第15話 スルーザマーカー
打ち寄せる波の音がくっきりと聞こえる。
静けさをつんざくように、夜の砂浜にディスコ用のミラーボールが輝いている。
ギラギラしたカクテル光線を浴びながら、つばめがノリノリで踊り、アリサと麻乃を相手にフライングディスクを投げていた。
「フ~ライング・ディスコ、ディス、コ、コ、コ~♪」
適当な鼻歌まじりに、それっぽいステップを刻んでいる。
ハバタキの神絵師に自身のイラストを描いてもらって以降、つばめは眼帯を外していない。
ただでさえ暗く、さらに片目ともなれば遠近感も掴みづらいはずなのに、ほとんど不自由を感じさせない軽快な動きをしている。
麻乃は半円を描いてカーブしたディスクをおたおたとキャッチし、横手から投げ返した。
本人はきっちり真横から投げているつもりらしいが、投げそこないのハンマースローっぽくなっていて、円盤が空中で地震に見舞われたみたいにグラグラと揺れる。キャッチに関してはそこそこ板についてきたが、スローに関してはあまり上達が認められない。
麻乃はとにかくスローが苦手なので、止まった相手に向かって投げる練習しかしていないが、そろそろ実戦に近い練習もしてみたかった。
メンバーがたった三人しかいないので、アリサは本格的な試合形式を経験したことがない。
いくつかのアルティメット・チームの練習に加わったお姉ちゃんは、もう四、五試合の実戦をこなしているそうで、試合の経験値ではあっさり追い抜かされてしまった。
夜の砂浜に先乗りしてディスクを投げ合っていると、濃紺のトレーニングパンツに長袖シャツを着こんだお姉ちゃんがやって来た。手荷物をミラーボールの傍らに置き、屈伸を始めた。
「非日常的な感じでいいね、ナイト・アルティメット」
入念な準備体操を終えたお姉ちゃんが、アリサの近くへ寄ってきた。
「いつもスローとキャッチの練習だけだから試合っぽいことをしたいんだけど、クラブチームではどんな練習をしてたの?」
アリサが訊ねると、お姉ちゃんが問い返してきた。
「スルーザマーカーって、やったことある? 初心者のうちは、ひたすらこれを繰り返すといいよ、って教えてもらった」
お姉ちゃんはクラブ・チームで習ってきたことを教えてくれた。
「ディスクを持ったプレーヤーが『スロワー』、キャッチするのが『レシーバー』、スロワーにディフェンスにつくプレーヤーを『マーカー』と呼ぶ。ここまではいいよね」
用語の確認に麻乃はうなずいたが、つばめはつまらなそうな顔をしている。
「マーカーはスロワーの3メートル以内に入ったら『ストーリング』と宣言して10カウントを開始する。スロワーはストーリングカウントが10になるまでに投げなきゃならない」
アリサが補足すると、つばめがにわかに興味を示した。
「お前はもう死んでいる……みたいな感じ?」
「十秒以内に投げれば死んではいない」
「そんなもん、めっちゃ早く数えればいいだけじゃん」
投げれずに十秒経ってしまったら、「ストーリング・アウト」となり攻守交替となる。
しかし、10カウントをものすごく早口で言えば、すべてストーリング・アウトにすることができてしまうため、秒数は正確に数えなければならないようなルールが存在する。
「カウントが明らかに早過ぎる場合、『ファースト・カウント』と宣言することができる。これを言われたら、マーカーは2カウント戻さなければならない。それでも改まらず、もういちどファースト・カウントと言われたら、マーカーは0から数え直しになる」
秒数まで自分たちで数えるのは、セルフジャッジ制であるアルティメットならではだ。
「まあ、十秒あれば余裕っしょ」
バスケでは、
いわゆる「3秒ルール」であり、バスケ経験者からすると、これがひとつの物差しとなる。そのため、十秒という時間はかなり余裕のあるものに感じられる。
