミアに、なんだなんだと騎士達が遠巻きに集まってくる。



「あの言う事一つ聞かなかった魔獣達を意図も簡単に……」


「すげえなぁ」


「やっとこれで相棒の魔獣を召喚してくれる召喚士が見つかった、って感じだな」


「あれだけ魔獣を手懐けられるんだ。とびきり強い魔獣を召喚してもらいたいもんだな!」



 聞こえてくる声に聞こえないフリをするが、騎士達の言葉が重たく伸し掛るのが分かった。


 これは……世話係の仕事以外にも特訓しておかなきゃ、ここから追い出されそうね。


 学校在学中に低学年でも簡単に召喚できるはずの、妖精フェアリーすら追試の再追試でやっと召喚出来たミアには、中々に難易度の高い課題だ。


 魔獣を召喚しろとリヒトに言われて、彼を召喚せずに場違いの何かを召喚していたら、即座にクビになっていただろう。


 彼を召喚したお陰で、しばらくの間は召喚術を禁じられている。ミアにとってはそれはそれで好都合だったが……悔しい気持ちは拭えない。



「クルル?」


「大丈夫。きっとあなたにもここの騎士達の中でもいい相棒がいるはずよ」



 柔らかい羽毛のグリフォンの首元を撫でながら、再び気合いを入れて次々と散歩をこなした。


 全ての魔獣の散歩が終わった頃には日は傾き、魔獣達が運動後の休憩をしている間に急いで夕ご飯の準備を整え、日が沈んだ頃には寝る前のブラッシングを行う。


 こうして一日の業務を終わった頃には、満足感に比例するように疲労感がどっと押し寄せてきた。


 自室に戻ってからの記憶は全くなく、気がつけば朝日がまた上っていた。


 自分の容姿に気を使う暇すらなく、最低限の支度を整えて獣舎へと急いで向かう。疲れは抜けきっていないはずなのに、魔獣達を前にすればそんな疲れはどこかへ消し飛んで、顔が緩んだ。


 今まで感じたことの無い深い愛情を注がれる魔獣達も、ミアにとことん懐くのも無理もない。


 手際良く世話をしていると、獣舎入口近くの丸窓から人懐っこい顔が様子を伺うように中を見つめていた。



「俺の方が世話してた時間長いって言うのに、すごいねミア」



 訓練の合間に顔を覗かせたシュエルが、魔獣達の懐きっぷりに感服する。最後の一匹のブラッシングを終えたミアは、同じ体勢をしていたせいで凝り固まった身体を解すように伸びをしながら、彼の元へと向かう。



「どう?少しは慣れた?」


「まだまだ手探り状態って感じかな」


「ここまで懐かれておいてよく言うよ」



 苦笑混じりにシュエルは笑うが、ミアは至って真剣だ。


 ミアの求める世話の質には、もふもふ達の更なるもふもふを掲げているため、そう簡単にはいかないのだ。



「最初はやれる範囲でいいんだからね?」


「でも、やれる事をこの子達にやってあげたいの。もしかしたら騎士の皆に心を許して、いい相棒になってくれるかもだし」


「本当にミアはすごいなあ……」


「そう思うんなら、シュエル。お前もちゃんと鍛錬に身を入れろよー!」


「ミアさーん!その魔獣達がいつか心開いたら、俺にも散歩させてくれよな!」


「本当に世話してくれてありがとう!すっげぇ、助かってる!」



 シュエルを連れ戻しに来た騎士達が、ミアを励ますように声を掛けては魔獣達の様子を伺う。気さくな彼らはミアを大歓迎してくれ、時折りこうしてミアの様子を見に来てくれている。


