第16話 アトラクションと港街

 寄せ鍋の残り汁でミヅキが雑炊を作ってくれた。

 カレンの大好物で、ふ〜ふ〜しながら美味しそうに食べている。


「ミヅキさんの実家でも雑炊なのかい?」


 サダオの母がいう。


「ええ、うちの家ではいつも雑炊でした。キムチ鍋の時だけは麺類を入れていた気がします」


 美味しいね、美味しいね、と母が繰り返す。

 ちなみにサダオの幼少期、鍋の残り汁で〆の一品を作るなんて文化はなく、野菜を足して次の朝メニューとして出てきた。


 雑炊なんて風邪の日に食う物。

 結婚するまで本気で思っていた。


「久しぶりに遊園地へ行きたいな〜」


 カレンがレンゲで雑炊をかき回しながら言う。

 ふとアイディアを思いついたサダオは、


「せっかくなんだし、おじいちゃんとおばあちゃんに遊園地へ連れて行ってもらうのはどうかな?」


 と切り出した。

 ミヅキが、えっ、と器を落としそうになる。


「そんなの、申し訳ないわよ。遊園地なんて混むでしょう。一日中カレンの面倒を見ていたら疲れちゃうわ」

「おじいちゃんとおばあちゃんは、もう何年も遊園地なんて行っていないだろう。久しぶりに行ったら楽しいかもしれない。パーク内のルールはカレンが知っているからさ。たまには三人で楽しんできなよ」


 サダオの父と母は顔を見合わせた。

 乗り物に乗るシーンでも想像しているのか、アハハと声を揃えて笑い出す。


「まさか、サダオの口からそんな提案が出てくるとはな。ミヅキさんさえ良ければ、カレンちゃんを一日預からせてくれないか。確かに遊園地なんて二十年くらい行っていない。そうだよな、ばあさん」


 サダオの父が言う。


「懐かしいねぇ、遊園地。サダオとお姉ちゃんを連れて行ったの、もう二十年以上前かねぇ。あの日は暑かったの、覚えているよ」


 サダオの母が目を細める。


 二十年ぶりか。

 乗り物が今風にリニューアルされたのと、値段が少し上がったくらいで、基本的な楽しみ方は昔のままだろう。


「今回は三人で行ってきなよ。カレンも行きたいだろう。おじいちゃんたちと一緒に遊園地」

「うん! 行きたい!」


 この瞬間、方針が決まった。

 家族が集まると一番幼い子供が発言力を持つものだ。


「すみません、お義父さん、お義母さん、カレンをお願いします」

「いいって、いいって、ミヅキさん。むしろ俺がお礼を言わなきゃならない。カレンちゃんにお土産を持たせるから、欲しいものがあったら考えておいてくれ」


 遊園地へ出かけるのは次の日曜日に決まった。

 ゲートが開くと同時に入園して、昼食はカレンが好きな物を食べて、夕方くらいには帰ってくるスケジュールだ。


「新しいアトラクションが出来たんだよ。大人気だから、最初はこれに乗らないと」


 カレンがスマホの画像を向けてくる。


「それ、映画に出ていたキャラクターのやつかい?」

「うん! だから朝は早く出発しないと!」


 サダオは二回頷いて、ビールの残りを一気に飲み干した。


 ……。

 …………。


 約束の日曜日がやってきた。

 リビングのテーブルには三人分のパンとヨーグルトが並んでおり、家族でわいわい雑談しながら食事した。


「写真をたくさん撮ってこいよ。帰ってきたら父さんたちに見せてくれ」

「うん! キャラクターと一緒に記念撮影してくる!」


 笑顔の娘を前にして、ミヅキの顔色も明るくなる。


「おじいちゃんとおばあちゃんの言うことはちゃんと聞きなさいよ。勝手にどっかへ行かないようにね」

「分かっているよ、お母さん。カレンもそこまで子供じゃないよ」


 小学校高学年になったせいか、カレンは子供扱いされるのを嫌う。


「人混みだからな。おばあちゃんがパニックになるかもしれない。絶叫系のアトラクションには乗せないようにね。あと家から何個かお菓子を持っていきなさい。おじいちゃんとおばあちゃんが疲れていたら、カレンがキャンディーをあげるといい。それで二人とも元気になるから」

