第13話 恐るべきタフネスと写真

 サダオは土をいじっていた。

 真っ黒に汚れた手を見ていると、砂場で遊んでいた昔の記憶が蘇ってくる。


 でっかい砦を作りたかった。

 円柱が四隅に立っていて、中央が円錐になっているような、ゲームの世界に出てくる砦だ。


 砂に水を含ませると固まりやすいことに気づいた。

 夢中になってスコップでペタペタしていたら、いつの間にか夕日が暮れかけていた。


「サダオ、家に帰ってご飯にしよう」


 若かりし頃の母が公園まで迎えにきた。


「もう少しで完成する。それが終わったら帰る」


 すると母は砂場にしゃがんでサダオを手伝おうとしてきた。

 砂に水を含ませて、壁を補強し始めたのである。


「母さんは手伝わなくていい。邪魔になるから」

「でも、二人でやった方が早いよ」

「変わらないよ。一人でいい」

「お母さんも混ぜてよ」

「はぁ……」


 文句をいったが母はやめない。

 好きにしてくれと思ったサダオは自分の作業に集中した。


 一人でやるから意味があるのに。

 サダオの本心をこの母は理解できないのか。


「もういい。できたから帰る」

「すごいねぇ。大きいの、よく作ったねぇ」

「失敗作だよ。本当はもっと格好良くなるはずだった。次は一人でやる」

「ごめんね、お母さん、あまり役に立たなくて」


 違う、そうじゃない。

 母が手伝ってくれたのは嬉しかった。


 もっと立派な砦ができるはずで、それを母に見せられなかった自分が悲しかった。


 遠い昔。

 母が今のサダオより若かった頃の記憶である。


 ……。

 …………。


 足音が近づいてきて、サダオの背後で止まった。


「母さんならいないぞ」


 杖を持ちながら立ち上がると、植物のカーテンの向こうにロングコートの犯人が立っていた。


 しばらく犯人と睨み合った。

 その両手には石が抱えられており、この人物が何のためにやってきたのか一目瞭然といえる。


「母さんは書類を探すために家の中だ。残念だったな」


 サダオは杖を思いっきり振り回した。

 犯人の腕をしたたかに打ちつけ、持っていた石を落とさせる。


 続けざま胸ぐらを突いておいた。

 犯人が思いっきりバランスを崩して派手に土の上を転がる。


 こいつはカレンを殺そうとした。

 それに加えて今日は母を殺しにきた。


 許せなかった。

 二度と歩けない体にしてやりたかった。

 この場で撲殺してやりたい気分だった。


「お前は何なんだ。俺たちに何の恨みがあるんだ」


 すね、太もも、腹部の順に強打しておいた。

 驚いたことにコートの人物は呻き声一つすら上げない。


 痛覚が麻痺しているというのか。

 そもそも気が狂っているのか。


 涼しそうな態度を貫いている犯人が憎たらしくて、胴体を思いっきり蹴飛ばしておいた。


 サダオは両手で杖を持ち、思いっきり振り下ろす。

 打ちどころが悪ければ人を殺しかねない一撃は、犯人の顔面すぐ横を穿うがった。


「答えろよ。お前が恨んでいるのは俺なのか。それとも俺の父か。因縁があるなら言ってみろよ」


 答えはない。

 犯人の帽子やマスクを剥ぎ取ってやろうとした時、思わぬ反撃が飛んできた。


 犯人は一握りの土をつかみ、サダオの顔面に投げつけてきたのである。

 とっさに顔を背けようとしたが、目と口に直撃してしまい、口内に葉っぱを腐らせたような味が広がった。


「ッ……⁉︎」


 サダオの腹部に蹴りがめり込む。

 体が一瞬地面から浮いて、気づいた時にはお尻から落ちていた。


「おい! こら! 逃げるな!」


 サダオはすぐに追いかけて、逃走していく背中を滅多打ちにした。

 犯人の足元はぐらついており、ダメージが蓄積しているのは一目で分かった。


 想像以上にタフな相手だった。

 サダオがしつこく攻撃すると、腕で頭をガードしながら突っ込んできて、強烈なタックルを食らわせてきた。


「くそっ……」


