#2:猫目石瓦礫の推理

 子島で大内景清の死体が発見され、岩礁で柳と欠片が殺し合いを演じ、なぜか裸の付き合いをする羽目になったそのころ。

 母島では、ただ時が過ぎていくのをじっと待っていた。

「…………」

 林檎には、それしかやることがないのだ。雨が止み、警察が到着するまで、子島で何事も起きていないことを祈りながら、ただ待つしか。

 犯人が母島の誰かにせよまったくの第三者にせよ、こうしてコテージに四人が集まり互いを監視している状況なら、何も起きないのだ。

 奈央は椅子に腰かけ、うつらうつらとしている。昨日、眠れなかったのだろう。もとより今回のキャンプで、何か起こるのではと危惧していた身だ。緊張から来る疲労も限界に達し始めている。

 善治は腰を落ち着けることなく、神経質そうに窓の外から爆破された橋を見ていた。

 そして瓦礫は……。

「うーん……」

 キッチンの方で、何かをしている。荷物から筆記具入れを取り出してきて、台所に備え付けられていたストローを切り貼りして工作をしている。それに何の意味があるのかはさっぱり分からない。

「よし、こんなものか」

 かれこれ一時間近く工作して、ようやく満足できるものができたのか瓦礫が作業を終えた。

「何をしてるの?」

 たまらず林檎は聞いた。

「ええ、ちょっと……。解決編に必要な小道具をと」

「……え?」

 軽く言っているが、それはつまり…………。

「犯人が分かっているの?」

「一応、それなりには」

 その一言は、さすがにその場の全員を驚かせた。奈央も意識を覚醒させる。

「じゃあなんで今まで黙っていたんだい?」

 善治が抗議する。当然のことだ。

「解決編をしても意味がないというか……だから何? で終わる可能性が高かったので」

 瓦礫がぶっちゃける。

「ですが事情が少し変わりましてね。ここで北斎さん殺しの真相を暴くことに意味があるかもしれないと思ったので、こうして準備をしていたわけです。本当は現場の道具をそのまま使うのが一番なのですが、この雨の中外に出るのも億劫なので、小道具をこしらえていたと」

(…………これは少し、珍しいかもしれない)

 林檎はそんなことを思う。

(よっぽど状況が煮詰まらない限り猫目石くんは自分から推理を披露したりしなかった。少なくとも今までは。探偵という明確な立場がそうさせるのか、それとも会わない十数年で彼がやはり変わったのか……)

「では、少し早い解決編と洒落こみましょう。道具を少し準備しますね」

 言って、瓦礫はダイニングテーブルに道具を並べる。必然、三人はそこに集まる形になった。

 瓦礫がテーブルに置いたのはふたつのコップ、コースターが何枚か、コーヒースプーン、水差し、そして大きいグラタン皿だった。

 グラタン皿の中にはさっきまで瓦礫が工作していたらしいストローが置かれている。折り曲げ式ストローの関節をつなぎ合わせて、ホース状にしたものだ。

「さて、まずは現場を再現してみましょう」

 手早く道具を動かす。まず、コースターを四枚重ねて高さを作り、その上にコップを一個置く。その隣にもうひとつを並べた。これは分かる。現場の五右衛門風呂の再現だ。

「現場はこうなっていました。そして事件前、左のドラム缶――高さのついた方――には水が張られていた」

 水差しでコップに水を入れる。ついでに、グラタン皿にも水を張った。

「それは?」

「今は気にしないでください。下準備なので」

 林檎の疑問をあしらい、瓦礫は話を進める。

「被害者の北斎さんの頭部には、殴られた形跡がありましたね。つまり北斎さんは殴られた後、右のドラム缶――低い方へほうり込まれました」

 コーヒースプーンを持ち、頭をカツカツと叩く。これが被害者の代わりのようだ。そしてスプーンを頭からコップに入れる。カラカラと、コップにスプーンが当たって小気味いい音を立てる。