「は〜い!」

「カレンを頼りにしている」


 こちらの期待を伝えると、カレンは誇らしそうに胸を叩いた。


 家の表から車のクラクションが聞こえた。

 サダオの父が迎えにきたようだ。


「急がなきゃ!」


 カレンは残りのパンをかき込むと、お気に入りのリュックを背負って、元気よく飛び出していく。


「いってきま〜す!」

「財布やスマホを失くさないよう気をつけるんだよ」


 カレンが去っていった屋内に静けさが広がった。


「じゃあ、俺たちも準備しよっか」

「そうね」


 カレンを遊園地へ送り出す。

 これが一個目の目的だとしたら、サダオとミヅキのデートが二個目の目的だ。


 子供が生まれた夫婦の例に漏れず、サダオもミヅキも昔より野暮ったい服装をすることが増えた。


 見た目より安さを重視する。

 シャツもズボンも擦り切れるまで捨てない。


 もちろん節約するのは正しいし、ミヅキが服代や化粧代を抑えるのはカレンの教育費のためなのだが、時には昔みたいにお洒落してもばちは当たらないだろう。


 サダオは一番高いジャケットに袖を通した。

 靴だって先月買ったばかりのきれいなやつを履く。


 今日のミヅキはワンピース姿だ。

 三歳くらい若返ったみたいに見えるよ、と歯の浮くようなお世辞を言ったら、背中をぺしぺし叩かれた。


「調子いいこと言って。あなたらしくないわよ。私はもう、来年四十歳になるのよ」

「そうかな。毎日顔を合わせているせいか、あまり歳とった感じがしないな」

「あなたが口達者なんて変なの」


 こんな会話ができるのも、カレンがいないせいだろう。

 良き父であらねば、良き母であらねば……というプレッシャーから一時解放された。


 ミヅキの希望により、車ではなく電車で移動した。

 二人が出会った頃、どちらも大学生だったから、電車でデートするのが当たり前だった。


 学年はサダオの方が一個下。

 でも、ミヅキは浪人して大学に入っており、年は二つ離れていた。


 自分の方が歳上であることをミヅキは昔から気にしていた。


 姉さん女房が珍しくないとはいえ、一歳下か二歳下くらいの女性と結婚する男性が多いから、サダオがいずれ後悔するのでは? と心配したのだろう。


 カレンを生んだ時、ミヅキは二十八歳。

 三十歳を過ぎての初出産が普通じゃない時代なので、結果としてミヅキは平均より早く母親になったといえる。


 ミヅキには感謝している。


 カレンを生んでくれた。

 最初に勤めていた会社は辞めたが、契約社員として別の働き口を見つけて、家庭の収入を底上げしてくれている。


 よく出来た妻だと思う。

 大学生の頃からミヅキはしっかり者で、人一倍の良心と礼節を備えており、この女性なら問題無いだろうと思わせてくれた。


 ミヅキの手をつかむ。

 少女みたいな笑い声が返ってくる。


 今日のサダオたちは誰が見ても幸せな夫婦だった。


 ……。

 …………。


 風光明媚な港町へやってきた。

 過去に何回もデートに来たことがあり、街全体のマップは頭の中に入っている。


 二十歳前後のカップルが多い。

 若者らしくフレッシュな空気をまとっている。


 その一方、六十過ぎの夫婦の姿も目につく。

 楽しそうにおしゃべりしており、本当に仲がいいんだな、というのが伝わってきた。


 ミヅキと知り合ってそろそろ二十年。

 たくさん喧嘩したけれども、同じ数だけ仲直りしてきた。

 最近はカレンの教育方針を巡って火花を散らすこともあるが、ミヅキを信頼しているからこそ、サダオも自分の本音をぶつけられる。


「ちょっと買い物していくか。何だっけ? フューズド・ディフューザーだっけ? 匂いが出るやつを欲しがっていただろう。安物じゃなくて、ちゃんとしたやつを買いにいこう」

「いいの? 買っちゃっても?」

「いいも何も、ミヅキはしっかり稼いでいるだろう。たまには自分用のご褒美を買わないと。でも、カレンだな。お洒落なアイテムを見たら、絶対に自分も欲しいと言い出すな。最近は勉強を頑張っているみたいだし、二人の分を買っておくか」


 やった! とミヅキが小さくジャンプした。

 不覚にも妻のとこを可愛いと思ってしまった。


「ほら、行くぞ」

「は〜い。あなたも何か欲しいものがあるんじゃないの?」

「俺か。そうだな。久しぶりに紙の本でも買おうかな。でっかい本屋へ寄ってみよう」

「あ、私も小説の新書を見たいかな」


 カレンは目当てのアトラクションに乗れただろうか、なんて考えつつ、ショッピングモールの入り口を抜けた。

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