第5話 私の可能性


「明日野さん?さっきから固まっているけどどうしたのかし……ら?」


 あれ、おかしいな……。


 確かにあったはずなのに、朝私は履いてきた筈なのに。


「革靴が、ない……」


 さーっと体温が低くなっていくのが分かった。


 頭の中に黒いもやが蓄積されて、ぐるぐるとまるで毒のように私を覆った。


 私がいけないんだ……。


 こんな私が変わろうとしちゃったから、私なんかが理想に手を伸ばしたから、こうなったんだ。


 ずっとずっとこの体に刻まれてたじゃないか。


 自分の無力さを、愚かさを、滑稽さを、弱さを。


 明日野未来がどうあるべきだと散々この心に焼き付けられてきた、誰よりもそれを理解していた筈なのに……。


 どうしてそう振る舞えなかった?


 空回って、失敗して、惨めになることが1番無難で、安全で傷つくけど、傷つかない最適解だって。


 何度も自分に言い聞かせてきたじゃないか。


 それを、どうしてここで見失ったんだ……!


 嫌がらせだって、あのレベルで止まっていれば、私が我慢して終わりだったのに。


 こうしてエスカレートしてしまったらまた迷惑をかけてしまう……いや、もっと悲しい顔をさせてしまう。


「アイツら、本当に懲りないわね……」


 静かに、怒りを募らせた声で真凜ちゃんは言った。


 ねぇ、真凜ちゃん。


 どうして私のためにそこまで怒ってくれるの?


 私を守るために加瀬さんをぶった、私のために髪を引っ張られても無言でいてくれた、そして何よりも、私のために笑ってくれた。


 どうしてなのかな?


「とにかく、革靴を探しましょう。施錠まであと1時間はあるわ」


 探す……?どうして、真凜ちゃんがそこまでするの?


 やったのはどうせ加瀬さんたちで。


 それを見つけたら、そうやって私を庇ったら真凜ちゃんまでよく思われないよ?


