第二場 怪光

 礼史れいじそうは、由岐ゆきの「少しくらい食べなさい」に押し切られ、夕食を共にした。そこでも由岐は全くと行っていい程、結婚記念パーティーの内容には触れず、大学の成績がどうとか、礼史に彼女はいないのかなど、ごく普通の話題に終始した。礼史は母親の対応に改めて感心した。


 夕食を済ませて少し休むと、時刻は既に夜の九時を過ぎたところだった。

「そろそろ、行くか」

 礼史が声を出すと、待っていたと言わんばかりに窓はスッと立ち上がった。

「行こう」

 財布と携帯をポケットにしまい込むと、礼史はクローゼットからブルゾンを一枚取り出して、窓に向かって投げた。家着のままでは流石に寒いと思ったからだ。時分も薄手のジャンパーを羽織ると、玄関の方へ歩を進めた。

「どこか行くの?」

 由岐がリビングから顔を出すと、訝しげな様子で礼史に問いかけた。

「うん、ちょっとタマルに行ってくる」

「……こんな時間に?」

「ちょっと先輩に呼ばれてるんだ、ほら、蒼人あおとさん、知ってるだろ?」

 由岐の表情がパッと明るくなった。

「あ、あの格好良い人ね。大丈夫、送っていこうか?」

 礼史は頭を振った。

「いや、そんなに遠くないし、途中で買い物も頼まれてるから歩いて行くよ」

「あら、そう。じゃあ気を付けるのよ」

 窓が横から顔を出す。

「おばさん、今日はお世話になりました」

 小さく頭を下げた窓に、由岐は困ったような顔で笑う。

「畏まらなくていいのよ窓ちゃん、あんたは息子みたいなもんだから」

「……うん、ありがとう」

 今度は窓もいつものように砕けた話し方で返した。少し照れくさそうに。


 ◆◆◆◆


 家を出た礼史と窓は月明かりの下を歩いた。

 窓は軽く飛ぶような動きをしたりして、靴の履き心地を確かめている。窓の革靴は水浸しだったので、礼史がスニーカーを貸したのだ。服といい靴といい、背格好が似ているというのは便利なものだ。

 遠巻きに見える街明かりと頭上の街灯が重なって、少しの眩しさを感じた。そのタイミングで一瞬意識もぐらついた気がした。きっと疲労のせいだろう。

 ――なんて長い一日なんだ。礼史はそんなことを考えた。

 数時間前にはここいらで窓と落ち合って、なんやかんやと会話をしながらバスに乗り、唐川プリンスホテルに入り、パーティが始まって……以下略だ。

 全ての事が今日一日の間に行われたとは到底思えなかった。濃すぎるにも程がある。日常生活の一ヶ月を濃縮還元して一日として絞り出しても、今日の濃さには敵わないだろう。濃厚過多な一日である。

