第26話 聞き取れない

 太陽が真南に差し掛かり、日差しが焼けるように感じる頃。

 仕事が一区切りついたというアデラ様は屋敷から出てきた。日傘を持った初老の執事さんを従えて、裾の広いゆったりとした服を着て眩し気に目を細めている。

「叔母様!」

 霰のように白髪が混じりややくすんだ茜色の髪。そんな彼女の姿を認め、アンジェリカが水辺から上がった。

 紅の髪に映える白い肌から滴る水滴が、黄金の粒のように輝く。

「そろそろお昼にしましょうか」

 他の使用人たちが純白の布を張った据え置きのパラソルや、屋外用に安定しやすい三脚の丸テーブル、サンドイッチを中心としたつまみやすい食事を持ってきてくれた。

 てきぱきとした準備の下、昼食の時間となる。

 僕たちは体を冷やさないように、水着の上から薄手の上着を羽織って席を共にする。

 クリスティーナがアデラ様やアンジェリカと同席すると、使用人たちの一部から笑顔の下に憤りを感じるがクリスティーナはどこ吹く風だ。

 誰よりも早くサンドイッチを頬張り、紅茶を飲みながらそういった使用人たちを死んだ魚のような目で見つめる。

 気まずそうに眼を逸らす人、わずかだが怒りを露わにする人と反応は様々だがクリスティーナはマイペースに呟いた。

「ありがとう。このトマトとレタスのサンドイッチ、凄く美味しい」

 綻んだ口元に細められた眼、敵意を意に介さないかのような口調。

「あ、ありがとうございます」

 それに毒気を抜かれたのか、使用人たちはつられて頭を下げた。アンジェリカやカーラは、何も言わずにそれを黙って見守ってくれている。

 ローモンド湖の青い水面から吹いてくる、蒸し暑い風が水に濡れた体に心地よく感じる。

 風に当たったせいか、ふとアデラ様が軽くせき込む。

 慌てたように、口元に真っ白なハンカチを当てた。

 ただそれだけのことなのだけど、使用人さんたちが明らかに狼狽した。

「叔母様?」

 肉親であるアンジェリカが、アデラ様の背中をさする。

 アデラ様がハンカチから口を離した時、近頃よく見かけるようになった色が見えた。


 純白のハンカチを鮮やかに染めた、紅の血痕。それはアルバートの髪の色とよく似ていた。


「叔母様?」

「は、早くお医者さんを」

 アンジェリカが、カーラが目に見えるほどに動揺した。滅多に騒がないクリスティーナでさえ、表情に変化がある。

 僕はアデラ様を運ぶ必要があるかと、土魔法で補助をしようとしたけれど。

 執事さんがポケットから薬包紙を取り出して広げ、お湯に溶かしてアデラ様に飲ませた。

 しわのある喉が鳴るたびに、アデラ様の呼吸が穏やかになって行く。

 やがて呼吸が落ち着き、執事さんが手を貸して椅子に座らせる。

「去年ごろから、肺を病まれまして。時折こうして、発作のように血を吐かれるのです」

「だ、大丈夫なのですの? それにどうして、わたくしたちに教えてくださらなかったのです?」

「心配かけるのが、心苦しくてね…… でも本当に、大丈夫よ。近頃は薬のお陰でずいぶん楽になったから」

 執事さんが開いた、薬包紙に視線が向けられる。幾重にもしわが刻まれた薬を包む紙の中に、数個の茶色い粒が残っているのが見えた。

「アンの縁談の相手が、私の病気のことを相談したら『大陸では、肺の病に効く薬があります』って送ってくれたの」

「念のため我々も毒見しましたが、安全性に問題ないようでした」

 昼食を食べ終わって、僕たちは再び水の中へと戻る。

 アデラ様が心配だし悪いと思ったけれど、もし遊びに戻らなければ自分のせいで僕たちが楽しめなかった、とアデラ様が思うかもしれない。

 アデラ様は養生のためか昼食が終わってもそのままで、傍らに立つ執事さんと共にパラソルの下で日を避けながら、僕たちを眺めていた。

 何か二人で話しているようだけど、距離が遠くて会話の内容までは聞き取れない。

「あの土属性魔法の使い手の子、どう思う?」

「昨日の様子や、今日の水遊びの様子からすると実直にして純粋。悪くはありませんな。才覚が熱意に追い付かず空回りしている点はあるものの、あの年齢にしては十分でしょう」

「アルと比べると?」

「魔法も剣も坊っちゃんですが。坊っちゃんには玉にキズがありますからな」

「そうよねえ、どこでああもひねくれてしまったのかしら…… もう一人の女の子は?」

「血筋から相当な苦労をしてきたのでしょうな。それなのにあの若さで腐らず、達観しながらも些細なことに喜びを見出して生きようとしている。個人の才覚だけでは無理でしょう。誰か支えてくれる人間が、いるのでしょ」

 会話の内容は最後まで聞き取れなかったけど。僕は最後に一瞬だけ視線を感じた。


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