第8話 握りしめられた拳

 軽食を売る露店の店が途切れたころ、服飾を扱う店があるほうから赤い髪をした女子の一群が歩いてくるのが見えた。

 家々の軒先に張られた、屋根だけの天幕の下。

 影に包み込まれても太陽の如くその存在を主張する深紅の髪の色を持つ、公爵家令嬢。

 国王の一族にして、最上位魔法の使い手を輩出した家柄。

 彼女たちがこんな地区に来るのは意外だけど、庶民の味が恋しくなるときもあるのか?

 軽く会釈して天幕の下を僕らは日向の方へ、アンジェリカ達は日陰の方へ避けてすれ違う。

 公爵家令嬢、学年首席に対して卑屈に頭を下げ、彼女の取り巻きがそれに留飲を下げる。

 いつもならそれで終わりだけど、今日は。

「クリスティーナ・クウオークさん。本日は、大変でしたわね」

 アンジェリカが初めてクリスティーナに声をかけてきた。

 銀笛に例えられる彼女の声が、雑踏に包まれた場を支配する。

 道行く人々の流れは変わっていないのに、この場所だけが空間から切り取られたよう。

 軽く横目で周囲を確認する。天幕の下を行き交う人々の流れが変わり、切り取られた空間を避けるように歩いていた。

 アンジェリカの取り巻きも、クリスティーナさえも呆気に取られていた。

 マギカ・パブリックスクールは六年制だ。

 僕たちは学園生活も五年目に入り、ほぼグループや学内カーストと言ったものは固定されている。

 遊ぶメンバーも成績や気の合う合わない、家柄や親同士の付き合いなどで大体固定されており、事務的な用事以外で話しかけることなどまずない。特に女子は。

「は、はい。 ……でも、ヴォルトのお陰で怪我がなかった」

「さすがは、許嫁同士と言ったところかしら」

「アンジェリカからそういう風に言われるとは。光栄、だね」

 緊張と、彼女の取り巻きの視線のせいでつい早口に、短い返事になってしまう。

 中央の官僚の家柄が多い彼女たちは、突如国王の一族から話しかけられた僕たちに刺すような視線を向けている。

 特にクリスティーナは立場上、風当たりが強い。

 だがアンジェリカはその空気を知らずか、知っていても無視してか、さらに言葉を続ける。

「クリスティーナさん。わたくしたちと、放課後のお茶でもいかがかしら。お菓子も用意していましてよ」

「お菓子……!」

 林檎の残り香を風に漂わせながら、クリスティーナは死んだ魚のようだった目を一瞬で輝かせる。

「え、ええ。街では見られない珍しいお菓子もご用意できますわ」

 アンジェリカがクリスティーナの熱意に気圧されていた。こんな彼女を見るのは、初めてだ。「珍しい……!」

 今にもクリスティーナはついていきそうになるが、その雰囲気に待ったをかけたのは当然、アンジェリカの取り巻きの少女たちだった。

「クリスティーナ嬢?」

 一人がクリスティーナの名を、含みを持たせた言い方で口にする。

「アンジェリカ様は公爵家令嬢。色々と、ご予定もあります。直々のお誘いとはいえ、謹んでお断りするのが貴族としてのマナーでしょう?」

 クリスティーナの目の光がまた、消え去る。

 光彩の失せた瞳が、全てを諦めたかのように水色に濁る。

「……およしなさい。そういう言い方はあまり好みませんわ」

「しかしアンジェリカ様は公爵家、クリスティーナ嬢とは身分が違います」

「身分、ですか……」

 アンジェリカは薄く笑ったが、すぐに誰もが見とれるような微笑を張り付かせた。

「わたくしが言えたことではないでしょうけど、公爵家だの、身分だのと言われ続けていては気がめいってしまいますわ」

 取り巻きの女子たちはその言葉に目を見開いた。

「公爵家でも、クラスメイトを気遣うくらいは許してほしいですわね。犯人が誰かはうやむやになりましたけど」

 アンジェリカは悲しげな眼をして言葉を切った。

 そのまま切れ長の瞳で僕とクリスティーナを交互に見て、さっきよりはっきりと笑う。

