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 あれはそう、街を歩けば怪しいフォーク系ロックンローラーに出会えた昔、怒りや悲しみのせいにして「人間なんて嫌いだ」と叫ぶことができた頃、西の都には明日のエリートを夢見る若者が溢れ、毎日毎晩、街の公園のゴミ箱は、行き場を失った彼らの夢でいっぱいになっていた。


 夜の公園のベンチに座っていつまでも泣く玲を、ぼくは隣で見守っていた。

「もう、遅いから、家に帰ったほうがいいよ」

 と、彼女の短い黒髪を撫でながらぼくが言うと、玲はべそをかくカエルのような声で、

「帰る家なんて、ないもん」

「玲も、家出して来たの?」

 涙いっぱい湛える目が、ぼくを溺れさせるよ。

「なん? あんたも、家出してんの?」

「うん。言ったろ? おいら、ひとりぼっちで、淋しいって。玲は、何で家出したの?」

 そう聞くと、娘の太い手がぼくの胸を叩いたんだよ。

「あたしのこと、詮索しない約束でしょう?」

「ごめん、もう聞かないよ。ただ、おいら、玲のことが心配なんだ」

「どうしてあたしなんか、気にかけるの?」

「よく分からない。けど、玲をひと目見た時から、玲はおいらの胸の中でどんどん膨れているんだ」

 娘がもう一度ぼくの胸を叩いたけれど、破壊力はさっきの数倍で、ぼくを近くのブランコまで弾き飛ばしたんだよ。だけどブランコの上がったら戻るの力で、つまり力学的エネルギー保存の法則によって、ぼくはすぐにベンチに復活したのさ。

「どうせあたしはデブよ」

 ぼくはみしみし泣いているアバラを両手で押さえながら訴えたんだ。

「おいら、ただ、玲が好きだって言ってるだけなのに」

 玲はまたまた胸を叩いたけれど、今度はぼくの手をやさしく撫ぜただけだった。

「あんたって、やっぱり嘘つきなのね」

「嘘なもんか、ほら、おいらの瞳を見てごらん。真実が潜んでいるから」

 右目に「真」左目に「実」を精いっぱい浮かべて、ぼくは玲を見つめたよ。

 なのにじいっと見つめ返した玲の目がくすくす笑ってね、

「あら、ほんとだ。瞳に文字が映っているわ。どれどれ、右目に「ウ」左目に「ソ」って、まあ」

「ちぇっ、信じないんだね。それじゃあ、おいらのとっておきの歌を聴かせるぜっ」

 さかりのついた炎のように彼女を見つめ。ケースからギターを抜き出し、ぼくはファンキーロックを掻き鳴らしながら歌ったんだ。


  きみの瞳はスター・ダクト・レイク

  ぼくの心を引き込むよ

  甘く切ないムーン・ナイト・ドリーム 

  深く溺れてもうダメさ


  きみ追いかけてこの命

  死ぬまで燃やし続けるよ

  それがぼくのさだめさ

  ああ もうのがれられない

 