 まだ獣人である騎士達に警戒心むき出しの魔獣達は、彼らに怯え檻の隅に隠れた。


 大丈夫だよと声を掛けると、少しだけ不安が安らいだように目を伏せる魔獣達に息をついた。


 まだ世話し始めたばかりだもんね。ゆっくり時間を掛けて、彼らにも慣れて貰わないと。


 意気込むミアの慣れない生活は、一日、二日と目まぐるしく過ぎていった。


 魔獣達との過ごす時間が長くなれば長くなるほど、ようやくミアは彼らに懐かれているのだと知った。


 最初は控えめに甘えてきたというのに、今はミアが獣舎に来た途端一斉に起き出して、彼女の温もりはまだかと求める目を向けてくるようになった。



「順番だよ〜順番」



 ブラッシングの時が一番酷い。一匹の魔獣が気持ち良さそうにしているのを、他の魔獣は羨ましそうに見つめてくるものだから、どうも心苦しくなってしまうのだ。


 かと言って手を抜くことは絶対にしないミアは、一匹ずつ丁寧に時間を掛けることは辞めなかった。


 配属してから七日目、完全にミアに懐ききった魔獣達だったが、一向に懐かない一匹のフェンリルに頭を抱えていた。


 シュエル曰く、この獣舎の中で一番長いことここで生活していて、一際人間を嫌っているという。


 魔獣に懐かれているミアにでさえ、威嚇行動は一切してはこないが、他の魔獣に比べて全く言う事を聞いてくれないのだ。



「ブラッシングさせてくれる?」


「ガルル……」


「うー……毛並みも綺麗になるし、絶対気持ちいいのに」



 今日もその毛並みにブラシを通すことが叶わなかったミアは肩を落としながら、フェンリルを散歩に促した。


 唯一散歩だけは言うことを聞いて檻から出てくれるものの、常に手綱をグイグイと力強く引っ張ってミアを振り回す。


 あまりの力の強さに顔面から転ぶが、心配した素振りも見せずに、早く立ち上がれノロマが。と視線を送り付けてくる。



「んもー……」



 服に着いた土を払いながら立ち上がり、頬を膨らませてフェンリルを見るが、いい気味だと嘲笑うような目をしていた。



「今日も奮闘してるねえ……」


「あのフェンリルは怯えてるというよりか、俺達に興味ないって感じだもんなあ」


「あいつ派手に転んだミアちゃん見て、ちょっと楽しそうにしてるよな?」


「ある意味懐いてるんじゃね?」


「お前ら、口を動かしてないで仕事したらどうだ?」


「うわっ!団長!?」



 久々に聞いた恐ろしい声に、言われた側の人間ではないのに、ミアの背筋も伸びた。


 休憩中の騎士達の元に相変わらず真っ黒な格好で、姿を表したリヒトの姿に本能的に危険を察知してしまう。


 何か言われる前にここから退散しようとフェンリルの散歩を続行しようとしたが、リヒトを睨みつけて離さない。



「ちょっと……!面倒になる前に獣舎に戻ろうよ!」


「ガルル」


「いーいーかーらー!」



 力強く手綱を引っ張るが、ミアの体の二倍の大きさのフェンリルをミアの力だけで動かすことは到底出来なかった。


 何か呟いたリヒトと目が合って、咄嗟にフェンリルに隠れるようにしながら、必死に檻に帰そうと試みる。


 ブラッシングしていない毛並みだというのに、撫でる毛はどこもかしこも柔らかく滑らかで、帰ることそっちのけでもふもふに目移りしてしまった。


 あまり撫でさせてくれないフェンリルにこの機会を逃すものかと、優しく撫でていると影が落ちた。



「お前も、何をそこでサボっている」



 いつの間にかすぐそこでリヒトの声が聞こえるや否や、整った綺麗な顔立ちが目の前にあった。



「ひっ……!」


「このフェンリルに手こずっているようだな」


「まあ……はい」



 フェンリルの散歩で出来た手のマメを慌てて隠しながら、正直に頷いた。


 綺麗なアイオライトの宝石のような深い蒼がミアを見つめては離さない。迂闊にもその瞳に飲み込まれそうになるのを堪えて、ミアは現状を報告する。



「まだこの子だけ懐いてくれなくて……」


「強さを教えないから舐められるんだろうが。第一そう焦って懐かれようとしなくともいいだろう。少しは自分の力量を考えろ」


「確かに上下関係は必要な場合もありますけど、まずはこの子達との間に信頼関係を築かないことには意味がありません。自分には確かにまだまだ落ち度はありますが、彼らに怖がらせるようなやり方は絶対に私はやりたくありません」



 傷ついたこの子達にそんな乱暴は出来ないと、リヒトの意見に思わず歯向かう。リヒトの逆鱗に触れようが、ミアはこの子達の気持ちを分かって欲しかった。


 案の定リヒトの眉間にしわが寄るが、フェンリルが突然自分から獣舎の方へと歩き出した。慌てて後を追いかけるようにしながら、リヒトに頭を下げて退散する。


 小さくリヒトの舌打ちが聞こえた気がしたが、フェンリルが一つ鳴いてその音をかき消した。


 ……もしかして、あの場から助けてくれたり?


