第8話 得た物と、失った物と

 就寝前。

 サダオは四畳半の作業部屋で物思いに耽っていた。


 手元には愛用のマグカップがあり、カフェインレスのコーヒーを淹れてある。

 本来ならビールでも飲んですっきりしたい気分だが、消えてしまった犯人のことが気にかかる。


 またカレンを襲いに来るのではないだろうか。

 その点についてはミヅキも非常に心配しており、どうしたものかと頭を悩ませていた。


 いくら安全のためとはいえ、十一歳になる娘を家庭のルールで縛り付けるのは、本人の発育という意味でもデメリットが大きい。


 やるか。

 もう一度。


 サダオが二十四時間前に戻る。

 同じような一日をやり直す。


 難しい話じゃない。

 もう一度刃物と向き合うのは怖かったりするが、一回勝てた相手にまた勝利すればいい。


 何より犯人の目だ。

 明らかに真人間のそれじゃなかった。


 警察はパトロールを強化すると言ったが、人手不足はどこの業界にも当てはまることで、安心できると言ったら嘘になる。


 あの時、犯人を取り押さえておけば……。

 サダオは自分の頬っぺたを強めに叩いてかつを入れ直した。


「アホか、俺は。迷うことじゃないだろう。もう一度カレンの死に顔を見たいのか。父親としての義務を果たすべきだろう」


 タブレット端末を起動してみる。

 こっちの世界で触るのは久しぶりだから、ローディングに時間がかかっている。


 ホーム画面が表示されたので、メールアプリを立ち上げた。

 受信ボックスの下に存在する『タイム・リープ』をタッチしようとしたのだが……。


「ない」


 消えていたのだ。

 受信ボックスの他には、ゴミ箱や迷惑メールといった基本的な項目しかない。


 理解に苦しむサダオは髪の毛をかきむしる。


 まだ生成されていないということか。

 カレンの死がきっかけで『タイム・リープ』は生まれるのか。

 謎は深まるばかりで、おかしな夢でも見ているような気分にさせられる。


 微温ぬるくなったコーヒーに口をつけて、端末を再起動させてみた。

 もう一度メールボックスを開いてみるが、やはり過去へ戻るための入口は存在しない。


 これで選択肢はなくなった。

 犯人はどこかで生きていて、明日にでもサダオや家族を狙いに来るかもしれない。


 この世の不条理を目の当たりにした気分だった。


 ……。

 …………。


 その日の朝食はいつもより豪華だった。

 ミヅキがフレンチトーストを焼いてくれて、カレンが美味しそうに頬張っている。

 サラダとチーズと自家製バナナジュースのおまけ付き。


 スーツに着替えたサダオも手を合わせて『いただきます』を告げた。


 キツネ色に染まったパンに粉砂糖をまぶしてある。

 こんなに洒落しゃれた朝ご飯、サダオの子供時代は考えられなかった。


 毎日がご飯にみそ汁に納豆だった。

 みそ汁の具がやたら多くて、前の日に使った野菜の残りをぶち込んでいる感じだった。


 たまにカレンを両親の家に預けると『おじいちゃんの家のご飯はあまり美味しくないから外食に連れていってもらう』と子供らしい歯に衣着せぬ感想が返ってくる。


 ハンバーグにスパゲッティーにグラタン。

 カレンの好きな料理を『あんなもの食べたらデブになる』といってサダオの両親は毛嫌いしている。


 ミヅキは違う。

 ちゃんとカレンのリクエストを聞いた上で、栄養バランスと折り合いを付けている。

 だからカレンも朝ご飯を残さずに食べている。


「またお父さんがテレビに映っているよ」


 昨夜と同じインタビュー映像だ。

 動画投稿サイトにも同じやつがアップされており、一夜明けたせいか恥ずかしい気持ちが強かった。


『そんな人間が近くに住んでいるのかと思うと、ぞっとしますね』


 自分のセリフに対して、もっともだ、と賛同する。


「犯人、もう捕まった?」

「今お巡りさんが探している」

「捕まるかな? すごく危ない人なのでしょ?」

「もちろん。街中にはカメラがたくさんあるからな。そう簡単には逃げられない」

「カメラがたくさんある場所は安全?」

「カレンはお利口さんだな。あまり人が通らない場所が危ない。お店がたくさんある場所は安全だ」

