第3話

「いよいよ伊375潜の初陣ですな。私にとっても初陣です」

「軍医殿はこれまで地上勤務でしたね。艦の居心地はいかがですか?」

「悪くはないです。狭いのは覚悟していましたので。若い頃はよく客船に乗っていたから船酔いはしないでしょう」

 蘭堂は40歳で、この潜水艦では最年長だ。父親の代から裕福な医者で、跡継ぎとして医者の勉強をしていたが、医学生時代にアメリカに留学しており、帰国後に医者になり、そして海軍軍医になった。

 しかしその頃にはアメリカとの関係は悪化する一方で、アメリカ帰りの軍医を軍艦に乗せることを海軍省が敬遠したために、蘭堂は今まで地上基地を転々とする生活を続ける羽目になった。

 だが昨年から人的損耗が激しくなり、遂に蘭堂にも艦上勤務が命じられることになった。それが伊375潜での軍医の任務である。

 もっとも、目的地のトラック諸島到着後は現地に残って医療任務を行うことになっており、言ってみれば究極の島流しだ。しかし本人は自分の処遇に悲観している様子はまったくない。初対面の時からどことなく飄々とした雰囲気を漂わせており、これも軍人らしくはないのだが、叶槻は蘭堂に対してはなんとなく好感を抱いていた。おそらくは馬が合うのだろう。

「……この任務に後ろ向きな乗組員がいるのは確かですが、私は大事なことだと思っています」

 おもむろに蘭堂がそう言ったので、叶槻は心底驚いた。自分の考えていることを見透かされた気がした。

「潜水艦の本来の任務は敵艦の撃沈でしょう。彼らはそれをやり遂げるために厳しい訓練に耐えてきた。それなのに今は運び屋ですから、腐るのもわかります」

 蘭堂は艦尾に顔を向けて言葉を続ける。

「でも、トラック諸島には取り残された友軍が大勢います。補給がままならない今、彼らはこの艦の食糧や医薬品を待っている」

 軍医は叶槻に視線を戻すと熱のこもった口調で語る。

「これまで私は昼行灯みたいな者でしたが、今度こそ国の役に立ちたいんです。だから危険を冒して私を運んでくれる艦長には感謝しています」

 そのように言われて叶槻は困惑した。こっちは任務だからやっているだけだ。感謝されてもどう返答していいのか。

「それに、トラック諸島には飛行機を失ったベテランパイロットが大勢います。この潜水艦が日本に帰る時には彼らを乗せるんですよね。本土決戦のためには貴重な戦力になります。この任務は極めて重要なんです」

 確かにそうだ。長年の戦いで熟練の飛行機乗りはほとんど戦死してしまった。今や日本上空の制空権すら失っているのはそのせいだ。目的地到着後は貨物室は空になる。そこに50人から100人は収容できる。トラック諸島にどれだけのパイロットが残っているのかはわからないが、彼らが本土に帰還できれば航空戦力の建て直しができるかもしれない。

 伊375潜はトラック諸島へ補給すると同時に日本本土へも補給するのだ。叶槻は自分の任務は価値のあるものだと思えるようになった。

「軍医殿、そう言ってもらえるとありがたいです。あなたを無事トラック諸島に届けるように努力します」

 叶槻の言葉に蘭堂は笑顔でうなずいた。

 しかし数日後、伊375潜は危機に直面する。

 米軍の駆逐艦に遭遇したのだ。

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