「北斎さんをドラム缶から引き上げる前、ドラム缶周囲の地面は濡れていなかった。つまり北斎さんは水の入ったドラム缶に突っ込まれたのではなく、空のドラム缶に突っ込まれた後、そこに水を入れられたんです。それは死亡推定時刻からも想像できます。死亡推定時刻は我々全員がキャンプファイアーをしていた間。つまり水を注入し、北斎さんの顔が沈んで窒息するまでのタイムラグを利用したアリバイトリックが用いられているわけですね」

 そこまでは理解できる。問題は……。

「ここで問題となるのが、どうやって注水し、またそれを止めたか、です。水を入れるのは難しくない。近くに水道もホースもありますからね。ただしそれを止めるのが難しい。さっきも言ったように、ドラム缶周囲は濡れていませんでした。つまり水は溢れていない。だが水が溢れる前に止めようとすると、やはりキャンプファイアー中に止めるしかないんです」

「要するに……」

 善治がまとめる。

「注水したら最後、適当な水位で勝手に止まる仕組みがないとこのアリバイトリックは成立しないということかい?」

「その通りです」

「でも、そんな都合のいいこと……」

 奈央が不安げにこちらを見る。

「可能なんですか?」

「可能だから再現するんですよ。必要なのはこれです」

 瓦礫が、グラタン皿からストローを取り出す。両端をつまんだ奇妙な持ち方で。

「必要なのはホースです。しかも管の中を水で満たされたものが。だからグラタン皿に水を入れ、その中にこのストローを浸して水を満たしておきました。このストローの両端を、それぞれのコップの中に入れてみましょう」

 瓦礫がストローをコップに入れる。

 すると。

 水が、流れ始めた。

 なみなみと水で満たされた左のコップから、右のコップへ。

「……これは?」

「いわゆるサイフォンの原理というやつで。一度水が流れると、気圧の差によって左のコップから右のコップへ水が流れます」

「いや、面白いは面白いけど……」

 林檎が言いよどむ。

「こんなことしなくても、普通に蛇口から水を入れればいいでしょ。どうせホースを使うなら」

「いえ。ここからが本当に面白いところで」

 右のコップに水が満たされていく。そして、左のコップと水位が同じになったところで。

 ぴたりと。

 水の移動が止まる。

「水位が同じになれば、気圧の差も生じなくなるので水の移動も止まるというわけです。こうすれば、一度仕掛けておけば後は放置しても注水し、かつ勝手に注水が止まる。その間キャンプファイアーに出てアリバイを作っておけるというわけです」

 確かにこの方法なら、気絶した北斎を自動的に溺死させることが可能である。

「でも、ちょっと待って」

 林檎は慌てる。

「この方法って……」

「ええ。この方法で殺害をする以上、犯人はひとりしかいません」

 そう、ひとりしかいない。

 この方法を実行するためには、そもそも二つのドラム缶に高さの差が生じていないといけない。、そういうことでも起きない限り使える状況にはならない。

 そしてあらかじめ、左のドラム缶に水を注いでおく必要もある。当然、そんなことをして見咎められれば意味がないので、それができる人間も限られる。

 それができる人間は……。

 林檎と善治は、その人間を見た。

「あなたが犯人ですね」

 瓦礫も、宣言する。

「浜岡奈央さん。このトリックを実行できるのは、あなたしかいない」

「………………」

 奈央は、じっと目を固く閉じていた。

「とはいえ、僕は正直なところ、あなたが計画的に北斎さんを殺したとは考えていません」

 瓦礫は推理を続ける。

「窯が壊れたのでドラム缶を地面に直で置いていたというのも、トリックのためではなく事実壊れていたからでしょう。もし北斎さんを計画的に殺すなら、探偵である僕がいるタイミングは避けるでしょうし、そもそもこの島で殺す必要もない。

(……あれ?)

