第14話 死後も伝わる体温


「あ、来た来た。ちょっと先に行きすぎちゃってたかな」

「遅いよー二人とも! ウチら暇すぎてしりとりしてたぐらいだよー」


 再び走り始めて五分ほど。人気の無い公園の前でくつろぐエミリとヨウスケがいた。


 そして二人の足下には、真っ直ぐに背中を伸ばして座る野良がジッと待っている。

 そこへエミリが手を伸ばしたが、また、見事に避けられてしまう。


「さっきからずっとこーなんだよ? 意味不じゃね?」

「僕も撫でようとしたけど、同じ結果。どこかが痛いとかっていう理由ではなさそうだし、何でだと思う?」


エミリの手から逃げたネコへ、今度はイツキが手を伸ばす。だが、ネコはその手からも逃げていく。


「……さあ? 俺には全く」


 ヨウスケは首をかしげながら野良へと視線を向けた。しかし、エミリとイツキの視線は野良ではなくヨウスケの手に集まる。


 その視線が向けられた理由に気づいたヨウスケは、バッと手を引っ込める。


「あらら~? もしかして、ミヤビちゃん。もしかして~?」


 ニヤニヤとした顔でミヤビに近づいたエミリは、楽しげだった。女子はそういった浮いた話が好きで、クラスの女子もそう言えばガールズトークと言いながら話しているのを盗み聞きしたな、と思い出した。恋愛とは遠いところにいたヨウスケには、そんな話を振られることもなかったから、とっさに体を固くした。


 真っ赤になったミヤビに、エミリは何かを囁いている。結ばれた手から関係性を想像していたようだ。


「いやぁ……ヨウスケくんも、青春してるね。うん、いいと思うよ。僕はいつでも応援するからね」

「そ、そういうことじゃ! ちがくて!」

「またまた~。隠さなくていいよ~。素敵な恋愛じゃないかな?」

「そ、そんなことっ! それよりっ、イツキさんたちの方が。二人の方がいいカップルに見えますからね!」


 恥ずかしさを隠すように、イツキへと話を振る。しかし、イツキの反応は思っていたものと違った。


 もっと恥ずかしそうに、照れると思っていたのだ。だが、イツキは眉を下げ、顔をポリポリと書きながら作り笑いをして見せた。


「ははっ。そう、見えるなら。それなら僕たちは上手くやれてたってことかな?」


 明らかに何かを隠している。それが気になってしまう。でも深く聞くことは出来なかった。

 少し暗くなってしまった空気。

 ヨウスケの顔の火照りもすっかり冷めた。


「みゃあっ!」


まずい空気を断ち切ったのは、野良だった。

 今まで静かに座っていた。しかし今は、早くしろと言わんばかりに、強く大きく鳴く。その声で、歩みを止めていたヨウスケたちは、野良の後に続くように歩きはじめる。


 正直この鳴き声は、助かったと安堵していた。

 言ってはいけないことを言ったとは認識していない。何も悪いことは言っていないと思っていたが、イツキにとって地雷だったのではないか。イツキに変なことを言ってしまったのではないかと思ったが、そこで何かを言える空気ではなかったからだ。


 鳴き声は、この変な空気をがらりと変えるほどの効果はなかったが、行動するきっかけになった。

 今度は寄り道も、立ち止まることもせずに歩く。その間に他愛もない会話を繰り広げる。


「イツキってば、頭カチコチなんだよー。マジ石頭。物理的にも石頭だし」

「物理的……ってどういうことですか?」

「えっとねー、めちゃくちゃ固い。頭突きされたら、こっちがたんこぶできても、イツキにはできない」

「ええ?」


 突然エミリがイツキの情報を暴露していく。ミヤビはそれに驚いているが、大した内容でもないのでヨウスケは右から左へと流していた。


「ちなみにエミリはね、石頭じゃないけど、頭がニワトリだよ」

「はい? それはまたどういう意味ですか?」

「ニワトリの頭ってしらない? 三歩歩いたら忘れるってことだよ」

「うわー、イツキひっどーい。やられたら倍返しどころか、半殺しってぐらいにえぐってくるんですけど。ウケる」

「ぶはっ!」


 休み時間に友人と話しているかのような会話を聞いているだけでも、気持ちが和らいだ。


 会話をしながら本来の目的地である、結婚式場近くへとやってきた。

 それは商店街を抜けた先にある真っ白のチャペルが特徴で、周辺には調えられた草木が茂る。五月というだけあって、緑が多い。


 ヨウスケがここへやってきたときは、秋だった。色鮮やかな木の葉もとても綺麗であった。季節も時刻も違えど、今もなお、美しいこの場所。ここで様々な人が幸せな時間を過ごしたのだと思うと、なんだかあたたかな気持ちになった。


