第33話 来ますわよ

アルバートの姿が完全に見えなくなり、射程の長い上位魔法を持つ人たちが詠唱を開始し始める。

 溶岩の進行するであろう道をふさぐようにして隊列を組む約百人の魔法使い。

 徒歩では魔法を駆使してやっと逃げられるか、という溶岩の流れ。だが名馬の足は溶岩より早い。

 つまりここで溶岩を食い止めることに失敗しても、避難していった人たちは溶岩に飲み込まれる危険がある。だがアルバートはほぼ助かることが確定している。

 ずるい。彼を心底軽蔑した。

 僕の横でミズナラの杖を構えるクリスティーナの横顔に、心がまた揺れた。彼女を連れて逃げ出したい、そんな誘惑にかられる。

「大丈夫。ヴォルトは死なない。それに死んでも、一緒に死ぬならそれが幸せ。私だけ生き残るのは不幸」

 クリスティーナは僕の心を読んだかのように、そう言った。

「なんで、そんなふうに断言できるの」

 命がかかっている状況なのに、理解できないほどの信頼を見せる彼女に戸惑う。嬉しいけど嬉しくない。頭がぐちゃぐちゃで、彼女の心が理解できなくて、言い方がきつくなった。

 でも僕の許嫁は、普段の死んだ魚のような瞳が嘘のように。穏やかに、嬉しそうに。表情豊かに微笑んで。

 白い布を被せた林檎のような頬を、さらに赤く染めて。

 僕の顔から視線を逸らしたり、合わせたりを繰り返して、呟いた。


「ヴォルトのことが、好きだから」


 何を言っているのか、理解できなかった。

 でも好き、という言葉が何度も何度も頭の中でリフレインして、灼熱の熱気と涼風の中でも笑顔のままのクリスティーナの視線を、まっすぐに受け止める。

 徐々に、頭がクリスティーナの言葉を理解していく。

 嬉しいっていう感情が胸の奥から、幸せが滲むように全身に広がっていく。

 彼女からはっきり好き、と聞いたのは初めてだ。でも同時に信じられない、という気持ちもある。

「僕のどこが、良かったの?」

 僕は自分に自信がない。成績もパッとしないし、剣術もアルバートに比べれば遠く及ばない。魔法に至っては明らかにクリスティーナより才能がない。

 自分以下の存在を、好きになることがあるんだろうか。

 クリスティーナは一つ一つ、自信に満ちた声で言ってくれた。

「人知れず努力してるところとか、夢を絶対にあきらめないところ」

「後、家柄だけ高い人間と違って人々を見捨てないこと」

「それに何より、こんな私を好きになってくれたところ」

 彼女の言葉が嬉しくて、それと同時に申し訳なくて。

 一言だけ、僕も言葉を返す。

 

「ありがとう。僕も、好きだよ」


 女の子の方から言われたのは情けないけれど。

 こんな時だけれど。

 思いは言葉にしないと伝わらない時もあるから、はっきりと口にした。

「――っ、」

 言って良かった。

 生まれて初めて許嫁に言った言葉は、彼女の表情を今までで一番幸せなものに変えてくれた。

「でもなんで、好きになってくれたの?」

「きっかけなんてない。許嫁として紹介されて、はじめは父親が選んだ相手というだけで、怖かった、感情を押し殺していた。でも」

「同じ時間を過ごすうちに、一緒にいる時間が増える度に、目で追っていることが、増えていって、気がついたら好きになってた」

「私のことを好きになってくれてありがとう。正直、嫌われてると思ってた。私は不愛想だし、クラスでは浮いているし、私と一緒にいるせいでヴォルトまで孤立してる感じがするし、迷惑に思われてると思って、怖かった」

「そんなことないよ」

 僕が孤立気味なのは、クリスティーナと一緒にいるからじゃない。最上位魔法という夢をまだ追いかけているからだ。

「でも、ヴォルトの口からはっきり思いを聞いたことがない」

「一度、許嫁になって嫌だったかって聞かれたことがあるけれど。あの時に嫌われたのかと思った。婚約解消したいのかって。思いを押さえるのが大変だった」

「そのせいか、死んだ魚の目みたいな表情、ってよく言われてたけど」

 何気なく放った一言が、こんなにも不安にさせていたのか。

 普通の女子なら、友達に愚痴ったりしてある程度冷静になれるのだろうけど。

 彼女は相談できる友達なんていないはず。だから一度気になったことは、自分の中で解決するしかなくて。自分だけで考えて、頭の中で堂々巡りになって、ここまで思いつめてしまった。

 彼女にそんな思いをさせたことが申し訳なくて。気が付くとクリスティーナを、僕の許嫁を、抱きしめていた。

「ヴォルト……?」

 初めて腕の中に納まった、好きな人の体。

 服越しに少しだけ熱い体温と、想像よりずっと幸せな感触が伝わってくる。

 胸の中にある世界で一番大事な存在と、今までと同じように、過ごしていきたい。

 でも。

 僕のためらいが肌を触れ合わせているクリスティーナには伝わったのだろうか。彼女にしては珍しく作ったような笑顔を浮かべて、僕を気遣った声音で言った。

「心配しないでも、大丈夫。私にはなんとなくわかる。ヴォルトはきっと、最上位魔法を習得して英雄になれる。だって」


「ヴォルトはもう、私にとって英雄だから」


「あの~、」

 調子の外れた銀笛のような声が、僕たちを気遣うのが聞こえた。

「盛り上がっているところ大変申し訳ないのですけど……」

「若いっていいねえ!」

「俺のカミさんと出会った頃を思い出たぜ!」

「愛は神様も祝福する感情です」

 隊列を組んだ魔法使いの人たちから陽気な笑い声が沸き起こる。

 僕はとっさに、白い布にくるんだ林檎のように頬を染めたクリスティーナを離した。きっと僕の顔も、彼女に負けず劣らず真っ赤になっていることだろう。

「来ますわよ」

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