 そこで林檎は引っかかりを覚える。

(奈央さんが犯人というのはいいとして……単独犯なの? あの北斎さんの巨体を持ち上げるのに、彼女ひとりというのは難しい気がするけれど。猫目石くんも、女性ならふたりくらい必要だと言っていたような……)

「何があったんですか?」

 林檎の疑問はさておき、瓦礫の追及は続く。

「……関係を、迫られました」

 ゆっくりと、奈央が口を開く。

「脅されて、関係を迫られたんです。それで、咄嗟に……」

「脅されて……?」

 林檎が尋ねる。

「そんな、脅されるような材料が奈央さんにあるの?」

「三年前の事件のことです」

 それから少し、奈央は黙りこくる。どこまでを話そうか悩んでいる様子だった。

 やがて、彼女はまっすぐ、何かを決意したような強い瞳で瓦礫を見た。

「悩んでいたんです。このことを打ち明けるべきか。打ち明けるとして誰に? 誰に告白するのが一番いいのだろうかと。ですがこうなっては……人を一人殺してしまっては、考える余地はありません。…………猫目石さん、あなたにお願いがあります」

「承りましょう」

「わたしの息子を、三年前の事件の呪縛から救ってほしいのです」

 息子。

 林檎はその意味を理解しかね、反芻する。

「息子……? 三年前の事件で亡くなったという、浜岡伍策くんのこと? なぜ彼が……」

「あの子は、

「……!」

 それは、あまりにも唐突な告白だった。

「三年前の生還者は景清くんだけではありません。息子も……伍策も生きていたんです。それをわたしは匿い、警察から隠しました。以来、あの子はこの島で密かに生活しています」

「ど、どうして?」

 動揺する林檎に、奈央は端的な答えを突きつけた。

「伍策が、三年前の事件の犯人だからです!」



「欠片のやつはどこ行った?」

 そのころ、子島にて。

 柳たちはロッジで集まって昼食を食べていた。

「お風呂から出たっきり、見てない」

 西瓜がサンドイッチをほおばりながら答える。

「俺も風呂で見たのが最後だが……マジでどこ行きやがった?」

 忽然と、欠片は姿を消したのだった。

「お兄ちゃん、やたら気にするね」

 棗が突っつく。

「そんなにあの人が気になる?」

「そういうわけじゃないが……」

 まさかあれがひとりになったら犯人に襲われて死ぬようなタマだとは柳も思っていない。犯人ではないというのも理解した。だがやはりこの状況下で個別の行動は軽率だろう。

「正平もいないが」

「管理人棟に向かったよ」

 今度は遼太郎が答える。

「健に昼食を届けるって。放っておけばおなかが空いて出てくるだろうに」

「そうだな……」

 いまだ引きこもっている健については何も言うことはない。気になるのはどうしても欠片の方だ。

(まさかあいつ……本当に水没した洞窟の道を調べに行ったんじゃないだろうな)

 ありえる話だ。

「メシが終わったら探し……いや、いいか。あいつなら大丈夫だろう」

「随分信頼しているみたいだけど」

 いぶかしげに西瓜が柳を見る。

「何かあったの?」

「…………なにも」

 風呂場でのやり取りを思い出しそうになり、柳は誤魔化してサンドイッチを齧る。

「おい、大変だ!」

 なんだかんだ言いあっていたとき、ロッジに大慌てで正平が入ってくる。

「健がいない! 管理棟からいなくなっている!」

「……なんだと?」

 その場にいた全員は、少なからず驚いたが、同時にそこまでの深刻さを正平とは共有できなかった。

「とにかく、一度管理棟へ行こう」

 状況の深刻さはさておき、柳はそう提案した。

「管理人棟は調べたいと思っていた。開いたなら今がチャンスだ」

 柳は正平と連れ立って、管理棟へ向かう。結局、西瓜や棗、遼太郎も後からついていくことになる。

 管理棟は開け放たれ、中はもぬけの殻だった。確かにそこには健の姿がない。

「トイレに行っただけじゃないか?」

 後ろから遼太郎が口を出す。

「このロッジ周りのトイレは探したがいなかったぞ。そもそも恐怖で引きこもったやつが、トイレくらいで外に出るか?」

「それは、人によるな」

 柳が自分の知識と経験から補足する。

「殺人犯がいるかもしれないという恐怖は、どことなく現実から乖離したものだ。恐怖を抱く一方で、その恐怖がどこかズレたものであるという認識が個人の中で同居することは珍しくない。そうなると個人の尊厳を捨ててまで頑強に立てこもるのは難しい。排泄物を部屋の中へ垂れ流すってのは尊厳をかなり傷つけるからな。恐怖はあるが、トイレに出るくらいなら何ともないんじゃないかという正常性バイアスが働くことは十分起こりうる」