 ブロック塀に打ち付けられたサダオの後頭部に鈍い痛みが走る。

 それから犯人はパンチを繰り出してきだが、サダオは杖で上手い具合にガードした。


「何かしゃべったらどうなんだ⁉︎」


 杖でフルスイングするようにして脇腹を殴った。


「そんなに人を苦しめて楽しいか⁉︎」


 叩きつけるような一撃が肩にヒットする。


「この殺人鬼め! お前なんか死んでしまえ!」


 鳩尾のあたりを杖で突いたのに、犯人は歯を食いしばって耐えている。


 ありえない。

 普通の人間なら両足で立っていられないくらいのダメージを与えた。

 屈服しても良さそうなのに、前髪に隠れた目はじいっとサダオを観察している。


 目的は何だ? 目的は何だ? 目的は何だ?

 この落ち着きはどこから湧いてくるというのか?


 追い詰めているのはサダオの方。

 しかし得体の知れぬプレッシャーのせいで頭がパニックを起こしかけている。


「いい加減、倒れろよ!」


 サダオは大振りの一撃を繰り出したのだが、これは最悪の選択だった。

 こちらの攻撃が届くより先に、カウンター気味のパンチが胸部にめり込んだのである。


 一瞬、呼吸が止まった。

 杖を落としそうになった。

 世界から色が失われたみたいに視界がぼやけた。


「ゲホッ……ゲホッ……」


 犯人が片足を引きずるようにして逃げていく。

 サダオもボロボロの体で追いかける。


 根性の追いかけっこが始まった。

 手を伸ばしたら届きそうな距離なのに、あと一歩の差が埋まらなくて、自分の体にムチを入れまくった。


 もう少し。

 それで犯人を捕まえられる。

 ありったけの体力を振り絞るが、サダオの足はペースを上げてくれない。


 すみません!

 そいつ、人殺しなんです!

 通行人に助けを求めたいのは山々なのに、こういう日に限って誰もいないのは神様の悪戯だろうか。


 とうとう犯人は例のポイントまでやってきた。

 両側をマンションに挟まれた、あの袋小路である。


 最後に一度だけサダオの方を振り返ってからコーナーを曲がっていく犯人。

 サダオもワンテンポ遅れて袋小路をのぞいたが、当然のように姿は消えている。


 ありえない。

 ボロボロの体なのだ。


 どうやって逃げた。

 上からロープを垂らしてもよじ登るのは不可能だろう。


 協力者がいるのも考えにくい。

 それならサダオと対決していた時に加勢に来たはず。


 サダオの目の前には、犯人と殴り合いのような対決を繰り広げた末、取り逃してしまったという事実だけが残された。


 ……。

 …………。


 ヘロヘロになって帰ってきたサダオを、母は真っ青な顔で出迎えた。


「どしたの⁉︎ 泥だらけじゃない⁉︎」


 家庭菜園が荒れまくっている。

 丹精込めて育てた野菜なのに申し訳ないと思う。


「泥棒がいたんだよ。庭から野菜を奪っていこうとした。腹が立ったから捕まえようとしたら、この様だ」

「野菜なんかのために無理しちゃって。怪我はない? あら、血が出ちゃっているじゃない」


 母の手がサダオの体についた土を払う。

 少年時代に戻ったみたいで無性に恥ずかしかった。


「ほら、これ。サダオが欲しいっていっていたやつ。何枚か家の押し入れにあったよ」

「おう、ありがとう」


 サダオが探してもらったのは家族の集合写真である。

 手渡された一枚はサダオが小学校を卒業した直後のやつで、父、母、姉、サダオの四人が写っていた。

 写真写りが良くないのは昔から変わらない。


「急に写真なんて、何に使うんだい?」

「いや、普通に持っておこうと思って。ミヅキやカレンの写真は持っているけれども、父さん母さんの写真は持っていないから。家に一枚くらい置いておきたいんだ」

「へぇ、そうかい。この頃はみんな若いねぇ。サダオもスポーツ刈りだったねぇ」


 色褪せた家族写真をサダオは大切に持って帰った。

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