 そんな式場の門は、固く閉ざされている。そこで、野良は足を止めた。


「さっすが、野良ちゃーん! 道案内ありがとう! マジ神だわ」


 式場についたときには、既に日は傾きもうすぐ沈もうとしている。わずかに雲の隙間から漏れ出たオレンジ色の光がチャペルを照らしていた。


「凄い綺麗な場所ですね! 明るかったらもっと素敵なんですよね! 私、結婚式場なんて行ったことないし、どうなっているのかすごい楽しみです……!」

「マジヤバいよね。ウキウキする。ちょーヤバい……。ちょ、早く行こ?」


 門の隙間から覗き、はしゃぐミヤビとエミリ。そして例にもよって、門をすり抜けようとしたとき――


「ん? 野良? ちょ! ちょっと待って!」


 ヨウスケも中へと進もうとした。しかしその時に、わずかな違和感があった。

 何だろうと振り返ったとき、そこには背中を伸ばして座る野良の体が透けていた。

 慌てて駆け寄り、何事かと触れようとする。今度は撫でようとするヨウスケの手に、頭をスリスリと寄せてくる。


 それはまるで甘えたりない、もっと遊んでほしい。そんな行動でもあり、ヨウスケの手をペロッと舐める。ざらざらとしたネコの舌。今まで舐めてくることはほとんどなかったため、余計に不安が募ってきた。


「触れる……触れるけど、なんでお前、体が透けてるんだよ……?」


 確かに野良に触れれば、フワフワした毛の感触がある。しかし、視覚情報では、体が透けて、後ろの景色が見えている。


 訳の分からない状況に、ヨウスケはパニックに陥る。


 なぜ。

 どうして。

 何がどうなって。


 混乱した頭で、なで続ける。

 だが、野良の透過度はドンドン増していく。それに比例して、小さな光の粒が野良の体から放たれていた。


「消えるのか……? 俺をずっと慰めてくれていたお前が? 今?」


 死を受け入れられずに泣きじゃくったとき、野良が傍にいてくれた。

 虫のたかる自分の遺体を見せて、死んでいるのだと教えてくれた。

 過去に助けたお礼なのか、その後もずっと傍にいてくれたおかげで、ヨウスケは自分を保っていられたと言っても過言ではない。


 野良がいなければ、ミヤビと話すきっかけもなく、すれ違っていたかもしれない。


 最初から一緒にいてくれたから。

 ずっと今まで自分を支えてくれた存在が、今、目の前で消えてしまう。

 これ以上何もなくしたくないヨウスケは、両手で野良を抱き上げた。


「行かないでくれよ……」


 そんなヨウスケの声も空しく、みるみるうちに光の粒子が現れる。

 何をしても止められないその現象に、ヨウスケの目から熱いものが今にもこぼれそうになっていた。


「ヨウスケさん……」


 ミヤビの小さな声。それを聞き流し、抱きしめた野良は弱々しく「みゃおん」と鳴いた。


「俺は、お前に助けて貰ってばっかりだな。お前がいたから、俺はここにいる。来世は……来世はもっといい生活をしろよ、野良」

「みゃ」


 グルグルと喉を鳴らしながら、ヨウスケの顔に額をスリスリと付けたと同時に、体が全て光の粒となり、消えていった。

 抱いていたはずの質量がなくなり、ヨウスケの手が宙に残される。


「逢魔が時。七日後のその時間に、空に消えていく……ってことなのかもしれないね」


 ぼそっと呟いたイツキの声は、低く落ち着いていた。

 ヨウスケはなんでそんな冷静にいられるのか不思議だった。

 自分たちがいつかこうなるのだから、怖くないのか、と。

 でも、あれこれ言う元気も、気力もない。

 これが最期なのだと、自分もこうなるのだと思ったら、余計に消えたくない気持ちが溢れてく。


「イツキー。おーまがとき? ってなに?」


 空気を読まない発言、いや、ここでは空気を敢えて読まなかった発言はエミリのもの。言葉の意味が分からなかったので、イツキに問いかけたのだ。


 ヨウスケ自身もよくわかっていない。ミヤビの表情は悲しいままだから、既知であるのかどうかはうかがい知れない。


「逢魔が時。逢うに魔王の魔って書くんだ。昼と夜の間のことだよ。魔……つまり、妖怪や幽霊に会いそうな時間のこと。ほら、あっちこっちで、光が見える」


 悲しみに暮れたまま、顔を上げて辺りをキョロキョロと見渡すと、様々な場所で光の粒が見えた。

 その景色はあまりにも幻想的で、どうして今まで気づかなかったのだろうと思うほどの光景で、思わず見とれしまうほどでもあった。


 周りに見とれたのもつかの間、現実に戻される。

 漢字の通りの意味をもつ時刻――逢魔が時。

 その時刻になると、死後七日を迎えた者たちが消滅する。


 消滅したら、後は何も残らない。

 何も残せない。


「野良ちゃん、すごく満足したようなお顔でした。きっと、ヨウスケさんのお手伝いしたかったんですね」

「え?」


 天を仰ぐミヤビの言葉に思わず聞き返す。

 何をどう見て満足したのかわからなかった。それを察してか、ミヤビは答えてくれた。

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