第五場 廻航

 濃すぎた一日を終えて帰宅した礼史は、ほとんど着の身着のままベッドに倒れ込んだ。そのまま意識を失ったのだが、一瞬で目覚めた。

 正確には八時間が経過していたのだが、体感では寝た瞬間に目覚めた感覚だ。余程疲れていたのだろうと改めて思わされた。

 とりあえず携帯を見ようと思った礼史は、いつもの置き場所の枕元をまさぐったが、そこにはない。よもやと思いズボンのポケットを探ると、そこから人肌に温もった携帯が窮屈そうに存在していた。充電もかなり減った状態だ。

 画面に目を遣るとメッセージが二件届いていた。窓からだ。

『荷物をまとめて今から家を出る。一応報告まで』

 昨晩窓と別れてから、二時間程が経過した時刻に届いていた。自宅にはあまり留まらず、予告通り世良さん宅もとい、タマルの管理人室に居着いているようだ。

 もう一件届いているのは、一香だった。

『窓はどうなってるの? 大丈夫なの? 何か知ってたら教えて』

「はあ?」

 思わずそう発した。窓には昨夜、一香には連絡するように言ったはずだ。そして窓もそれに応じて連絡をしているような素振りを見せていたのだ。なのに何故一香からこんなメッセージが届くのか。あいつはどんな報告をしたんだ。礼史はムッとした。

 一香からのメッセージは朝方に届いている。眠れない人間が困って困って連絡してくる時刻だ。深夜ということも相まってか、文章からは不安が漏れ出ている。

 ここで一香に『大丈夫だ』と連絡するのは簡単だが、ここまで心配を掛けている手前、本人から直に連絡をした方が安心させられるだろう。礼史は一肌脱いで、窓を一括してやろうと思い、ベッドから起き上がった。

「まったく、手間のかかるお二人さんだぜ」

 独りごちて動いてみて気付いた。身体が軽い。

 なるほど、直感では一瞬だったが睡眠時間に違わぬ回復量だ。これなら今日も存分に活動出来そうだ。

 礼史は軽食を済ませようと、自室を軽やかに後にして行った。


◆◆◆◆


 ――今日が日曜日で良かった。

 礼史はそう思いながら自転車に跨っていた。もしこれが平日であれば、大学に行かなくてはならないし、そうなれば混沌としているタマルの問題、親友の問題に首を突っ込むことが出来なかっただろう。

 今や未来の就職先であるかも怪しい会社ではあるが、今回の件は最後まで見届けたいという気持ちがあった。何となく、それが自分の使命であるかのような気がした。


 管理人室にたどり着き、ドアを開けると、何やら忙しそうな世良と窓の姿があった。二人とも違ったノートパソコンを立ち上げて、何やら打ち込んでいる。礼史が挨拶をしながら入ってきたことにも気付いていない様子だ。

 これでは一香への連絡が滞っていても何ら不思議ではない。礼史は伏し目がちな表情で、窓に話しかける。

「お・は・よ・う!」

 窓は顔をパソコンに向けたまま黒目だけを動かして礼史を確認すると、

「あ、おはよー」

 とだけ発して、黒目を画面に戻した。ぞんざいな扱いだ。

 こいつに話しかけても無駄だとばかりに矛先を世良に変え、礼史は問いかける。

「二人して、何をしてるんですか?」

 世良はしっかりと礼史を捕捉した様子で、滑らかに口を動かした。

「やあ礼史くん。今ね、窓くんの発案でちょっとしたソフトを作っているんだよ。

 そのためにちょっと音声をサンプリングしなきゃならなくて忙しいんだ。ちょっとその辺りにでも座って待っていてくれるかな」

 言い方は丁寧だが、扱いは窓と同様にぞんざいである。これは待つしかなさそうだと礼史も観念し、畳のフロアに上がるとゴロンと寝転んだ。

 世良のあの表情、あれはまさに『技術者モード』のとでも言うべき世良である。普段の好々爺の雰囲気ではなく、とことん機械いじりの好きなオタクといった様相を呈している。蒼人の言っていた意味が分かったような気がした。