 おまけにこれから、約束された怪奇現象を目にすべく歩みを進めているのだ。濃さはまだまだ増す一方だろう。礼史は歩きながら大きく嘆息した。

「……どうかしたの?」

「……ああ、どーかしてるよ」

 窓の問いかけに、半開きの口で礼史は答えたのだった。


 ◆◆◆◆


 途中のコンビニで、単三電池の十本セットを二つ購入した。流石にこれだけあれば、余程高性能な懐中電灯でも問題ないだろう。

 ついでに差し入れとして飲み物とスナック菓子を適当に買い込み、いよいよ<タマル・システムズ>の社屋へと乗り込んで行く。

 目の前に見慣れたビルが見えてきた。礼史は身が引き締まるのを感じた。

 先日よりも早い時間ということもあり、周囲にはまだ人気もあった。その影響なのか窓が一緒にいるからなのか、この前よりは不気味には感じない。

 慣れた足取りで裏手に回り、管理人室を呼び出して手はず通りに解錠してもらう。思い鉄扉がいつもより重く感じたのは、疲労のせいだけではないだろう。

 二人は光に集まる虫さながらに管理人室の明かりを目指し、一直線に歩いて行った。

 ドアをノックすると、すぐに内側からドアが開き、蒼人が姿を現した。その服装はパーティーの時のままだったが、顔付きからして酔いはすっかり醒めたらしい。

「よお二人共、無事で何よりだぜ!」

 蒼人は二人の肩に一つずつ手を乗せると、嬉しそうに揺すってみせた。

「蒼人さん、ご迷惑をお掛けしました」

 礼史が頭を垂れたが、蒼人が掴んですぐに引き起こした。

「俺らが勝手にやったことだ、お前が気にするな。

 むしろ気にしなきゃいけねえのは、あの老害達の方だぜ。俺はお前に対して、よくやったと言ってやろうと思ってたんだ!」

 蒼人はそう言いながら豪快に笑った。礼史はその言動に、本来のタマルの遺伝子が息づいているのを感じて、なぜだか目頭が熱くなった。

「二人共、今日はご苦労様。大変な一日だったねえ」

 いつもの緑ジャージに身を包んだ、マスコット体型際立つ世良の姿があった。窓は世良にも深々と頭を下げた。

「世良さんも、迷惑かけてすみませんでした」

 頭を振りながら、世良も笑った。

「蒼人くんに以下同文だよ、窓くん。君の気にすることじゃあない。

 それに僕や蒼人くんのように、君に同調する者は結構いると思う。だから皆が敵みたいに思わないで、気に病まないでいいからね」

 蒼人からの連続技に、礼史は涙を堪えることが出来なかった。

 労われたのは窓である。それを分かっても尚、礼史の目から涙が溢れ出す。色々な感情がここへ来て爆発してしまったのだ。

 思えばずっと我慢してきた。窓が我慢していることを、解決したいのに手を出すことが出来ない自分に苛立っていた。窓を信用しきれていない自分に腹が立っていた。そして窓が自分が思っていたよりも、もっと感情を溜め込んでいた事に気付いてやれなかった悔恨もあった。そして最後に少しだけ、帆ノ宮を抑えつけて役に立てたことへの喜びもあった。