「そんなものか?」

「部屋の中にも、出入り口にも争った形跡がない。少なくとも健が自分から外に出たのは確かだ。この際、どうして外に出たのかはそんなに重要じゃないかもな。大事なのはどうしていなくなったか、だ」

 管理棟の中に入る。ざっと見て、柳は少し落胆した。ここには事件に関係する情報が何もなさそうに見えたからだった。

「…………ん?」

 ただひとつ、事務机の上に写真立てが置かれているのに気づく。その写真には、奈央と景清、そしてもうひとりの男性が写っていた。

「その写真……」

 棗も近づいて写真を見る。

「この写真に写っている人が、伍策さんかな? 生きている頃の」

「多分違うだろう。見ろ、景清さんの顔に傷がある。これは事件の後に撮られたものだ」

 その不明の男はかなり若い。大学生くらいだろう。

 大学生の、若い男でこの島の関係者となると…………?

「ひょっとしてこれが、例のバックレた田中太郎か? だとすると……」

「お兄ちゃん?」

「……なんでもない」

 写真立てを伏せて、柳はその場を離れる。

 彼は気づいていた。

 その写真に写っていた、おそらく田中太郎だろうと思われる人物。

 それは彼と欠片が見つけた、謎の頭部と人相が一致していた。

(田中太郎はバックレたのではなく、既に殺され、バラバラにされて海に投げ捨てられていた。頭部の状態からしてキャンプのつい前日とか、そのくらい最近に。北斎さんと景清さんの前に、既に事件は起きていたのか)

 するといよいよ、犯人は内部の誰かではなく第三者という可能性が露骨になってくる。田中太郎はおそらく、犯人にとって不利益な何かに気づいたから殺されたのだろう。そう柳は推測した。

「健を探した方がいい。ついでに欠片のやつもだ」

 管理棟を出て、柳は雨模様を確認する。雨は徐々に弱くなってきている。この分だと、天気予報よりもやや早く雨が上がりそうだった。

 もし雨が上がれば、警察が島に来られるようになる。正確には、雨が止んでも海はしばらく荒れているし、風もまだ強いだろうから少し待つことになるが……。犯人の目的が虐殺なら、警察が来る前に仕掛けてくるはずだ。その前に体勢を整えておきたい。

「手分けして早く探そう。何人かで一組に……」

「おい、柳……あれはなんだ?」

 手筈を整えようとした柳の言葉を遮り、正平が空を指さす。

「あれは……」

 空に向かって、黒煙がたなびいている。まるで狼煙のように。

「昨日キャンプファイアーをやった広場だ。あそこで何か燃えている煙だ」

「あんな黒い煙……薪を燃やしただけだと出ないぞ!」

「…………!」

 正平の言葉で、嫌な予感が柳に走る。

「急ぐぞ! 何を燃やしているにしろ、俺たちに都合の悪い何かには違いない! 早く消火するんだ!」

 柳を含め、全員が広場に急行する。

 しかし。

 結論から言えば、消火の必要は全然なかった。

 なぜなら。

「これは……」

 燃えているのは。

 から。

「健だ……」

 キャンプファイアーの広場で、薪をご丁寧に組まれて燃やされているのは、六波羅健であった。

 頭を既に鈍器で潰され、死んでいる上で火にくべられていた。

「この臭い……人の焼ける臭いに混じって、可燃性の燃料の焼ける臭いもある。だから煙が黒かったし、雨が降っていても燃えているんだな」

 さすがにバラバラ死体を見た後では、柳も冷静だった。

(健が殺された。理由はなんだ? いや、あるいは理由など!)

 犯人が、ついに動き出した。

 子島の自分たちを殺すために。

 事態が、急激に煮詰まっていくのを柳は感じた。

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