 確か蒼人曰く、秀勝さんが惚れ込んで他社から引き抜いたというような話をしていたはずだ。そして今尚天才エンジニアであるとも。

 眼光鋭く画面を見つめ、目にも留まらぬ速さでタイピングとマウス操作を繰り返す姿は、確かにその形容がぴったりだった。


◆◆◆◆


 礼史が二人の開発風景の見学に飽きてコンビニにいって帰ってきた時、ドアを開けると二人の満足げな笑顔が礼史を出迎えた。

「出来たよ!」

 先程とは打って変わって窓は目を輝かせて礼史を迎え入れた。

「ちょっとこれを、聞いてみてくれるかい?」

 世良もそう言って何かを操作し始めた。すると、パソコン脇のスピーカーから声が聞こえてくる。

『れいじ、これはてすとだ、これはてすとだ』

 やや硬い口調ではあるが確かにそう言った。それも、何だか聞き覚えのある声に感じた。礼史は記憶を辿って頭をフル回転させて、ようやくその声の主にたどり着く。

「これって、鉄哉さんの声じゃないか!?」

「御名答!」

 世良が嬉しそうに言うと、窓とハイタッチをした。

「ちょっと滑らかさが足りないけれど、発音自体は良かったですね」

 窓が話しかけると、世良も数度頷いて腕を組んだ。

「そうだね、まだ及第点だ。私がもう少しサンプル音を調整してみようか」

「お願いします」

 礼史は蚊帳の外に置かれた気分だ。層の方に目を遣ると『説明しろ』と表情で訴えかけた。窓も察したらしく、口を開く。

「これは、礼史にアイデアを貰って作った、伯父さんの声を出すソフトなんだ」

「俺から?」

「そう。ほら礼史、金星さんの声真似するでしょ? あれで閃いたんだ。伯父さんの声をコピーして喋らせる事が出来れば、色々分かるんじゃないかってね」

 とんでもない発想だと、礼史は思った。まさか自分のモノマネレパートリーが、ある種の技術革新を起こそうとは思っても見なかった。

「鉄哉さんの声でって、そんなこと、可能なのか?」

「現に今、喋ったじゃない。一晩の成果としては上々だと思うよ。

 昨日あれから世良さんに相談して、ベースになるカーナビ用の音声読み上げソフトがあるから、音声を合成すれば出来るかもって話しになったんだ」

 世良がバトンを受けたように続けて話し出す。

「それで簡単なコーディング部分は窓くんに任せて、私はホームページにアップしてあった鉄哉さんの社長就任挨拶の動画から、音声を一音ずつ拾って来たんだ。それをベースコードにマージして、素動作の確認をして、今に至るってところだね」

 早口にまくしたてる世良の言葉の意味を、礼史は半分くらいしか理解出来なかった。簡単に言えば、二人で鉄哉の声を出すマシンを作ったということなんだろう。

 世良さんの技術者っぷりは初めて見るが、なるほどまだまだ現役でもいけそうだ。そして驚くべきはその人と作業を分け合っていた親友だ。一緒に研修を受けたはずの同期は、もはや遠くへ旅立ってしまっているらしい。

「……わからないけど、わかりました。それで、それを使って何をする気だ」

 窓はニヤリと笑う。

「帆ノ宮さんだよ。あの人に訊くんだ。伯父さんの声でね」

 そうか。

 礼史は感心した。正直、何故鉄哉の声を出す必要があるのか理解出来ていなかったが、帆ノ宮の名前が出てきてピンときた。

 鉄哉と帆ノ宮は<タマル・システムズ>においてセットと言っていい程の存在だ。鉄哉がもし何かを企てたのだとしたら、それには必ず帆ノ宮も関与している。

 鉄哉ほどではないが、帆ノ宮だって秀勝の死によって位を上げた人間の一人であることに間違いはない。もし本当に悪辣非道な行為が行われていたのならば、二名は共犯者である可能性が高いのだ。

 そして帆ノ宮は短絡的かつ直情的な老人である。そのことは恋人の父という立場で見てきた窓が最も知るところだ。与し易しとみていい。

「なるほど……お前の考えは分かった。帆ノ宮さんを落とそうってんだな」

「落とす……までいけるか分からないけど、何かしらヒントは得たいね」

 窓は不敵に笑う。その横で、世良は腕を組みながら考え込む素振りを見せた。

「……でもね、問題は何を言わせるかだ。正直、リアルタイムに会話を出来るような代物じゃあないよ。入力してすぐ滑らかに喋るのは無理がある。だから予め言葉を決めて、それに特化した発音で調整するしかないんだ」