「目の前にマーカーがいる状態で、レシーバーに向かって投げる。だからスルーザマーカー。まあ、とにかくやってみようか」
スロワーはつばめ、マーカーはお姉ちゃんが務め、アリサがレシーバーとなった。
「ストーリング!」
つばめの前に立ちはだかったお姉ちゃんが宣言した。
「1、2……」
つばめはピボットを踏んで躱そうとするが、お姉ちゃんは腰を落とし、ぴたっと密着するようにマークする。長い手がパスコースを塞ぎ、つばめの
さすがはバスケ部のエースとして鳴らしただけはある、圧巻のディフェンスだった。
「7、8、9……」
ストーリング・アウトが成立しそうになって、つばめはようやくディスクを投げた。しかし、ほとんどコントロールを失ったスローは、アリサの立っている場所から大きく逸れた。
アリサはキャッチできず、ディスクはぽとりと砂地に落ちた。これで、
「こんな感じで目の前にディフェンスがいても、レシーバーに正確なスローができなければならない。最低三人いれば、スルーザマーカーの練習はできる」
お姉ちゃんが涼しい顔で言った。
つばめは心底悔しそうな顔で、「もう一回っ!」とせがんだ。
「スロワーは一回投げたら、次はマーカーになる。投げるだけじゃなくて、ディフェンスの練習にもなる。それじゃ、次はつばめがディフェンスの番だよ」
お姉ちゃんはやんわりと、つばめにディフェンスに就くよう命じた。
マーカーを務めたお姉ちゃんがいったん退き、スロワーはアリサ、レシーバーは麻乃、新たなマーカーは仏頂面のつばめとなった。
「お前はもう死んでいる! ストーリング! 1、2、3……」
ムキになったつばめのカウントは明らかに早すぎたが、バックハンドスローのフェイクを入れると、あっさり引っ掛かった。やっぱり、ディフェンスはザルだ。
アリサは斜め前方へぐっと踏み込むと、低い姿勢からフォアハンドスローを繰り出した。
麻乃が一歩も動かないでも取れるように、きっちりとコントロールされた一投だった。
「つばめ、ちょろい」
アリサがすれ違いざまにつばめの肩をぽんと叩く。
つばめの怒りリミットは、
「じゃあ、交代。次のマーカーはアリサ」
マーカーだったつばめが脇に退き、麻乃がスロワー、お姉ちゃんがレシーバーとなった。
目の前にだれもいなくてもまともに投げられない麻乃が相手だから、ディフェンスは緩く、手加減してただ立っているだけにしようと思っていたら、お姉ちゃんの声が響いた。
「ディフェンス、手は抜かない。きちんとマーク」
怒声ではなかったけれど、横からそう言われては、おいそれと手は抜けない。
「ストーリング、1、2、3、4……」
ピボットもおぼつかない麻乃を相手に、きちんとパスコースを塞いだ。ほとんどパニックになっている麻乃は、ディスクを投げ捨てるようにぽいと投げた。
山なりのディスクは、アリサの頭上をかろうじて超え、お姉ちゃんの足元ぎりぎりに届いた。
思い切りしゃがみ込んだお姉ちゃんは、地面すれすれでキャッチした。
「いいね、ナイスパス!」
お姉ちゃんは大袈裟に拍手して麻乃を褒め称えた。たった一本、まぐれのパスが通っただけだけれど、運動の苦手な麻乃からすれば、きっと大きな意味を持つ成功だったのだろう。
口を半開きにした麻乃は、しばらくパス成功の余韻に浸っていた。
「コーチ、決まりっしょ」
「そうだね」
アリサとつばめが微笑み合い、スロワーの位置に就いたお姉ちゃんを見つめた。
スルーザマーカーの練習をひたすら繰り返していると、知らぬ間に夜が深くなっていた。
狼が遠吠えしていそうな月夜と、ミラーボールの派手な明かりだけが頼りだったけれど、白いディスクがほとんど見えなくなっては、プレー続行は難しかった。
「もう暗いから、そろそろ帰ろうか。また明日にしよう」
お姉ちゃんを先頭に、静かな波打ち際をてくてく歩いた。
足裏に伝わる砂の感触が心地良い。打ち寄せる波の音が子守歌みたいだ。