「ふ〜ん。お父さんは何でも知ってるね」


 忖度そんたくがない分、娘の言葉は嬉しかったりする。


 集団登校の待ち合わせポイントまでカレンを送っていった。

 顔見知りのママさんと会い、


「今朝のニュースに出ていたの、桜庭さんですよね」


 なんて声をかけられる。


「びっくりしました。この街にも通り魔がいるなんて。うちは女の子なので特に心配です」

「ですよね。怖いですよね。私も昔からこの辺りに住んでいるのですが、通り魔なんて何年振りって感じです」


 それから二言三言だけ会話して別れた。

 事件について話したせいか、小学生とすれ違う時、ランドセルに防犯ブザーが付いているのか無性に気になった。


 電車に揺られながら会社へ向かうと、驚いたことにサダオの話題で持ちきりだった。


「通り魔をやっつけたってな。すごいな、桜庭」


 部長に肩を叩かれる。


「すごいじゃないですか、桜庭さん。もしかして格闘技の経験でもあるのですか」


 後輩が尊敬をたっぷり含んだ目を向けてくる。


「今朝のニュース、見ましたよ。あ、これ、チョコレートです。良かったらどうぞ」


 若い女性社員がお菓子をくれた。

 一夜にしてヒーローになったみたいで嬉しいと思う反面、気恥ずかしい気持ちも強かった。


 タイムリープする前のサダオは、娘を凶悪犯によって殺された可哀想なサラリーマンだった。

 後ろめたいことは何一つやってこなかったのに、自分の命よりも大切な家族を奪われてしまった。


 今回と前回では天地ほどのギャップがある。


 命懸けで娘を守った。

 正義感に溢れる強いパパ。


 ヒロイックな肩書きは生涯無縁と思っていたから、自分が自分じゃないみたいで陶酔感が襲ってくる。


 さっさと仕事を終わらせよう。

 定時で帰ってミヅキやカレンと一緒に食卓を囲もう。


 久しぶりに花でも買って帰るか。

 駅前のフラワーショップでピンク色のバラを購入したことがあり、ミヅキもカレンもしばらく上機嫌だった。


 サダオの気持ちは充実していた。


 ……。

 …………。


 職場のデスクで昼食のお弁当を開けた。

 一段目に今朝のフレンチトーストの残りが入っていて、栄養バランスが偏らないよう、二段目には野菜中心のメニューが入っている。


 いざ手をつけようとしたらスマホが揺れた。

 父からで『今話せるか』と手短に書いてある。


 どうせカレンに関することだと思って電話したら、案の定カレンのことだった。


「俺が学校まで迎えにいった方が良くないか?」


 しわがれた声がいう。


「いいよ。カレンはみんなと一緒に集団下校するんだ。本人が嫌がるよ」

「しかし、昨日事件があったばかりだから心配だろう」

「それはそうなのだが……」


 両親は孫の成長だけが生き甲斐のようなものだ。

 サダオの姉にも息子がいるが、あっちは遠くの県に住んでいるから、カレンの方を特に可愛がっている。


「じゃあ、集団登校して帰ってきたカレンを迎えにいってくれないか。三角形の公園があるだろう。あそこで解散するはずだから。ミヅキには俺から連絡しておく」

「分かった。任せておけ」


 ミヅキがどんな反応を見せるのか考えると憂鬱になった。


 どこの家庭にも言えることかもしれないが、祖父母が子育てに介入してくるのをミヅキは嫌がる。

 母親として欠陥がある、と指摘された気分になるのだろう。


 サダオの両親にも問題はある。

 思ったことをポロッと口に出す性格なのだ。


 通り魔の一件もそう。

 本人には直接言わないが『ミヅキさんが仕事で遅かったから、カレンが狙われてしまった』と無茶苦茶なことをサダオに愚痴ってきた。


 それは違う。

 悪いのは犯人でミヅキに落ち度はない。

 ミヅキが自責の念に駆られるならまだしも、周りが責めるのはお門違いというやつ。


 人間というのは我がままな生き物だ。

 サダオの両親を見ているとつくづく思う。


 フレンチトーストの残りを食べながら、良いことと悪いことは交互にやってくるのだなと、サダオは達観したようなことを考えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る