第29話 ボルケーノマスター

黄金の太陽の下で慰霊の儀式が始まる。

 アデラ様が起立して開会の辞を述べ、司祭が祭壇の前で死者への弔いの言葉を紡いでいく。

 大勢の人に語り掛けることを生業とする司祭の声は張りがあって、遠くまで言葉の内容が聞こえやすい。

 最後列の人たちまでも司祭の話に涙ぐんでいるのがかすかに聞こえてくる。

 だが赤ん坊も参加している慰霊祭だ。

 厳粛な儀式の場でも時折鳴き声が混じったり、それをあやす母親の声が聞こえたりする。

「では、シスターたちが神を称える歌、聖歌を歌います」

 司祭の声と共に、濃紺の修道女服に身を包んだシスターたちが姿勢を正し列を整える。

 カーラは小柄で、同じ服をまとったシスターたちの中では存在がうずもれてしまいそうだった。

 髪に白いものが混じった初老のシスターが素手で指揮を執る。

 カーラたちが息を吸い込む音が、はっきりと聞こえた。

 

 言葉が、一瞬で消えた。


 さっきまで考えていたいろんなことが、全部消えていく。赤ん坊たちの泣き声もぴたりとやんでいた。

 聖歌の歌詞と旋律。それだけがこの瞬間のすべてだった。

 空に届き、雲をさえ震わせるかのような数十人の少女、女性たちの合唱。

 その中でも春風のようなカーラの声は一際よく通る。

 一番小柄なのに、一番の声を持っていた。

 雲越しに見える遥かふもとの町並み。

 湖で釣りをする人や舟を漕ぐ人、街道で宿泊客を相手にしている商人にもこの声は届いているのだろうか。

 雪混じりの蒼き山の山頂。

 そこから続く溶岩が固まった、黒い道。

 悲劇のすべてをかき消すかのように、歌声はただ続いていく。

「デウス、オルガヌム、」

 歌詞と旋律が重さを感じさせるものへと変わった。これは、鎮魂の歌。

 聖書に記されたものと同じ古代語で、歌詞が歌われる。

 死は終わりではない。死者の魂。

 魂は神の下へ召され、滅びることはない。

 残された我々は、ただ神を称え、先に召された人たちを思うのみ。

 歌詞を聞いていると胸がいっぱいになって、鼻の奥がツンとした。

 目から零れ落ちそうになるものを、必死にこらえる。

 やがて指揮者の手が止まり、砂や石にさえ音が染み渡っていくように、徐々に聖歌はやんでゆく。

 聴衆の方を向いて一礼したシスターたちに、音のない拍手が送られた。

 聖歌隊の合唱が終わった後で黒い喪服をまとった遺族の方が一人、慰霊碑の前で弔いの言葉を述べる。

 それから全員で起立して祭壇越しに慰霊碑の方を向く。杖を持つ者は一斉に「捧げ杖」をし、持たないものは腰を深く折って最敬礼をする。

 王国を守り、王国民の盾となって散っていった英雄がそこに眠っている。

 ふと黄金の太陽を大きめの雲が覆い隠す。汗で濡れた肌への風は、いやに冷たく感じた。



 護衛の人たちも手伝って馬車の中から運んできた組み立て式の机が並べられ、ごく簡素な軽食、交流会となった。

 カーラは教会の人たちや関係者と話があるということで、しばらく席を外すらしい。

 アデラ様に挨拶に来る人の波が途切れた後、僕たち四人は生ける英雄の下へ戻る。

 彼女は軽くサンドイッチをつまみながら、紅茶にちびちびと口をつけていた。

「今日が晴れで良かったわ」

 白髪交じりの茜色の髪に雲越しの太陽の光を反射させながら、アデラ様が呟く。僕は慰霊が始まってからずっと気になっていたことを質問してみた。

「なぜこんな不便なところで慰霊を行うのですか?」

「景色がいいからよ、と言いたいところだけど」

 蒼い石や砂がならされ、平坦になった山の斜面。山頂から黒いインクを固めて零したように見えるなめらかな石の道が、この場所でぴたりと止まっている。

「悲しい思いを吐き出すには、ここが一番いいの」

「自画自賛になっちゃうけど、私はここで最上位魔法に目覚め、溶岩を食い止めた。顔さえも火山の熱気で火傷していた、そんな領民たちから歓声が沸き起こったわ。あの時の高揚は今でも忘れない」