 このたった2日間でそれをわかってる筈なのに。


 LIPの活動には絶対マイナスだよね。


 そんなのバカな私でもわかるよ。


「いや、いいよ……また買えばいいし……」


 探し出したところでまたやられるに決まってる。


 だったら今回も加瀬さんたちの思惑通りに動いた方が衝突は少ない。


 クルッと私は振り返って靴下のままタイルの上を歩いた。


 春で少し暖かくなってきたとはいえまだまだ冷たい。


 足裏に汗を少しかいていたのもあって余計冷たさを感じた。


「よくない……いいわけないわ!」


 ぎゅっと右手首を引っ張られて後ろに2、3歩後ずさった。


「だいたい、その革靴代誰が払うのかしら?」

「誰ってそりゃあ親だよ……」


 私が答えると右手首はさらに圧迫された。


「行くわよ。まずは教室から……」

「ちょ、真凜ちゃん……!」


 私はその場に踏みとどまろうと必死に重心を下げるが真凜ちゃんの力に勝てるはずもなく引きずられた。


 必死に私を引きずる姿をみて本気度を悟り、私も足を前に出すことにした。


 ◇


 最初に入ったのは私たちの教室だった。


 机の中や椅子の上、ロッカーなど手当たり次第に探ってゆく。


 しかし、何も見つからず次の場所へと……


「どう、して……」


 最後に1番恥端の机、私の席を確認しようとしたその時、目に飛び込んできたのは予想を大きく上回るものだった。


「この教室にはないわね。ここになかったらあとは適当な所にポンと置かれてる可能性が高いわね。わざわざ手間をかける理由もないし。さ、次の場所へ行きましょ?」


 手を差し伸べられて、私はその手を払い除けた。


 もう、嫌だよ……。


 見つからない度に気持ちが沈む。


 歩けば歩くほど、廊下の冷たさが何よりも心を凍らすんだよ。


 それに……探しに行ったから、こんなことまで知っちゃうんだよ。


 私が目線を落とすと真凜ちゃんも視線を下に落とした。


「はは、机に落書きだって。しかもチョークっていうのが痕跡消しやすくてまたキツいよ……」


 机のゴミクズの文字は直ぐに消えるけど私の中にはずっと残り続けるんだから……。


「そう。さ、次に行きましょ」


 もう一度私を掴もうとするその手を今度は思いっきり払った。


「もう、いいよ。真凜ちゃん。私はもう大丈夫だから」


 心配されないように今度は笑ってみる。


 これ以上、迷惑をかけるわけにもいかないし。


 だったら私が諦めればいいだけの話だ。


「悔しく、ないの……?」


 腹の内側から、搾り出されるような声に私は思わず聞き返した。


「え?」

「だから……あなたは悔しくないの!?」


 そのらしくない大声は加瀬さんたちに向けられるものに似ていた。


「そうやって、バカにされて、叩かれて、靴隠されて悔しくないの!?」

「悔しいなんて……」

「明日野さんのことなんてみんな知らずに、ただ聞いた話だけであなたを嘲笑うのよ?」

「そんなの……私なんて、そうなるのが当然だから……」

「それは、どうして?何が当然なのかしら?」


 その質問が心地悪くて私は不貞腐されたように彼女から視線をずらした。


 どうしてって……。


 私がどれだけ裏で頑張ったかなんて、誰も知らない。


 当然だよ。結果に出てないんだもん。


 どんなに頑張っても、辛い思いをしても最終的に見られるのは結果だけ。


 私が努力を重ねても、ほとんど勉強してない人と同じような点数をとればそういう目でみられるんだから。


 だから、だから、私がみんなから馬鹿にされるのは、仕方のないことなのだ。


「私が、バカで……不器用で、ダメダメだから……かな。しょうがないんだよ。私はきっと誰かに笑われるために生まれてきたんだ」

「なによそれ……」


 そういう運命だから私にはどうしようもないんだ。


 この生まれ持った不器用さにはどれだけ足掻いても勝てないよ。


 少しでも変えたくて頑張ったけど結局悔しい思いをして、苦い後味だけが口に残るんだから。


「私ね、今まで受けたテストで手を抜いたことなんて一度もないんだ」

「………………」

「けどね、毎回毎回受け取る答案はバツばかり。順位だってずっと1番したのビリっけつ。そのたんびにいろんな人に笑われてさ。勉強なんてもうしない!って何度も何度も思っててね」


 バカにされる私をゆずちゃんはいつも守ってくれてたっけ。


 

「でも、それでもさ、やっぱり悔しくて。頑張れば何かが変わるって信じてやってきたんだ。小学、中学、そして高校1年間」


 話していてだんだんと力が入っていくのが自分でもわかる。


「でも、何も変わらなかったよ!どんなに頑張ったって結局はただ後悔と悔しさだけが増すばかりで!もう、諦めちゃえって、これなら諦めた方が楽だって確信したんだよ!それで気づいちゃったんだ」


 全力で、絞り出すように、私は吐き出した。

 

「私の努力は、報われないんだって!!!!」


 力一杯握った制服の下からはありえないぐらい心臓が強く鼓動していて。


 それに合わせるかのように乱れた呼吸が肩を揺らした。


 真凜ちゃんは下を向いて、肩を震わせている。


 その強く握られている拳が感情の大きさを物語っていた。


 震えが止まったかと思うと今度は顔を上げ、目をいっぱいに開きながら真凜ちゃんは、叫んだ。


「ああぁぁぁぁぁぁぁぁ、もう!」


 その腹から振り絞られた声に、耳がキーンとなる。


「よくもまぁ、そんなに語れるわね!私なんかとか、諦めた方がいいとか、努力は報われないとか!」

「だ、だって……真凜ちゃんが聞いたんじゃん……」

「私、決めたわ!」


 真凜ちゃんは、ビシっと私に向かって人差し指を突き出した。


「私、レジェドル辞めるわ」

「ええ!?」


 あまりにも驚いて前に進んだ私の頭と真凜ちゃんの指が勢いよくぶつかったが、そのまま指で私の頭を弾き返すと颯爽と答えた。


「でも、また始めるわ。明日野さんと一緒にね」

「え?私……?」

「ええ、そうよ。明日野さん。貴方と一緒に再スタートすることにしたわ」

「どうして……さっき話したよね?私はダメ人間だって!無力で無価値で、何をやってもダメダメだって」

「ええ、聞いたわ」

「それに、真凜ちゃんは見てきたじゃん!私がどれだけ滑稽なのか!勉強も、コミュ力も、勇気も、才能も何もかもが足りないゴミクズってこの、たった2日で!」


 分からない、分からないよ、どうして私なの……!?


 私の頭の中はライトが激しく点滅してるみたいにぐちゃぐちゃなのに、それを引き起こした張本人は余裕そうに私をただ見つめるだけで。


 でも、その眼差しがあまりにも優しすぎるから本当に訳がわからないくて。


「確かに、私は沢山見てきたわ。明日野さんの無力さをこの2日間でね」

「だったら……」

「でも、同時に、あなたの良いところも同じぐらい見てきた」


 私の良いところ……けど、それは真凜ちゃんが全部お膳立てしてくれたからできたわけで……。


 自分自信の力なんかじゃないし……。


「それに、今も良いところを見つけたわ」

「え?」

「嫌、なんて言わなかった所、とかかしらね」


 頬を染めて、まるで悪戯をした子供のように微笑んだ仕草はあまりにも私の核心をついていて。


 悔しいけどその言葉はどうしようもないぐらいに真実で。 


 ぎゅ―っと胸の奥が締まる感覚がした。


 真凜ちゃんの優しさに少しだけ目頭が熱くなった。


 スッと迷いなく差し出された手とその柔和な笑みはまるで天使のようで。


 でも、それでも私は、その温かくて何もかもが許されそうな笑顔が――――


 怖かったんだ。


 だから私は逃げ出した。


 真凜ちゃんを夕暮れの教室に一人残して。


 追いつかれないように、振り切るように。


 これはしょうがないんだ、心の準備ができてなかったんだ、そう言い聞かせながら私は上履きのまま学校を後にした。

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