 ふとフェンリルの顔を見上げるが、涼やかな顔で前を見つめ、ミアのことなど興味は一切示していない。



「……ありがとう」



 鬼の上司から助けて貰ったのは紛れもない事実だった為、フェンリルがどう思っていようがミアは感謝の気持ちを口にする。


 ――そんなミアの気づかない所で、フェンリルは尻尾を左右に振った。


 獣舎に戻り残った仕事を進めていけば、今日という日がまた終わりに近づくように、空が夜へと身を染めていく。


 何時にも増して疲労感がどっと押し寄せて来たミアは、仕事を終えてフラフラした足取りで寮へと戻る。ベッドに倒れるとすぐ、眠気がミアを襲う。



「今日も団長怖かったなあ。怒られないように、フェンリルのこと世話しなきゃ……」



 あの圧力には未だ慣れないミアは、あの綺麗な顔が怒りに染まるのを想像して唇を噛み締めた。


 今日みたいに何か言われないように、とことん世話係を務めていかなければという気持ちに燃える一方、身体は休息を求めてやまない。いつの間にかやって来た睡魔に、ミアはそのまま身体を預ける。


 ……ギィと一つ扉が開く音が部屋に響き、夢の世界に入る直前、優しい温もりに触れたような気がしたが、温もりの正体を確かめることなくミアは深い眠りに落ちていった。


 






 朝日が窓の外から降り注いできて、その眩しさにミアは意識を覚醒させていく。


 いつもよりもベッドの中の温もりを感じるのは、疲労が蓄積されているせいなのだろうかと、シーツに顔を擦らせた。


 起きなければと思うのに、妙に体が重たい。



「んん……」



 筋肉痛とは違うし、風邪ともまた違う体の重さに、思わず寝ぼけ眼を擦りながら首を傾げた。


 まだ働き始めて数日しか経っていないというのに、こんな早く体を壊しては周りから小言を言われてしまう。


 喝を入れて体を起こそうとしたその時、自分の力ではない何かがミアをベッドに引き寄せる。



「え……」



 突然のことに驚いたミアは力が掛かった方を見て、目を丸くした。


 規則正しく寝息を立て、長い睫毛が影を落とす綺麗な顔の持ち主がそこにいた。


 柔らかい毛並みの獣耳はミアの動きに僅かに反応するように、ピクリと動く。


 美しさに思考が止まっていたが、再び力強く抱き寄せられスッポリとその胸に収まった。


 自分の心音と聞こえてくる心音が合わさるのがよく分かり、陥っている状況をどんどんと飲み込んでいくのに拍車が掛かった。


 髪を撫でられながら、身体は熱く火照るのにミアの顔は一気に青ざめていく。



「ん……」


「だ、団長……?」


「……なんだ、起きたのか?寝顔も中々に可愛らしかったぞ?」



 愛でるようにそっとミアの頬に触れ微笑んだリヒトに、心臓が飛び出そうになる。


 甘噛みされるように首筋に唇を押し付けられたその途端、身体に電流が流れるように何かが弾けた。



「きゃあああっ!!」



 相手の身体を突き飛ばすようにして、ベッドから飛び起きて、部屋の壁にでもなるようにビタリと張り付いた。



「なっっなっ!!」


「あいつらには散々甘やかしておいて……俺からは逃げるのか?」



 前髪をかき分けて、艶やかな表情にも関わらず少しどこか寂しげだ。


 彼の表情にうっ……と胸が締め付けられる理由が分からないまま、起き上がってミアの元へと近づいてくるリヒトに慌てて、掛けてある制服を鷲掴みにして部屋を出る。


 まだ朝早いこともあって人目はないものの、寝起き姿を他人に見せつけるような、はしたない行動をしている自分を叱りたい気持ちでいっぱいになった。


 ただあの状況で何が正解なのか分からなかったミアには、こうして獣舎向かうことしか頭にはない。


 燃えるように真っ赤に染まった頬を冷まそうと、獣舎まで冷たい風を切って走る。



「っ……!あれは夢……夢よっ!!」



 うるさいくらいに鳴り響く心臓をぎゅっと握りしめて、ただひたすらに獣舎で待つモフモフ達を求めるしかなかった。


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