 そう言ったアデラ様のそばに、杖を突き腰が曲がった老人たちがいつの間にか立っていた。

「アデラ様は命の恩人、って言葉だけじゃ足らねえ。我々の誇りを、ご先祖様から受け継いだ土地も守ってくれただ」

 彼らは肩を震わせながら、曲がった腰をさらに深く折り、一斉に頭を下げる。

 数百の人たちが頭を下げると、まるでここが別の空間になったかのような錯覚を覚えた。

「こんなことを聞くのは、どうかと思うんですが」

 蒼き山の威容を見るたびに、草木一本生えない中腹に立って、そして溶岩が固まった黒い道を見て、どうしても気になっていたことがあった。

「死にそうな目に遭って。いつもすぐ近くに、家族の命を奪った元凶が見えて。この土地から離れようとは思わなかったんですか?」

「ヴォルト君!」

 アルバートがその質問に眉をひそめ、僕はやらかしてしまったことを自覚する。謝罪しようとするけど、喪服を身にまとった老人たちは穏やかに笑っていた。

「なに、当然の疑問ですだ」

 雪が混じったような白髪頭をぐるりと巡らせて、蒼き山の山頂に目を向ける。

「アデラ様が最上位魔法を習得されたから、っていうのもありますが……」

「なにより、ご先祖様から受け継いだ土地ですだ。簡単には離れられないし、死ぬときは一緒と決めておりますだ。それがふるさと、っていうもんじゃないですかい?」

 ふるさと、か。

 やせた土地、貧しい屋敷、そして父の顔、妹のヴィオラの顔がまぶたの裏に思い浮かぶ。

「……そうですね」

 僕は笑顔を張り付けて、頷いた。

 我慢できなくなって視線を山肌の方へと逸らす。

 すると。

 斜面の、特に急になったところからパラパラと音がするのに気が付いた。

 ふとそちらの方を振り向くと、細かい砂やごく小さい軽石が山肌を転がっていた。

 疑問に思う間もなく、地面が揺れ始めた。

 祭壇が揺さぶられ、こぶし大の石までも斜面を転がり、遠くふもとの景色が揺らいで見える。

 一昨日のものとは比べ物にならない。僕は咄嗟に土魔法を発動させて足元を固め、なんとか踏みとどまる。

 でもカーラも、クリスティーナも地面に座り込んでしまい、さっきの老人たちもお互いに支え合って何とか立つか、地面に手をついてしまった。

 アンジェリカやアルバートでさえ、組み立て式の机に手を置いて何とか耐えている状態だった。

 立っているのが精一杯のはずなのに、皆の視線は一様に蒼き山の山頂へと向けられる。

「来るわね」

 アデラ様が杖を抜いたのを、初めて見た。



 空を突き刺すように高く伸びる、雪混じりの青き山の山頂。青と白のみが支配するそこに、それ以外の色が現れた。

 はじめは、ごく小さな光だった。暗闇に灯るろうそくのような茜色の光。

 昼なのに、あんなに光るのか……?

 その正体に頭を巡らせて、知識の中から正解を探す。正解にたどり着いた時、人生で感じたことのないほどの緊張が体を駆け巡った。

 やがて茜色の光が、沸き立った湯のように小さな粒となって空へ飛び散る。

 同時、山頂から茜色の光がこぼれ落ちるように斜面を流れ出した。

 溶岩だ。

 四十年前の大噴火の時のみならず、数多くの命を奪ってきた大災厄の象徴。

 遠目に見れば美しいとしか思えない。

 昼でも輝くその光、一枚の絵のように蒼と白の山に彩りを添える茜色。

 だがひとたび目前に迫れば、人も家も動物も、森でさえ飲み込んで焼き尽くす。そして冷えて固まれば草木一本生きることができない不毛の石となり大地を覆いつくしてしまう、現世の悪魔。