「それに今時は珍しく、十代になったばかりで婚約されたお二人のこと、ぜひともゆっくりと話を聞かせてほしいですわ」

「アンジェリカ様、急にどうされたのですか?」

 取り巻きの一人の言葉に、スクールカースト最上位の少女は恥じらい交じりに答えた。

「実はわたくしにも先日、縁談の話が持ち上がりまして」

「え?」

「そうなんですか、アンジェリカ様?」

「私たち、聞いてないですよ!」

 さっきまでのとげとげしい雰囲気が嘘のように、取り巻きの女子たちは黄色い声をあげた。

 アンジェリカ様に話が来るくらいなのですからきっと素晴らしい殿方なのですね。

 領地はどちらで? それとも帝国の方ですか?

 ああ、私たちも一度お会いしてみたいです!

 まるで蜂をつついたような騒ぎになった。

 アンジェリカが軽く咳ばらいをして、場を鎮める。

「そこですでに許嫁として五年近く過ごしておられる、あなた方の話を伺いたいと思ったのですわ」

 そういうことでしたら、とクリスティーナがお茶に呼ばれすることを許容するような雰囲気が流れ始める。

 だが取り巻きの一人、頭の両側でらせん状の茶色の髪を垂らした少女が非難の声を上げた。その拍子に胸から下げたロザリオが揺れる。


「アンジェリカ様! このような妾の子が、中途半端な貴族が、アンジェリカ様と食事を共にするなどもってのほかです!」


 空気が、凍り付いた。

 アンジェリカと、その取り巻きと、クリスティーナから音が消え去る。身じろぎによる衣擦れも、呼吸の音すらなくなってしまったかのように感じられた。

 クリスティーナが一瞬だけ、水色を研いだナイフのように鋭利な視線を彼女に向ける。

 でもすぐにいつもの死んだ魚のような目に戻った。

 それを見てらせん髪の少女は表情を緩ませ、すぐにクリスティーナを見下したかのように睨み返す。頭の両側で結った、枝に巻き付く蔓のような髪が揺れた。

 腰にあるのは今日、風属性上位魔法ウインド・ストームを使ったサルスベリの杖。

「しょ、しょせんはその程度の人間ということです」

 空気が肌にひりつくような険悪さを帯びた。

 天幕の下をすれ違っていた大勢の通行人は、もう影もまばらだ。

 地面を染める日の色が一層赤みを増し、天幕を支える支柱の影が僕らの背丈の数倍を超している。

 夜を運んでくる風が、汗ばんだ体から熱を奪う。

 アンジェリカだけは平静を崩さないけれど、取り巻きの女子やクリスティーナの手がわずかに動いた。

 その先には腰に差した杖があった。

 魔法を発動するために必要な、属性に応じた四種類の杖。

 だけど、その手を止めたのは。日の入りが近づいたことを告げる、教会の鐘だった。

 王都に響き渡る荘厳な音色。

 夕日に包まれて聞く鐘の音は、同じ音色のはずなのに寂しい感じがする。子供の頃はこれを聞くと家に帰らなければならなかったから、余計にそう思えた。

「今日はこのくらいで…… ごきげんよう」

 鐘の音が響き終わったのを見計らったかのように、アンジェリカがそう言いながら深々と頭を下げる。取り巻きが動かないうちに、僕らとすれ違うように歩き出した。

 らせん髪の女子をはじめとした子たちも、慌てたようにその姿を追う。

「所詮は妾腹の子よ。アンジェリカ様がお誘いされたのも気まぐれですわ」

「ランチですら使用人に作ってもらえず、自分で作る召使まがいの女が」

 すれ違いざま、ほかの女子たちの陰湿な声が耳を汚す。

 アンジェリカの取り巻きたちの姿が全員見えなくなったころ、僕はクリスティーナに声をかけた。

「クリスティーナ…… 僕が言うのもなんだけど、あんまり気にしない方が良いよ」

 言ってみて、自分に吐き気がした。

 これじゃないのに。彼女がかけて欲しい言葉は、こんなものじゃないはずなのに。

「別に、気にしてない。事実だから」

 平然とそう言い放った彼女の拳は、固く握りしめられていた。

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