世界は眠っているのに、私たちだけが起きている。
こんな夜更けに中学生三人が出歩いていたら、すぐに補導されてしまうだろうけど、お姉ちゃんがいっしょにいてくれるから、なんともいえず不思議な無敵感があった。
「お姉ちゃん、アルティメットをやってみてどう?」
先を歩くお姉ちゃんの背中に問いかけると、歩く足がほんの少し緩んだ。
「楽しいね」
第一声はそれだった。
暗くて顔の表情までは分からないが、声はとても弾んでいる。
「バスケとはまた違った風景で、すごく新鮮。バスケだったら自分ひとりで点が取れたけど、アルティメットはパスを繋がないと一歩も前に進めない。ディスクを繋いで、繋いで、繋いで、みんなで前進してく感じが新しい感覚だね」
バスケコート上のお姉ちゃんはなんでもできるオールラウンダーで、相手からボールを奪い、自分でドリブルをして敵陣まで攻め込み、ひとりでシュートまで持っていくことができた。
しかし、アルティメットのフィールドでは、ディスクを持ったら一歩も歩けない。
味方が良いところに走ってくれないと、パスが出せない。
味方が良いところに投げてくれないと、パスを取れない。
どんなスタープレーヤーでも、自分ひとりではなにもできない。
「あのね、お姉ちゃん。私たち、アルティメット部を作ったの。部員はまだ足りてないけど、顧問は石田先生がやってくれる。あとはコーチも必要で、お姉ちゃんがコーチしてくれたら、嬉しいなって」
「……コーチ?」
ちょっと戸惑ったようなその声が「選手じゃなくて?」と言っている。
「お姉ちゃんといっしょに試合にも出たいけど、中学生と大学生がいっしょに出られるのかはよく分からない。でも、練習ならいっしょにできる。他のチームに所属していてもいいから、コーチしに来てくれないかな」
内心、「お姉ちゃんがコーチをしてくれないなら、アルティメットなんてやらない」と言おうかとも思ったが、それはさすがに押しつけがましいので、ごくんと言葉を飲み込んだ。
「コーチねえ。私も初心者なんだけどなあ」
お姉ちゃんがまんざらでもなさそうな声で言った。あ、もう一押しだ、と直感する。
「私たちがめちゃくちゃ上手くなっちゃったら、藤岡先生が取材に来てくれるかもよ。小説のお姉さんが、アルティメットのお姉さんになるかも」
お姉ちゃんの想い人である小説家をだしに使うと、効果はてきめんだった。
「え、それは、ちょっと……」
それはちょっと嬉しいのか、恥ずかしいのか、とにかく急所に刺さったらしい。
背中を縮こまらせたお姉ちゃんは、夢遊病者のようによろよろと歩いている。
同じ速度で並走すると、囁くような声が聞こえた。「……コーチ、します」
「この
つばめがにまにましながら、腕を組んできた。
なぜだか、闇夜の中でもつばめがニヤニヤしているのがよく分かった。
バレー部の誇るモッティー・バズーカーを、一日唐揚げ食べ放題券で陥落させた小悪魔に、小悪魔と呼ばれたくはない。
眼帯の小悪魔とツインテールの小悪魔が手を組むなんて、ろくでもないではないか。
「人聞きの悪い。お姉ちゃんを究極召喚しただけだし」
「嬉しいくせに。もっと嬉しがれよ、ほらっ」
つばめがいきなりどんと押してきて、アリサはつんのめるようにして海に顔を突っ込んだ。
トレーニングウェアはびしょ濡れになり、全身が砂まみれになった。
「……冷たっ」
ぎろりと睨んだが、つばめの気配が消えていた。
「悪の帝国ですから」
「舐めんな!」
ミラーボールの明かりを頼りに、眼帯小悪魔をどこまでもどこまでも執拗に追い詰め、海の藻屑にしてやった。
ざばっと、海から這い上がってきたつばめの髪にワカメが乗っかっていた。
しかし、眼帯はあくまでもそのままで、魔力はまだ解放しないようだった。
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