 歌い終えると、玲の瞳をぎゅうぎゅう見つめて彼女の指を握ったんだ。

「その歌、あんたが作ったの?」

 玲も熱く見返すんだよ。

「うん、これが今のおいらの気持ちだよ」

「あんた、才能あるのね。だけど、あんた、会ったばかりの女の子に、いつもこんなこと言ってるんでしょ?」

 ぼくは夜の闇を吹き飛ばすくらい首を振ったね。

「こんな気持ちも、こんなこと言うのも、玲が初めてなんだ・・おいらがきみにゾッコンゾッコンなのは無双なんだから」

「古いセリフね。カビがはえてるわ」

「めぐり逢えた瞬間から魔法が解けないのさ」

「もっと古いじゃないの。コケがむしてるよ」

「れ、玲は、どうなんだい?」

 って、荒れ狂う海へ飛び込む気持ちで尋ねたんだ。

「あたし?」

 娘は首をひねったよ。

「玲は、おいらのこと、ど、どう思う?」

「さあ」

 と娘はとぼけるのさ。

 一縷の望みに胸を焦がし、ぼくは親指と人差し指でちょっとのすき間を作り、聞いてみたんだ。

「ねえ、玲、おいらと、こんなちっちゃなダイヤモンドと、どっちが大事だい?」

 真剣に聞いたのに、玲はうふふと笑って、

「そりゃあ、ダイヤモンドだわ」

 飛び込んだ荒海で溺れて、たくさん塩水を飲んだ気分になっちゃった。だけど、きっと質問の内容が悪かったんだ。ダイヤモンドなんて、ちょっと欲張りすぎだよね。

「じゃあ、おいらと、玲が着ているそのピンクのワンピースと、どっちが大事だい?」

 と、藁をもつかむ気持ちで尋ねたよ。

 すると玲は怒るんだから。

「まあ、嫌らしい。この服に決まってるでしょ」

 溺れかけてつかんだ物が、藁ではなくて毒クラゲだったことに気づいた、ような気分になったね。だけどやっぱり質問の内容に問題があったんだよ。彼女はたぶん何か勘違いをしたんだ。ぼくは希望を捨てたりしなかったよ。

 今度こそはと聞いたんだ。

「それじゃあ、おいらと、キティちゃんの消しゴムと、どっちが大事だい?」

「そうねえ・・」

 玲は斜め三十度の視線で考えた。

 ようやく助け船が背後に迫るのを感じたよ。今度は大丈夫。なにせキティちゃんの消しゴムは、ワンコインで買えるんだもの。

 だけど玲は平然と言った。

「やっぱり消しゴムかしらね」

 荒海で溺れかけたぼくの背後に迫ったのは助け船ではなく人食い鮫で、その鮫に太腿をザックリ喰いちぎられた気分になったよ。

 それでも負けまいと思ったね。

 おいら、夢見るミュージシャンだ。希望を捨てちゃいけねえ・・

「ねえ、玲とおいらは、相性花マル葉っぱ付き、なんだよ」

 と、言ってみた。

 すると玲は、人差指で宙に花マルを描きながら、

「あら、まあ、いつのまに。でも、あたしとキティちゃんの消しゴムは、相性花マル葉っぱ鉢植えトンボ付き、なんだから」

 そいつは相手が悪かった・・

 だけどここであきらめたら、ミュージシャンがすたるというもんだ。

「じゃあ、おいらと、ゾウリムシとでは、どっちが大事だい?」

 単細胞には負けない自信百二十パーセントだったけど、玲は目を輝かせ、

「あたし、ゾウリムシの繊毛の動き、可愛いと思うわ」

「じゃあ、おいらと、フレミングの左手の法則とでは?」

「うふふ、あたし、フレミングの左手、机に飾ってたくらい好きなのよ」

 おお、なんてこっだ、この世には神も仏もミもフタもないのか、って思ったけど、めげなかった。ギターを掻き鳴らしながら、得意のロックのリズムで粘り続けたよ。

「じゃあ、おいらと、地震・雷・火事・親父とでは?」

「まあ、どちらかと言うと、地震・雷・火事・親父の方が、愛着があるわね」

「じゃあ、おいらと、松田聖子の伝説の流れない涙、とでは?」

「まだ、松田聖子の伝説の流れない涙、の方が真実味があるわ」

「じゃあ、おいらと、夜中に玲のパジャマの中に入り込んだゴキブリ、とでは?」

「きゃあ・・」

 ついに玲は悲鳴をあげ、両手で顔を覆って、いやいやしながら言ったんだ。

「あたし、夜中にあたしのパジャマに入り込んだゴキブリなんて、絶対に嫌いよ。あたし、夜中にあたしのパジャマの中に入り込んだゴキブリなんかより、あんたの方がずっと好きよ。千倍も好きだわ」

「ほ、ほんと?」

 玲はこくりとうなずいた。

 やった、ばんざい・・

 とうとう玲にぼくのことを好きだと言わせたんだ。しかもなんと千倍も好きだって。これもぼくの海より深い愛と、あきらめを知らぬ不屈の魂のたまものだ。ぼくは、草木が太陽の光からエネルギーを吸収するように、生きる力を取り戻した。ああ、ぼくは玲が好きだ。そして玲も・・

 生きててよかった。おいら、幸せだ・・

 ぼくは嬉しさのあまり、思わず玲を抱きしめようとしたんだ。するとそれを察した玲の右手が瞬時に閃いてね、鼓膜を破裂しそうな烈しい音が響いて、ぼくの左頬にクッキリ手型が残ったんだよ、あーあ。








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