023.必要なものとは


 俺の仕事は全くといっていいほど身体を動かすことのないものだ。

 ひたすら自社のオフィスにてパソコンに向かってカタカタカタカタ…………。


 朝から夕方までずっと座り続けているものだから、身体の調子が気になってくる。

 腰やら目やらお腹やら……。気になるところは多岐に渡るがそれを改善するのは半分諦めていた。

 家では外に出て運動することもないし料理だってできない。もう八方塞がりだったから。


 しかし週末、そんな俺のもとにずいちゃんという転機が訪れた。

 この土日の食事は最高のものだったし片付け運動だって行った。

 つまりこれまでの数年間と違ってその最悪な生活様式が激変したのだ。


 今朝起きた時に作ってくれた朝ごはんも典型的な和食で美味しかったし、今日からの仕事も頑張ろうという活力が湧いてきた。


 だから……そう。

 それだけならば完全に輝かしい日の幕開けだったのだが――――。




「いっ………たたたた…………」


 朝出社した俺は、来て早々自身のデスクの前で倒れ込んでしまっていた。

 悶えるように声を上げつつ放り出す腕と脚。その随所に痛みが見られて今の俺は仕事どころじゃない。


 昨日の片付けやベッドの組み立て。

 これまでの数年間全くといっていいほど運動をしてこなかった俺にとって、それはなかなかの運動量だった。

 まさかこの程度で運動になるとは思わずに舐めてかかり、朝を迎えて感じたふとした違和感。

 それは手足に感じるものだったが問題ないと切り捨て、会社に行く途中でその正体に気づいた……気づいてしまった。



 ――――筋肉痛。

 運動量が普段より過剰に行われ、筋繊維が損傷することにおって起こるもの……らしい。

 最寄り駅から久々に座れた電車を降りる時に気づいた痛み。それを引きずりながら会社に着いた頃には満身創痍だった。


 もう帰りたい……でも帰れない……。そんな絶望を感じつつ痛い身体を起こして中腰になりつつ、”彼女”を見つける。


「いたいた。 宇納うのうさん、ちょっといい?」

「あ、はいっ!」


 俺の呼びかけに元気よく応えて駆け寄ってくるのは眉にかかるくらいの前髪を右に寄せた、濃い茶髪の髪が肩にかからないくらいの長さを持つ女性。

 綺麗というより可愛いと言ったほうが近いかもしれない。しかしずいちゃんみたいな妹的可愛さではなく、少し目元が上がって利発的な可愛らしさを持っている。

 完全に見た目からの偏見だが、頭いいんだろうなと予感させるような出で立ちだ。


 そんな彼女は俺の横にたどり着くやいなや、異変に気がついたのか少し心配そうな顔を浮かべてくる。


「あの……大丈夫ですか? 辛そうですけど、何か……ありました?」

「ただの……筋肉痛だから……気にしないで……」

「筋肉痛?」


 そう首をかしげるのはスーツを来た女性、宇納 一乃うのう いちのさん。今日からここで働く新入社員……みたいなもの。

 正確には大学卒業を目前にしたバイト……インターンだっけ?細かい差異はあれど……とにかく後輩の女の子だ。


 リクルートスーツを着た彼女の姿はまだ少し着慣れないのか、着させられている感がして随分と微笑ましい。

 まだまだフレッシュな事をその身全体で表している彼女は手にしていたバッグをゴソゴソと漁りだす。


「ちょっと昨日までの休みで運動してね……つい……」

「でしたら湿布貼ります? 持ってますよ私」

「いや、そこまでじゃないから大丈夫。 伸ばしてれば治るだろうし」


 筋肉痛に湿布って効くのかな? もし効いたとして患部全てに張るとなったら一箱じゃ足らなさそう。

 でも、2日後3日後とかに来ないでよかった。翌日すぐに来るってことはまだ俺も若い方なのだろう。


「わかりました! でも必要でしたらおっしゃってくださいね!」

「ありがと。……でもよく持ってたね」

「はい、丁度おばあちゃんのストックが無くなりそうだったので忘れないよう朝買ってたんです!」


 それはなかなか計画性のある賢い行動で。