 トドメに蒼人と世良の男気あふれる態度で、涙腺という壁は脆くも崩れ去った。

「おい、どうした礼史! まだ酒でも入ってんのか!?」

 そう言いながら誂う蒼人だが、その手は礼史の背中を優しく擦っていた。

「礼史、ごめん、いっぱい、いっぱい、心配かけたんだね――」

 今度は窓が泣き出した。これには流石に蒼人と世良も目を丸くする。

「いや、すまねえ、窓、お前の力に、なってやれたはずなのに……!」

「違うんだ、礼史、僕が頼らなかった、僕が拒否したんだ……!」

 身を寄せ合って互いに号泣する礼史と窓を見て、蒼人は呆れたような顔で吐き捨てる。

「……お前ら、来て早々に何してんだ? さっきまでも一緒にいたんだろう?」

 言い得て妙だが、礼史からすれば第三者たる蒼人と世良がいて、初めて互いに感情をさらけ出せたのだと感じていた。とても二人ではぶつけ合えない気持ちだった。

 世良は笑った。

「いいじゃない、礼史くん×窓くんなんて、喜ぶ女子社員もいそうだよ。

 ウケが良いのは窓くんかな? 受けが似合いそうだし。なんてね」

「マジでなに言ってんすか、世良さん」

 蒼人が世良に対してあからさまに引き気味な姿勢を見せたのが面白くて、泣いていた礼史と窓も思わず吹き出してしまう。

「世良さん、たまに発言ガチるから怖いんすよ」

「いやいや、もちろん冗談だよ」

 そう言うと二人も笑い出したので、礼史と窓も含めて、なぜか男四人の笑い声が管理人室に響き渡った。今日はじめて、穏やかだと感じられる時間だった。

 ひとしきり笑うと、窓は袖で涙を拭って、おちょくるように礼史に言う。

「汚れちゃったけど、この服、洗わないで返すね」

『てめえ、調子に乗ってんじゃねえぞ!!!』

 礼史がお返しとばかりに金星の口調を真似てすっとんきょうな声を出したので、蒼人がまた大笑いする。

「お前マジでそれやめろ、腹痛え、ほんとツボだわ!」

「僕今日、そのセリフ本気で言われたばっかりなんだけど」

 窓も思い出したらしく、そのトレース具合に笑っていた。

 ヒィヒィ言いながら笑っていた蒼人が、ふと何かに気付いた様子で、礼史の足元に置かれたビニール袋を顎でしゃくった。

「ところで礼史、それは差し入れか?」

 礼史が袋の存在と、世良からのお使いを思い出す。

「あ、そうでした、この飲み物とお菓子は差し入れで、こっちの乾電池がお使いの品です」

 言いながら靴を脱ぎ、土間から畳に上がると、中央のちゃぶ台に袋の中身を出していった。最後に財布からレシートを取り出して、世良に手渡す。

「ありがとね、確かに受け取ったよ」

 そう言うと自らの財布を取り出して、レシートの金額を礼史に手渡した。受け取った礼史は金額を見て少し考えると、ハッとした様子で口を開く。

「あ、これ多いですよ、それに差し入れの金額も入っちゃってます」

 世良は小さく頭を振ると、礼史の突き出した腕を押し戻した。

「いいんだよ、お駄賃だと思って」

「いや、悪いです……」

 それでも世良は『どうぞ』という姿勢を崩さなかったので、礼史も泣く泣くお礼を言って、お金を財布へとしまい込む。

 世良も笑顔で頷くと、監視カメラと接続された端末を何やらいじり始めた。

「何してるんですか?」

「管理人の仕事だよ。監視カメラのデータ量も無限じゃないからね、定期的にデータをバックアップしてからデータを消して、また録画するんだ」

 なるほど、そうやって永続的に映像を残しているのか。前回スムーズに数日前の映像が引き出せたことにも納得だ。礼史は感慨深げに頷いた。

 ちゃぶ台の周りでは、既に蒼人が飲み物を物色し、炭酸飲料の蓋に手をかけている。

 礼史と作業を終えた世良も、ちゃぶ台の周りに集まり、全員でお菓子を囲んでしばしの休憩時間と相成った。


 ――まったりとしたムードを一転させたのは、社内を映し出すモニターの異常だった。

 六枚あるうちの一枚が、異常な光量を発してチカチカと眩く点滅し始めたのだ。

 誰もモニターに目を向けていなかったにも関わらず、全員の視線を一瞬で集めたのだから、その怪光具合がよく分かる。

「世良さん、あのモニターは?」

 モニターからの不意を打った怪光に身じろぎながらも、窓が問いかけた。

 世良は取り乱しながらも、その質問に答える。

「あ、あれはリアルタイムに社内を移す映像の、監視カメラの映像の、一つだよ」

 それを聞いた窓は、目を半開きにしながら画面に駆け寄る。礼史も震える足に鞭打って窓の後に続く。何とか表示されている映像を覗き込もうとするのだが、画面全体が真っ白に照り返しており、目を背けずにはいられない状態だ。誰もその内容を事細かに確認することは出来ない。

 窓が振り返り、世良と蒼人に目配せしながら訊く。

「以前にも、こんなことが?」

 世良も蒼人もブンブンと首を激しく横に振った。

「いや、ないよ、現象はあくまでも映像で、こんな、機材にまで、影響があったのは、今が初めてだよ!」

「そ、その通りだぜ! 映像の中でしか、こんなん、経験したことねえよ!」

 その取り乱し方を見ていると、本当なのだろう。礼史はそう理解すると、同時に恐怖が倍増してきた。直前までのゆるりとした空気とのギャップが、それを増長していることもあるだろう。

 それでも窓は何とかして表示された映像を紐解こうと、強風に抗うかのように必死にモニターに張り付いている。

 と、その時――突然光が収まった。

 それに気が付いた窓は、ゆっくりとモニターから身を剥がした。顔を背けていた面々も、ゆっくりと、恐る恐るモニターの方に視線を動かいていく。

 光が落ち着いたモニターの映像は、何事もなかったようにあっけらかんとして、社屋の映像を映し出していた。定期的に映像を切り替えながら、様々なフロアを映し出しているし、時刻を示す表示も問題なく動いているようだ。

 全員が、多めに瞬きをしながら、しばらくモニターを呆然と見つめていた。

 礼史は我に返り、問題のモニターを覗き込む。先程まで怪光を発していたとは思えない程に、自然に、ごく普通に社内の映像を映し出している。

 その時、たまたま切り替わった監視カメラが映したのが、前回秀勝を見た映像と同じ社長室前だった。その時と丁度同じような明るさで、同じように絨毯張りのフロアが映し出されていた。その時の差異は秀勝がいるかいないかの差だけで、その他に特に異常は認められない。

「な、なんだったんだよ!?」

 声を裏返しながら、蒼人が白い顔で声を上げた。

「……おさまった、みたいだね」

 世良もフウと大きく息を吐いた。礼史も上を向いて目を閉じた。

「……前回、礼史に見せた映像、ありますよね?」

 窓の声だった。窓の目は物怖じするどころか、激しく燃えていた。

「う、うん、もちろんだよ」

「見せて下さい。この流れで――」

 世良は気を引き締めるかのように、二度三度自分の方を両手でパシパシと叩き、監視カメラを制御するサーバー端末の方へと、移動したのだった。

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