第21話

 遠いところから何かが叶槻を呼んでいる声がする。理由はわからないが、叶槻はその声を異常に怖がっていた。だが、同時にそこに行きたいという気持ちもある。怖いもの見たさというのか。彼はゆっくりと前に進んでいく。突如として前方に現れた大きな闇の中から何かが彼を呼ぶ。叶槻は悲鳴を上げて身をよじるが逃げられず、じりじりと闇に引き寄せられていく。自分の悲鳴をすり抜けて、呼び声が叶槻の耳に入り込んできた。

 イア!

 悲鳴と共に叶槻は飛び起きた。咄嗟に周囲を見渡す。ナンシーとベイカー教授が彼の顔を覗き込んでいた。

 叶槻は上体を起こした。船室のベッドにいた。額の汗を拭って荒い息を吐く。また、あの夢か。

「やっと目が覚めた」

 ナンシーがほっとした口調で言う。英語だった。

「大丈夫かね?ずっとうなされていたが」

 ベイカー教授が心配げに言うが、彼自身も顔色はよくない。末期の麻薬中毒なのだから当然だ。

「だ、大丈夫だ。それより、ここは?」

「ベイカー教授の船室よ。あなたがこの船を降りてからしばらく経った後に、あの副長が意識のないあなたを連れて戻って来たの。彼は拳銃で私たちを脅して、ここに閉じ込めたわ。どこから探したのかしらないけど鍵を持っていて、外側から扉に鍵をかけた。彼、私たちに英語を話していたわ。驚いた」

 ナンシーに続いて、ベイカー教授が苛立ちを隠さずに言う。

「一体何があったんだ?あの軍人は何の説明もなしに我々をこの部屋に閉じ込めた。この船の乗組員たちはどうなったんだ?なんで我々は再び監禁されているんだ?」

 叶槻は2人に全てを話した。上陸した島でシルバーキーの乗組員たちと銃撃戦になったこと、島の奥で古代の遺跡を発見したこと、自分が帰ったら副長が反乱を起こして艦を乗っ取られたこと。

「反乱なんて日本海軍じゃ珍しいわね。陸軍は何度かあったけど」

 ナンシーが呆れた顔で言った。改めて叶槻は赤面して恥じた。艦を乗っ取られるなどと前代未聞だ。

「俺がここに来てからどれくらい経ったんだ?」

 ナンシーは自分の腕時計を見て答える。

「12時間は経っていないわ。まだ夜明け前よ」

 愛工は蘭堂に対して丸1日は目覚めないような麻酔を打てと命じた。しかし、その半分で叶槻が覚醒したのは何故か。叶槻が麻酔に強い体質なのか、蘭堂が愛工に反して麻酔薬を少な目に投与したのか。どちらかはわからないが、これは好機だと叶槻は思った。

「俺の潜水艦は未だ出発していないな?」

 ナンシーは扉に目を遣って小声で言う。

「あの向こうに見張りが2人いるわ。彼らが未だ居るってことは、潜水艦も出発していない筈よ」

 どうにかして艦を取り戻す方法はないか。叶槻が思案する中、ベイカー教授はすがり付くような表情で彼に訴えた。

「あの島が出現してから、既に40時間近く経過している。もう一刻の猶予もない。いつ邪神が復活してもおかしくないんだ。あんたたちは軍人なんだろう?この船の爆雷を海に投射して島を沈めてくれ。準備万端で、後は爆雷を落とすだけなんだ。今なら海底の地盤は脆くなっているから、この位置でも充分効果はある。早くしないと奴が、クトゥルフが目覚めてからでは手遅れになってしまう……」

「俺1人では無理だ。それに、艦の乗組員はそんな話しを信じない」

 ベイカー教授は絶望して天を仰いだ。

「最後のチャンスなのに……。君の部下たちはクトゥルフの邪な思念に影響されているんだ。20年前にあれが出現した時には世界中で精神を病む者が大量発生した。それと同じことがあの潜水艦にも起きている。精神が不安定になり、理性のタガが外れてしまう。おそらく、この船の乗組員たちが正気を失くして全滅したのも、それが原因だ。」

「副長が反乱を起こしたのは、邪神の影響だと言うのか?いい加減にしてくれ。愛工が反乱を決意した直接のきっかけは、この船であの不気味な彫像を見て、あれを金塊だと思い込んだからだ」

 ベイカー教授は頭を左右に振った。

「あれは金なんかじゃない。オリハルコンといって、遥かに貴重な金属だ。だが、この時代ではその価値は理解されない。ただのまがい物だと判断されるだけだ。この船の船長にもそう言ったが、信じようとしなかった」

「オリハルコン?またそんな出鱈目なものを……」

 言いかけた叶槻は口を閉ざした。あれが金塊ではないと知れば、愛工の計画は御破算だ。彼自身が頑なに金塊だと信じても、他の乗組員たちを動揺させることができるかもしれない。あの反乱は愛工が煽動したものだ。彼1人をなんとかすれば、他の者たちの気持ちを変えられる可能性はある。

「どうにかしてこの部屋を出て、潜水艦に戻らなければ。たぶん愛工は、島の遺跡からできるだけ多くの彫像を回収させている。だから未だ出発していないんだ。しかし、それもそう長くはかからないだろう」

 焦った叶槻は部屋の中を物色して、武器になりそうなものを探し回ったが徒労に終わった。その姿を眺めていたナンシーが小さく囁いた。

「外の見張りを片付けたいのね。少なくとも扉を開けさせることはできるわ。その後はあなたがなんとかしなさい」

「何をするつもりだ?」

 叶槻の問いに、ナンシーはうっすらと笑みを浮かべた。例の妖しげな笑みを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る