[じゅ〜ぅっ]不審者は捕獲され覗き魔も捕まった




 不審者の成れの果ては慌ただしく連行されて行き、僕の抗議はむなしく通路に響いただけ。


誰も反応らしい反応を返しちゃくれなかったし、神田川ふしんしゃはブツブツ納得がいかないと戯言ざれごとつぶやいていただけだった。


あのまま、きっと職員室へ連れて行かれるのだろう。


大人たちは、ゾロゾロと連れ立って階段を登って行った。





 行き止まりの通路に、ポツンと取り残された僕。


やれやれ。


そりゃね、鈍くさいのは自他ともに認めているんだよ。


僕は、それを恥だと思ったことはなかったさ。


アイツにけなされるまで、それが自分の個性だと思っていたんだよ。


家族や親しい友人たちは、今もそう思ってくれているかも知れないが。


でも僕は、しだいに自信が持てなくなった。


付き合いも疎遠そえんになったし、親身に話しかけられても素っ気なく返すのみ。


誰もが笑顔の内側では自分を揶揄やゆしているように思えて、そんな卑屈ひくつな自分が嫌で。


……諦め開き直り、そしてひねくれた。


美術室に閉じこもり、無心で描きなぐり続けたスケッチブック。


せめて好きなことでだけでも成果を残したかったんだ。


焦燥感しょうそうかん劣等感れっとうかんかたまりだった。





 そこでカタチになったページはひとつもない。


描いては破り、破っては捨てていた。


からかぶり、壁をめぐらせ過ごす日々。


アイツはのうのうと準備室で堕落だらくした放課後を過ごしていたし、部員や僕が隣の教室で何をしていたかなんて無関心で、これっぽっちも知らなかっただろうさ。




 何枚のページを、何冊のつづりを無駄むだにしていたことだろう。


ムダに空回りを繰り返し……自室と教室と、美術室だけを巡っていたんだ。


そんな薄暗かった高校時代。







 薄汚れすさんだ心で、ふと窓の外を見た。


────────そして魅入られたんだ。








 所在なさげにたたずむ彼女が、ぐっと狙いと決意を定めるのを。


真剣な表情、かげりのない眼差し。


ひたすら真っすぐ疾走はしる姿。


決まった場所で踏み切り、決まったタイミングで跳び上がる。


背中をそらし、きれいなフォームでそらを舞う。


とどまることのない一瞬のときを繰り返す。


まるで己の身体と大地とで語らうように、彼女は疾走はし飛翔ひしょうする。


その日、僕は鉛筆を握りしめたまま……日が沈むまで窓辺にかじりついていた。






 以来、来る日も来る日も……窓辺が僕の指定席になり。


そこから、いろんな彼女を見続けた。


練習熱心なことも、後輩たちに慕われていることも知っているし、記録が伸び悩んで元気がないときなんかは心のなかではげまし続けていたんだよ。


妹の美咲を可愛がってくれているのを知ったときは、めちゃくちゃ嬉しかったなぁ。


…………思い返せば、すっかりストーカー野郎になっていた。


もちろん反省する気もなければ、後悔なんかしてないさ。


うん。充実した日々だった。








 ……なんて、思い出にひたっていたのがまずかった。


迂闊うかつにも武器をうばわれ抵抗手段を失った。


いつの間にか、壁にはりつけの刑にされている。


目の前には刺股さすまたを構えた夕原さんが、にっこり笑顔で仁王立ち。


「……ここで何をしているのかしら?」


「えっと……君たちは、……たしか、校長室に居たんじゃなかったのかな……」


「あの男が捕まったから、安心して出てきたのよ。冨樫とがし先生が、春田くんはまだ生徒会室の前に居るんじゃないかって教えてくれたから……ここでぼんやり何を考えてたの?」


「そっか。……いや、ちょっと昔を思い出しててさ……」


「ふーん? ところで私、ちょっと貴方に聞きたいことがあるのよねぇ」


「えっと……いきなり何かなぁ?」


うふふ・・・と彼女が笑う。


口の端が上がっているのに怖いのは、目尻も上がってるからだろうか。


おまけにギロリってにらまれているんだよ。


ヤバい。ヒクヒクとほおが引きつる。


「もしかしてだけど、貴方の視界と私の眼鏡って……まだ繋がっていたのかな?」


「ははは……やっぱり、そう思うよねぇ」


「ふふふ……やっぱり、そうなのねぇ」


「えへへ」


「うふふ」


全部バレましたともっ。


笑って……誤魔化ごまかせませんでしたともっ。





 廊下を走ってくる美咲の姿が目に入る。


「あっ、映奈えいな先輩〜。やっと追いついたぁ〜。……そこで何をしてるんです?」


全くもって情けない姿のままな兄には無関心で、我が妹が夕原さんに問いかける。


だが、よくぞ絶妙なタイミングで来てくれた。


これで有耶無耶うやむやのまま開放してもらえるかも知れないぞ。


僕の脳内に希望の光が差し込んだが、夕原さんはどこ吹く風だ。


「美咲ちゃん、私ちょっと春田くんとお話があったのよ」


「こんな水浸みずびたしなところでですか? でも、お兄と先輩のことを冨樫とがし先生が呼んでいましたよ? 職員室まで来るようにって」


「えっ? そうなの? 私達に何の用かしら」


「あと、さっき美術部の結城ゆうき先生も来てました」


「そっか……うちの顧問、やっと来てくれたのか。っていうか、遅えよっ……」


三人三様の台詞せりふが交差する。


そして、夕原さんからもう一つの質問が。


「それよりも、あとひとつ。結城先生と貴方とは、どういう関係なのかしら?」


これが最重要の質問で、キッチリ白状しなければ開放しないと彼女は言った。





 ……そうだった。


元はと言えばうちの顧問が原因で、僕達イザコザの最中だったよ。


刺股さすまた君、お願いだからこれ以上は僕の胸元をグリグリしないでほしいかな。


壁にミシミシ押し付けられちゃっててさ……じつはね、ちょっと苦しいんだよ。




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