 話ではいくらでも聞いた。教科書にも載っている。最上位魔法を学ぶ際、勉強もした。

 でも聞いたことも学んだことも、目の前の現実に比べれば作り事でしかない。

 溶岩が流れた後である黒い石の道をなぞるようにして、悪魔が向かってくる。

 さっきは山頂に見えていた茜色の光が、まるで全力で駆ける名馬のような速さでこちらに襲いかかってくる。

 山肌で羽を休めていた一羽の鳥が、飛び立つ間もなく流れに飲み込まれた。

 もがいたために散った羽が、溶岩の上を舞うだけで火に愛撫され黒い炭となる。

 地震のためか稜線から転がり落ちてきた巨石さえ、溶岩に飲み込まれゆっくりとその姿を茜色の輝きの中に消していく。

 すべてを飲み込み、全てを焼き尽くしていく。まさにこの世の悪魔。

 茜色の輝きが、馬車を降りてこの祭壇まで下り始めた場所のすぐ近くまで迫ってきた。

「今回のは、結構大きいわねえ」

 だが金の細工が施されたヒノキの杖を構えたアデラ様は、この中でたった一人、動じることなく溶岩を見据えていた。

 逃げないんですか。

 アデラ様の自信の理由を頭ではわかっていても、そう言いたくなる。

 黒い道は、溶岩が固まってできた道。勾配や高低差の関係から、溶岩が通るルートは大きく変わらない。それはつまり、道が続く僕たちの方へと流れてくるということ。

 溶岩は届かなくても、溶けた岩石がはらむ熱は徐々に届く。

 でも、人々に恐れる様子はない。腰の曲がった老人も、乳飲み子を抱いた母親も、むしろ誇らしさを浮かべていた。

 アデラ様の杖を、ちらと見る。

 最上位魔法の使い手のみに下賜されるというその杖。金の彫り物が成されており僕らが持つ木肌がむき出しのそれとはまるで別物だ。

 茜色の髪を振り乱し、管楽隊の指揮者のように杖を掲げる。

 その瞬間、世界が変わる。

 いや、そう錯覚したほどの膨大な魔力が金が彫られた杖を中心に渦巻いた。

 魔力なんて目に見えないものなのに、目に映りそうなほどはっきりと感じられた。 

 これが、最上位魔法か。発動させる前でさえ、これだけのものなのか。

「イグニス、モンス・ウルカニス、」

 アデラ様が聖書にも使われる古代語で詠唱を行っていく。

 現在の言葉とは別世界の言語のような独特の旋律を持つ、賛美歌にも使われる言葉。

 やがて詠唱が終わり、空間を歪めそうなほどの膨大な魔力が放たれる。


「ボルケーノ・マスター」


 振り下ろされた杖から放たれた膨大な魔力が、蒼き山一帯を覆いつくしていく。

 火属性の魔力が特に親和性の高い溶岩と結びついていくのがわかった。

 茜色に輝く悪魔が、その動きを止めた。

 山頂からは沸き立った湯のように滴を飛び散らせる溶岩がまだ湧き出ているものの、アデラ様の周囲の溶岩は見えない壁に遮られたかのように動きを止めた。

 ガラス窓の下から水の流れを見上げるように、溶岩が見えない壁の上を横に広がっていく。

 僕たちには近づくことができない。

 シスターでもあるカーラが、教会が最上位魔法は神の恩寵と評していた。

 この奇跡を目の当たりにすれば、神に仕える人はそう考えるのも当然か。

 今や溢れんばかりの溶岩は、空を覆いつくすほどに広がっていた。なのに僕たちには一滴に降り注いで来ず、熱でさえ見えない壁に遮られたかのように届かない。

 さらに金細工が施された杖が舞うと、溶岩は逆に山頂へと押し戻されていく。

 数分後、蒼き山には元通りの静寂が戻っていた。

 空は青く、雲間から現れた日差しは照り付けるようで、涼風は汗のにじんだ体に心地よい。

 同時にどっと歓声が沸いた。

 この場所だけでなく、眼下の町からも聞こえてくるようで。

 よく見降ろすと、豆粒のように小さく見える人々が道に出て、屋根に上って、最上位魔法の発動を目に焼き付けていた。

 疲労からか少しよろめいたアデラ様は、執事さんから差し出された薬を飲みながらも手を振っていた。

 平民からも、貴族からも。顔を知っているだけの人からも、親しい人からも尊敬を一身に集めるその姿。

 アンジェリカも体を支えていた机から手を離し、叔母に崇敬の眼差しを向けていた。

 でも僕は。

 自分でもみっともないけれど妬ましかった。悔しかった。

 なぜあそこに僕がいないんだろう。あれだけ頑張ってきたのに。そんな身勝手なことばかり考えていると、祭壇の前に備えられた慰霊碑が目に入る。

 彼らもアデラ様と同じ英雄。違いは生きているか、死んでいるかだけ。

 でも死んでも多くの人たちの心に残り続け、王都でも蒼き山でも、こうして祈りを捧げられる存在となった。

 ふと考える。もしも、最上位魔法が一生使えず、辺境の領主として生きていくのなら。

 僕はこのままなんとなく生きていって、なんとなく死ぬんだろうか。

 最上位魔法を使えないままで、わざわざここに来た甲斐もなく。

 ふと自暴な考えが浮かぶ。

 溶岩が迫った後の風は涼しくて心地よいはずなのに、なぜか気持ち悪いほどに冷たくて体が震えた。

 そんなことを考えていると。

 目の前に落ちる砂の欠片が、不自然に左右に散った。

 散ったと言っても欠片がさらに細かく砕けるのではなく。真っ二つになって、左右に分かれた。

 その前も、そのさらに前の欠片も同様の運命を辿る。

 アデラ様は疲労と咳き込みで、ろくに動ける状態じゃない。

 肝が冷えたけれど何度か見ていたので、少しは落ち着いて対応できた。僕は汗びっしょりになった掌で、すぐそばにいたクリスティーナの体を思い切り引っ張る。

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