 俺なんて学生時代、頼まれた洗剤を朝コンビニ行ったついでに買えばよかったものの、放課後に回した結果忘れて母さんに怒られたというのに。


「私ってここで働くためおばあちゃんの家にお邪魔してますから、できるだけ助けてあげたいんです」

「実家は別なんだ。 珍しいね、今から働き出すなんて」


 ここのバイトは、内定者のうち希望生だけが働けるシステム。

 俺も内定した時に案内は来たけど、遠いからってことで丁重にお断りした。

 スタートダッシュが楽なだけで昇進に何も影響しないって言われただろうに、珍しい。


「それは…………その…………」

「……?」


 なんてことのない問いかけに彼女はなにか言葉に詰まる。

 ふと顔を上げて見ると、口元で両手を合わせつつ何か恥ずかしそうな表情を浮かべていた。


「ほ……ほら!私のことよりお仕事しましょっ!お仕事! 教えてくださるんですよね!?」

「あ、あぁ……。じゃあまずは支給されたパソコンの説明からだね。まず共有フォルダっていうのが――――」


 まぁ、そういったことはプライベートなことになってくるしあんまり深入りすべきではないだろう。ただでさえ初対面だし。

 俺は着々と彼女に仕事についての説明を進めていく。そんな彼女は、しっかりとメモを取りながらわからないところは質問し、理解を深めていった。

 


 ―――――――――――――――――

 ―――――――――――

 ―――――――



「とりあえずの説明はこんなものかな………っと、もうお昼か」


 彼女へ説明を初めて1時間とちょっと。

 キリのいいところまで進めていくと社内に音楽が鳴り始める。

 それは昼12時を告げる合図。お昼ごはんの合図だ。


 ポツポツと居た社員たちはゴソゴソと席を立ったりお弁当を広げたり。それぞれ思い思いの昼を過ごすようだ。


「はい、ありがとうございます! 先輩もお忙しい中すみません」

「いいのいいの。 今はみんな暇だし」


 今日は仕事…………やらなきゃいけない業務は殆どない。

 先週大きな仕事を終えてやってきた、ほんのちょっとの休息期間だ。

 辺りを見渡しても出社している者はほとんどおらず大半が有休を使った超省エネ状態。


 俺も有休使いたかった……!家でゆっくりゴロゴロしながら筋肉痛を癒やしたかった!

 でも新人育成を任されて休むことは叶わなかったんだ……。年末年始休暇が伸びるからいいけどさ。


「そうなんですね……。じゃあ、午後も教えてくれますか?」

「もちろん。 まずはお昼ごはんだけどね」

「あっ――――! 待ってください!!」


 残念ながらお昼にお弁当を作ってもらったなんてことはない。

 昨夜提案されたけど、それはずいちゃんへの負担が大きすぎるし、そもそもお弁当箱を持ってすらいないから。

 だから今日も今日とてコンビニか外食だ。せっかくだから新作が出たらしいファーストフード店へ……そう思いつつ部屋から出ようとしたところ、背後から彼女の声が飛び込んできた。


「あの……その…………。私も一緒に着いて行っていいですか?」

「いくって……ご飯に?」

「そ、その! 私は入った初日で土地勘もないので! 先輩ならいい所教えてくれそうだなぁっ……て……」


 またも口元で手を合わせつつ、恥ずかしそうに聞いてくる様はえらく庇護欲が掻き立てられる。

 そんなお願いをされたら、応えてあげたくもなるってものだ。


 仕方ないなぁと笑顔で頷いてみせるとその表情に花が咲いて小走りで隣にやってくる。


「ありがとうございます! それじゃあ今日はお肉ですね!」

「肉? そういう気分なの?」

「いえ。 だって先輩って筋肉痛でしょう?タンパク質取らなきゃっ!!」


 楽しげな様子で先導してエレベーターまで向かう彼女。

 ただでさえ可愛いのに、愛嬌もいいならこの会社でもモテるだろうなぁと、シミジミ思いながら俺も後を追っていった――――。

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