第19話

「去年のあ号作戦で、大勢の仲間が死んでいった。敵の対潜能力は日本よりも遥かに上なんだ!何故だと思う?連合軍はとっくの昔に潜水艦を危険な兵器だと認識していたから、これと戦う方法を徹底的に研究したんだ!だが、日本海軍は潜水艦を戦艦や空母のおまけ程度にしか考えなかった。潜水艦を見くびって、ろくに研究もしなかったから、あ号作戦では空母まで敵潜水艦に沈められちまった!もっと前から俺たちの意見をよく聞いて、対潜能力を磨いていれば、あれ程多くの味方の艦を失わずにすんだ!対潜能力が向上すれば潜水艦自体も性能が上がって、今頃は敵の駆逐艦を何隻も沈められるような艦が出来上がっていたかも知れない。だが、もう遅い。捷一号作戦で連合艦隊は完全に止めを刺された。当たり前だ、あの作戦の前から敵の戦力はこっちの何倍も上回っていたんだからな。そうなったのは、何年も敵の補給線を放ったらかしにしていたせいだ。俺たち潜水艦乗りを軽んじてきたせいだ!どうせお前も俺たちを見下していたんだろう?お前みたいな奴らが、俺たちの仲間を無駄死にさせたんだ!」

 叶槻は何も言い返せなかった。彼が水上艦艇の乗組員を選んだのは、それが当たり前だと思っていたからだ。潜水艦勤務を考えることはなかった。

「能無しの上層部はとうとう大和まで特攻隊に使っちまった!それを知った時、俺は心底奴らに愛想が尽きたんだ!あいつらに従っていたら、その内全員無駄死にしちまう。俺たちはそうはならない!」

 知っていたのか。叶槻は愛工の情報収集力を過小評価していたことを後悔した。目の前にいるこの男は、自分が思っていたよりも遥かに有能なのだ。有能な軍人ほど、今の日本の情勢に憤りを感じている。叶槻と親しい陸海軍の人間は皆そうだった。

「お前たちはこれからどうするつもりなんだ?反乱なんて起こしたら軍法会議にかけられるんだぞ」

「今の日本海軍に俺たちを捕まえる力なんてねえよ!俺たちはこのまま南米に逃げる!どうせ日本は無条件降伏する。そうなれば今の軍部も解体されるだろう。その時まで南米に潜伏して、安全な状態になった時に帰国すれば何の問題もない」

「南米諸国は日本に宣戦布告している。何の当てもない南米で生きていけるのか?そんなことできる訳がない」

「できるさ!あの金塊が俺たちの安全を保証してくれる」

 愛工は甲板に積み上げられた金色の彫像を指差した。

「引馬たちは最初俺の考えに渋っていたが、俺が貨物船で金塊を見た話をしたら一気に決心してくれたよ。しかも、貨物船の奴らは島に金を探しにいったという。そいつらを探しにいったお前たちは、案の定金塊を持ち帰った。これだけの金があれば俺たちは大金持ちだ。どこに行っても生きていける。いざという時は中国人にでも成りすませばいい。俺は中国語だって話せるんだ。アメリカと戦争する前に俺は上海の租界に何回も行って、酒場やカジノで覚え込んだからな」

「あの金塊は講和交渉のために使うものだ。ソ連に渡して連合国との仲介をさせれば、講和の可能性はある。お前の思うようにはならない」

 叶槻の言葉を聞いて、愛工はげらげらと大きく笑いだした。

「おめでたい奴だ!ソ連が仲介なんてする訳ねえだろ!俺は上海でロシア人と何度も酒を飲んだことがあるからわかるんだよ。あいつらは日本人とまともな取り引きなんてしねえってな。金塊だけ巻き上げた後に、勝ち馬に乗って宣戦布告するだけだ!」

 ここで蘭堂が我慢できずに口を挟んできた。

「副長、何度も言いますが、この彫像が本物の金だとは限らないんですよ?南米に逃げて、これが何の価値もないまがい物だとわかったら、どうするんですか?」

 それを受けて、愛工はあからさまに嘲りの表情で蘭堂を怒鳴り付けた。

「アメリカかぶれは黙ってろ!あんた、トラック諸島行きが決まって本当はほっとしているんだろ?」

「な、何を言うんだ」

 思いがけないことを言われた蘭堂は怯んだ。

「連合軍は沖縄に上陸して、本州まであとわずかだ。もうトラック諸島に用はない。逆に言えば、あそこは安全地帯だ。連日の空襲で危険な日本にいるよりも遥かに安心だ。あんたはそう思っているんだろ?」

「そんなことはない。私は……」

 叶槻には、蘭堂が明らかに狼狽えているように見えた。誰にも内緒にしていた心の内側を見透かされた。そんな感じだ。強く否定してもいないところから、当たらずとも遠からずといったところらしい。

「この艦に乗っている間、あんたからは緊張感がまるで伝わらなかった。本土決戦が叫ばれている中、今時珍しいぜ。それはあんたが独り身で、他に心配する家族がいないからだろ?自分が安全なトラック諸島に行けば、何の憂いもない。だがな、現実を教えてやるよ。あそこから帰還した同期から聞いた話だ。去年の米軍の攻撃で食糧備蓄が燃やされたトラック諸島は、慢性的な飢餓状態になっている。あんな小さな島々に10000人以上の人間が取り残されているんだ。毎日何十人も餓死する奴が出ている。仮にこの艦がトラック諸島に行ったとしても積んでいる補給物資なんか、あっという間に食い尽くされちまう。日本も空襲で危険だが、あそこも飢えや病気で危険なんだよ。もう安全地帯なんて、どこにもねえんだ。それでもお気楽でいられるかい?」

 蘭堂は愛工の言葉に、大きな衝撃を受けていた。ある程度のことは覚悟していたが、自分の力ではどうしようもない絶望的な状況を思い知らされたのだ。思惑がことごとく打ち砕かれ、両手が小刻みに震えていた。

「だがな蘭堂少佐、あんたは医者だ。今後の俺たちの役に立つ。俺のいう通りにするなら、連れていってやるよ。どうだい?」

 蘭堂の額から大粒の汗が流れていた。懸命に身の処し方を考えている。そんな彼に、愛工は駄目押しの口撃を加えた。

「俺たちと離れた後、仮に日本に帰れたとしても反乱を許した責任を取らされるぞ。軍法会議にかけられるのはあんたと叶槻の方だよ」

 その言葉で蘭堂は決心した。

 涙目で蘭堂は叶槻に言った。

「艦長、すみません……」

 蘭堂はうなだれて愛工の元に進み、彼の背後の一団に加わった。

 叶槻は自分の足許が大きく揺らいでいるような気分になったが、波のせいではなかった。

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