スケッチブックに残らなかった彼女の残像

浅葱紫雲

筒井の回想

僕__筒井悠斗には、忘れられない女子がいた。

彼女の名は藤代紗世といって、彼女と出会ったのは中学一年の夏。彼女は、隣町の小学校から転校して来た。

始めは見慣れない転校生にクラスの男子も一目置いていたが、彼女の愛想のなさに徐々に興味が薄れた。そんな態度をお高くとまっているようにみなされて、女子からも距離を置かれていた。けれど彼女は、どこ吹く風で全く気にした素振りを見せなかった。僕はそんな彼女を教室の自席から見つめていた。会話をしたことは一度もなかった。


彼女は、美術部員で風景画を中心に絵を描いていた。彼女の絵はコンクールに入選するくらい上手だった。僕も美術部に所属していた。絵にはあまり興味はなかったが、彼女との接点が欲しかった。だが、その考えは甘かった。部活で絵を描いているときも、壁の隅に一人で絵を描いているし、部員とも必要以上に話さない。教室でも、クラスの人とはあまり話さずに本を読んでいることが多い。彼女は彼女の世界を大切にしている。僕は周りに距離を置いている彼女からそう感じた。


彼女は、一見、大和撫子のような清楚さを持ちつつ、昔でいう遊郭の女のような大人っぽい色気も持っている。髪を耳にかける仕草や、字を書くときの指の動きや、ドアの開け閉めや、歩き方が他の女子生徒と比べても、一際色っぽかった。そのしぐさは僕だけでなく、他の男子も目で追っていた。


一度だけ彼女と目があった。僕は、部活動中に絵を描いている彼女をこっそり見ていた。彼女の背中から腰のカーブを見つめていたときに、彼女が僕の方を振り返った。僕はじろじろ見つめていたことを彼女に知られて、とても慌てた。どうしよう、キモいだろうか。彼女は僕が見ていたこと知って、驚いた表情をしたが、次の瞬間には恥ずかしそうにはにかみを返した。彼女は、僕が熱心に見つめていたことを不快に思わないでくれたことに安堵した。僕は、その日から彼女をあまり見ないようにした。見つめないようにしただけで、僕は彼女のことについて想像を膨らませた。僕の中で彼女存在が日々次第に膨れて行った。


それから二年間、彼女の背中をキャンパス越しに見つめていた。こっそりデッサンをしてみたこともあった。スケッチブックには彼女を描いた絵が何枚も残されている。僕は水彩画を専門に勉強を始めた。水彩画の雰囲気が彼女の持つ清楚さに合っていると感じたからだ。


中三に上がって間もなく、彼女は学校にあまり来なくなった。登校しても何時間か授業を受けて帰って、部活まで出るという日は少なくなった。クラスメイトも少し気にしている様で、久々に学校に来たときは授業のノートを貸している女子もちらほらいた。


そんなことが五か月ほど続いたある日、僕は偶然、彼女の秘密を知ることができた。


その日は九月の終わりで、全国的には残暑の真っ只中だった。

彼女は、二週間ぶりに学校に来ていた。彼女は少し痩せていた。

クラスの女子からノートを借りて、休んでいたときの内容を書き写している。時折、ノートを借りた女子に授業の内容について質問している。その日は六時間目までしっかり出席することができて、僕は安心した。


放課後に僕は昇降口で彼女に呼び止められた。


「ねえ、筒井君」

後ろを振り返るとリュック背負って、美術道具が入っているトートバッグを肩にかけた彼女が立っていた。

「な、なに」

彼女との初会話につい緊張して声が上ずった。名前を知っていてくれたことが嬉しい。

「筒井君って美術部員だったよね、今日部活はないの」顔を少し傾けて訪ねてくる。

美術部員であることも知っていてくれたことがわかって嬉しい。

「え、あ、うん、今日はないんだ」

「そう……」残念がる感じで彼女は言うと「ありがとう。じゃあね」と僕の横を通り過ぎた。その時にすずらんのいい匂いが鼻を掠める。

「ま、待って」気付けば彼女を呼び止めていた。

数歩先で彼女は振り返った。が、そこで自分が何で呼び止めたのか全く分からないことに気が付いた。いや、分かってはいる。もっと会話を続けたかったからだ。

とりあえず何かを言わなくては、ただ呼び止めただけでは変な人という印象が付いてしまう。

そして、とっさに言った言葉には、自分も驚く。

「僕、藤代の家に行きたい」

最後まで言い切ってから、なんて変態と思った。どう、弁解しようかと考えていたら、彼女は口元に手をあてて小さく笑った。

「部活もないし、いいよ。ついておいでよ」

そう言って彼女は下駄箱に向かって歩き出す。

しばらくの間、彼女の言ったことが理解できなかった僕は、口を開けたまま棒立ちしていた。

え、今、家に来てもいいって言ってくれた?え、え、どうして。

「どうしたの?私の家に行きたいんでしょ」

彼女は、下駄箱の手前で振り返って、ついてこない僕を見つめる。

「え、あ、ごめん」

そう言って彼女の跡を追った。

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