第4話 昨日までとは別人みたい

 家族にとって一番大切な場所はリビングだと思う。


 お金は無くても温かい家庭なのか。

 お金はあっても冷たい家庭なのか。

 リビングをのぞいたら一発で分かるだろう。


「カレンは?」

「もう寝たわよ」


 カレンを寝かしつけたミヅキが戻ってきた。

 サダオは冷蔵庫から缶ビールを二本持ってきて、片方をミヅキに渡す。


「珍しいわね。あなたが平日にお酒を飲みたがるなんて」

「ミヅキはしばらく飲んでいないだろう。たまには乾杯しようと思ってさ」


 買い置きしておいたウズラ卵の燻製くんせいとチーズおかきを開封した。


 二人ともアルコールには強い体質である。

 新婚の頃なんて毎日じゃないにしても週に三回は飲んでいたと思う。


 やがてミヅキがカレンを妊娠して、妊婦はアルコールNGだから、サダオだけ飲むのも申し訳ないと思い、約一年アルコール断ちした時期があった。


 娘の前で酔っ払うのは恥ずかしいとか、歳を取ったから中性脂肪が気になるとか、その後も適当な理由をつけて晩酌から遠ざかってきた。


 カレンが早く寝た日にこっそり飲む。

 夫婦会議にかこつけた飲み会のようなものである。


「カレンを塾に通わせたいって、ミヅキは言っていたな」

「そうよ。保護者会で他のママさんと話してきたけれども、小五くらいで塾に通わせる家庭が多いのですって。いきなり中学から塾に入れても、独特の雰囲気に戸惑う子もいるから、今からカレンを慣れさせておいた方が得策だと思うの」

「そうか。ミヅキの言うことに一理あるな」


 サダオがあっさり賛同したので、ミヅキは意外そうな顔をした。


 それもそのはず。

 先週までのサダオは、

『勉強するやつは勝手に勉強する』

『下手にプレッシャーをかけると逆効果』

『カレンがその気になるまで待つべきだろう』

 という正論を並び立てて、反対の立場を貫いてきた。


 その様子がミヅキには甘やかしと映ったらしい。

 カレンもサダオの援護射撃を期待するものだから、家庭の空気にヒビが入る遠因となっていた。


 カレンは塾に行きたくないと言い張る。

 単に嫌がるだけでなく『テストで全部良い点を取るから。それなら塾に行かなくていいでしょ』と言い出す始末なのだ。


 きっと何か背景があるのだと、会話を見守っていたサダオなら理解できる。


「塾が嫌なのではなく、ミヅキの勧める塾が嫌なのではないか?」

「でも、一番近いところなのよ。親御さんの評価だって悪くないわ」

「十一歳といったら友達関係とかで悩みやすい年頃だろう。もしかしたらその塾に、嫌いなクラスメイトが通っているかもしれない。あるいは、仲良しの友達が別の塾に通う予定なのかもしれない。でも、そんな理由、親には話したくない。カレンは誰に似たのか、変な部分でプライドが高かったりするしな」

「私に似たって言いたいの?」


 ミヅキが上機嫌そうに笑う。


「どうかな。俺に似たのかもな」


 サダオは軽くなったビール缶をちゃぷちゃぷと揺らす。


 それからは他愛のない話を何個かした。

 サダオの職場の話だったり、ミヅキの実家の話だったり、けれども最後にはカレンの話に戻ってきてしまう。


「そういやミヅキの両親にもう一年くらいカレンの顔を見せていないな。そろそろ会いに行ってみるか」

「あなたの方から提案してくるなんて珍しいわね」

「そうかな」


 サダオの脳にフラッシュバックしてきたのは葬式のシーン。

 冷たくなったカレンを前にして、ミヅキの両親は壊れたように放心していた。


 人間、いつ死ぬか分からない。

 当たり前の事実を思い出す。


「あとカレンは沖縄旅行したいって。四日間くらいのまとまった休みが必要だし、カレンが中学校に上がったら、もっと難しくなるかもしれない。次の春休みあたりに計画してみよう」