 それは確かに問題だ。礼史は思った。

 今の話でいくと、決め打ちで質問を考えて置かなければならない。そしてその言葉によってヒントを得なければならない。これは中々に難問だ。

 しかし世良の話を聞いても、窓は表情を崩さない。

「何でお前そんなに余裕なんだよ、何か考えがあるのか?」

 礼史が問うと、窓は当然とばかりに頷いた。

「ある。とってもシンプルな、事実に則した話でいいんだ」

「どういうこと?」

 世良も首を傾げる。

「伯父さんの声でこう訊けばいい。『秀勝の亡霊が出た』とね」

「亡霊が……でた」

 礼史は思わず口走った。どこかで聞いたセリフだ。

 なるほど。

 やはりこいつは頭が切れる。礼史は改めてそう感じた。

 もしも秀勝の死に鉄哉と帆ノ宮が何らかの関わりがあったとすれば、亡霊と聞いて平常心ではいられないだろう。その取り乱し方を確認することが出来る。更に言えば、勝手に自白じみたことを始める可能性すらありそうだ。

「うん、それはいい案かも知れない。

 作ってる最中も思ったけど、窓くんはやっぱり秀勝さんの血を引いてるよ」

 窓はそれを聞いて照れくさそうに笑ったが、どこか寂しそうに眉を顰めた。


◆◆◆◆

 

 世良は昼食と休憩を兼ねて、管理人室を留守にしていた。今後のこともあるから体力を蓄えに行ったのだろうことは礼史にも察することが出来た。


 窓の判断で、『鉄哉の声色作戦』の決行は今夜となった。

 その理由は三つ。

 一つは、音声の調整に時間を要すること。世良曰く『四時間ほしい』とのことだ。今の時間からみて物理的に夕方以降ということになる。

 二つ目に、亡霊という言葉の選択だ。この言葉の威力を最大限に高めるならば、やはり陽光の中ではなく、闇夜であろう。

 三つ目はすごく基本的なことだ。帆ノ宮と鉄哉が一緒にいそうな時間では意味がない。ある意味一緒にいる人間からの電話は怖いかも知れないが、今回の作戦は怪異を見せつけることを目的としておらず、自然な流れで会話を引き出す事が重要だ。となれば、各自が家庭に戻るであろう夜の時間を狙うべきなのである。

 以上が窓の考えた今回の作成だ。呆れるほどに理路整然として、礼史は驚いた。


「――でもよ、三つ目は不確定要素が多くないか?

 夜だからって二人で居酒屋なんかに行かれてたら元も子もないぜ」

「礼史らしくもない。中々冷静な読みだね」

「大きなお世話だ。それで、何か手は打てるのか」

 窓は少し申し訳無さそうな表情をすると、コクリと頷いた。

「まず、伯父さんと母さんは、多分お酒は飲まないと思う」

「どういうことだよ?」

「家に書き置きをしてきた。『さがさないで』ってね。

 それプラス、自分の財布と携帯もその場に乱暴に放置してきた。

 この状況、どう転んでも酒なんか飲まないと思うんだよね」

「……お前、怖いわ」

 礼史は思わず心の声を口に出してしまった。確かにその状況ならば酒なんて飲まないように思う。まず精神的にに飲まない可能性もあるし、探し回るとしても、わざわざ酒は入れないだろう。仮に警察に捜査依頼など出すならば、尚更だ。

「でも、これはあくまで伯父さんの方だから、帆ノ宮さんを封じられない」

「そっか、鉄哉さんが帆ノ宮さんを呼び出すかも知れないもんな」

 そこまで言ったところで、礼史は重要なことに気が付いた。

「あれ、ちょっと待て! お前今、携帯持ってないのかよ!?」

「そうだよ、さっき言ったじゃない。

 それだけじゃないよ、礼史にメッセージ送った後、データも消してきた」

「は!? それじゃあお前、いっちゃんに連絡とれないじゃないか!」

「それは……」

 窓は下を向いた。

「それが、ある意味作戦でもあるんだ。一香には、申し訳ないけれど……」

「……どういうことだ」

「昨日僕は、精神的に潰れた。そういう体で一香にメッセージを送った。いかにも精神的に壊れていそうな内容をね」

「おい、そんなことして、何になるんだよ」

 礼史の口調が鋭くなった。そうなることを分かっていたように窓は冷静に続けた。

「……昨日のパーティーの一件で、帆ノ宮一家はただでさえ揉め事が起きているだろうね。元々僕と一香の交際をよく思っていない人達だから。それに加えて昨日の僕の行動だ、絶対に一香は帆ノ宮さんや一生さんから責められていると思う。