「あなた、昨日までとは別人みたいね」

「そうかな?」

「自分から意見を積極的にいうなんて珍しいから。仕事ができるお父さんは違うわね」

「よせよ。照れ臭いな。俺が意見をあまり言わないから、カレンの方から俺に意見を言ってくれる時もある」

「なるほど」


 時には妻から褒められるのも悪いことじゃない。


 ……。

 …………。


 サダオは計画を練り上げてからベッドに入った。


 朝はいつもより早く家を出よう。

 全力で仕事をやっつけたら、大半は昼休みまでに片付く。


 やり残したタスクは後輩に割り振っておけば安心だろう。

『今度ビールを奢ってやるから』といえば悪い顔はしないはず。


 午後半休を取ろうと思っている。


 理由は何でもいいのだが、絶対に却下されたくないので、『妻が体調不良になってしまい……』あたりが無難だろう。

 勤勉なサラリーマンを十五年演じてきたから、周りから疑われる心配もない。


 会社を抜けたら大きなホームセンターへ向かう。

 殺人犯と戦うための武器を手に入れるのだ。


 殺傷能力のありそうな工具を選んでもいいのだが、杖にしておこうと思う。


 これなら電車内や繁華街で持ち歩いていても不審者にならない。

 かつ、ナイフというリーチに欠ける武器に対して圧倒的なアドバンテージが手に入る。


 マニアックなお店へ行けば防刃ベストが手に入ることも確認済みである。

 市販の防刃ベストは性能面が怪しいらしく、実際に刺してみたら貫通したという動画も気になったが、無いよりはマシだと思っている。


 買い物を済ませたら十六時くらいだろう。

 家の近所にある喫茶店でコーヒーを飲みながら時間を潰せばいい。


 十八時になる前に刺殺事件のあった橋のところへ移動する。

 たまたま仕事から帰ってきた風を装ってカレンに声をかけるのだ。


 腕の見せ所はこの先。

 いかにして犯人をやっつけるか。


 怪しそうな人物がいるからといって、いきなり先制攻撃しようものなら、サダオが暴力犯になって終わるだろう。


 向こうがナイフを取り出すまで待たねばならない。

 カレンに攻撃を仕掛けようとする、ほんの数秒だけがチャンスといえる。


 できるのか?

 戦闘経験ゼロであるサダオに?


 そもそも杖で攻撃を仕掛けたとして、犯人のどこを狙えばいい。


 頭か? 腹部か? 足か?

 うっかり殺してしまったとして、サダオが罪に問われる可能性はあるのだろうか?


 そうだ、ナイフだ。

 犯人はこのナイフを落としていきました! と警察に説明できる物証があると心強い。

 もしかしたら犯人には前科があって、指紋が決め手となり逮捕されるケースもあり得るだろう。


 パズルのピースを一つずつめていくみたいに計画は精度を増していく。


 犯人をボコボコにやっつけて、向こうが参ったと降参する、そのシーンを何度も思い描いてから眠りに落ちた。


 ……。

 …………。


 そして翌朝。


「午前に大事な会議があってな。すまないが早めに家を出る。帰ってくる時間はいつも通りだから」


 玄関のところでミヅキを抱き寄せて、背中を優しくポンポンしておいた。


「カレンも言ってたけれども、昨夜から変なの。中身が別人に入れ替わっちゃったんじゃないかしら」

「ちゃんと家族サービスしましょうって、会社でも指導される時代なんだよ」


 二階からは忙しい足音が響いてきて、


「ねぇ、お母さん。カレンの靴下知らない? 刺繍が入ったやつなんだけれども……」


 カレンが泣きそうな声になっている。


 助けに行ってやれよ。

 そういう意味を込めてあごをしゃくった。


「お仕事、無理しないようにね」

「ミヅキもな。嫌な職場だからって溜め込みすぎるなよ。たまには一人でぱあっと酒でも飲んでこい。カレンの面倒は俺が見るからさ」

「分かった。考えておく」


 笑顔でバイバイと手を振る。

 出会ったばかりの二人に戻ったみたいで悪くなかった。


 いつもより一時間早く出社したサダオは、誰もいないオフィスでさっそく仕事に取りかかった。


「おはようございます。あれ? 桜庭さんが一番乗りなんて珍しいですね」

「ちょっと気になる案件があってな……」


 それから続々と社員がやってきて、始業までゲームしたりネットサーフィンする中、サダオは黙々と仕事を片付けていった。


 朝礼の時間になる。

 支社長のスピーチがあったが、内容はすべて知っている。


「部長、資料をまとめておきました。お手隙の時にチェックしてください」

「おう、仕事が早いな。誰かに頼もうと思っていたんだ」


 上司のポイント稼ぎもOK。

 一度クリアしたゲームは楽勝なのと同じメカニズムだろう。


 誰から電話が掛かってくるとか、どういう内容のメールを受信するとか、あらゆる未来を知っているサダオは、この空間でもっとも有能なサラリーマンなのである。


「販売代理店から問い合わせが来ていただろう。あそこの担当者、怒らせると面倒だから、一回電話を入れた方がいいぞ」

「あ、いけね。忘れていました」


 部下のフォローも完璧だ。

 ちなみに電話でケアするのを忘れると、くだんの担当者が殴り込んでくる未来が待っていたりする。


 十二時のチャイムが鳴る。

 誰かと電話するフリをしたサダオは、カフェコーナーを右往左往してから、申し訳なさそうな表情で部長に声をかけた。


「すみません、部長。どうやら妻が体調を崩してしまったみたいで。娘の世話もあるので、午後はお休みをいただいても構わないでしょうか?」

「おう、帰れ帰れ。家族を安心させるのが一番大切だろう。みんなには俺から説明しておく」

「ありがとうございます」


 深々と頭を下げたサダオの口元がニヤリと笑った。

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