 そこで一香にも『僕がおかしくなった』という燃料を与えた。これなら一香だけが一方的に責められるのでなく、絶対に反論すると思う。そうなったら、帆ノ宮家は一家総出で大混乱になるだろう。とても外出出来る空気ではなくなるよ」

 淡々と言う窓に、礼史は思わず平手打ちを食らわせていた。

 これは誰々の分という漫画のセリフをそのまま適用してやりたいような気持ちだった。仮にも一香は窓の恋人で、確実にこちらの味方だ。現に昨日、窓のスピーチを継続させるべく大声をあげてくれた存在なのだ。

 それを逆手に取ったような窓の行動が、礼史にはどうしても許せなかった。

 パン、という頬への一撃を受けた窓は、それでも冷静な顔をしていた。もしかすると、そうなることすら窓の予想の範疇なのではないかと、礼史は怖くなった。

「……いっちゃん、心配してんだぞ。深夜に連絡が来てた。窓は大丈夫かって」

「……だろうね」

「それを分かってやってんだろうから、俺はお前に一発食らわせた」

「……うん」

「事が済んだら、まずいっちゃんに連絡しろ。そして謝れ。それが出来ないんなら、俺が今からいっちゃんに電話して、全部バラす」

「それは……困るな」

「だったら、約束しろ」

「……分かった」

 礼史はその言葉を聞いて、大きく嘆息した。最低限の正義感を示したつもりだったが、こうしている間にも、一香は非道い扱いを受けているかも知れないし、心配もしている。窓の片棒を担いでしまったような気持ちで、なんだか申し訳なかった。

「礼史……僕は、僕を最低だって分かってる」

「最低も最低、超最低だよ」

「……でも……ありがとう」

「……絶対に、約束を守れよ」

 その言葉を最後に、二人とも何も喋らなかった。

 共通していたのは、罪悪感に駆られていたということだろうか。


◆◆◆◆


 世良が戻ってこないまま、一時間が経過していた。

 流石に遅くないかと、時計にチラチラと目が行き始めていたその時、来客を知らせるベルが管理人室に響いた。

 窓と礼史は目を見合わせる。先程ひと悶着あって以来、言葉一つ交わしていなかったので何となく気まずかったが、そんなことを行っていられる状況ではない。

 世良からは『休日だからまずないだろうけど、もし来客ブザーがなったら出てほしい』と言伝られていた。まさかの『まずない』が実現した形だ。

 窓が足速にドアの近くのインターホンまで出向き、通話ボタンに手をかける。

「はい、なんでしょうか」

 そう言うと、相手方が反応する。

『世良さんに用があって、こちらにいらっしゃると伺ってきたのですが、世良さんはいらっしゃいますか?』

 窓は一度インターホンの通話を切って礼史に指示を仰ぐ。

「どうしよ、なんか世良さんに用がある人みたいなんだけど」

 礼史も慌てて答える。

「声が若くないか? もしかしてセールスマン? 

 もう分かんないし、とりあえず入れちまえよ!」

 窓は頷くと、再び通話をオンにして声を出す。

「今世良さんは留守で、もう少しで戻るので、よかったら中で待ちますか?」

『あ、ご不在ですか、もし迷惑でなければ、待たせてもらってもいいですか』

「はい、構いません、今開けますので」

 そう言って、解錠ボタンを押した。遠くの方で解錠の音が小さく聞こえて来たかと思うと、今度は鉄扉の開く音が聞こえた。

「……あ、迎えに行ったほうがいいかも――」

 そう呟きながら、窓が管理人室のドアを開けて外に出ていった。

 礼史はその姿を見ながら、もしかして、管理人室に部外者を入れるのってまずいんじゃないかと、冷静に考え始めていた。

 もう解錠してしまった以上、時既に遅しだ。礼史はせめてもの償いとして、身の回りにあるノートパソコンやら紙類などを適当に片付けた。

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