1日目

第3話 疑問の果てに


「うんんっ……なんだ、もう朝かぁ?」


 ちゅんちゅんと可愛くスズメが鳴く小さな声が聞こえ、ヨウスケは重たい瞼を開ける。

 濁った視界をクリアにするために、何度もゴシゴシと目をこすれば、やっと鮮明な世界が見えた。


 しかしそこに広がっているのは毎日過ごして見慣れた自室の天井……ではなく、さんさんと眩しく輝く太陽と、雲一つないきれいな青い空。そこを気持ちよさそうに鳥が飛んでいる。


 明らかに普段と違う寝起き。起きてすぐにここまでまぶしさと澄んだ空気を吸った覚えはない。


 あまりにも眩しい光に思わず目をぎゅっと細める。そして何度も目を強くこすっては、あたりの明るさに目を慣らしつつ、頭を覚醒させた。


 目覚めから覚醒まで、わずか数秒。記憶の中ではまだ夜だったのに、いつの間にか朝になっていることに気づき、慌てて体を起こす。


 太陽が輝く時間。それは日の出から時間が経っていることを示している。

 いつもなら、ほんのり暗い時間に起きてランニングをして、学校へ向かう準備をしていた。部活がない休みの日でさえ、その習慣があるから同じ時刻に起床している。


 だからこんな太陽が昇っている時間に起きるということは記憶の限りはない。


 時計を使ってまで、ヨウスケは正確な時間を確認することはしなかった。ただ、このままでは七時半から始まる朝練習に間に合わない、そう直感で感じ取った。


「やべっ、朝練っ……え?」


 学校へ行かなきゃ、と上体を起こす。そしてさっきまでどこかで気づいていた違和感の原因を理解した。


 その違和感は、ヨウスケが寝ていた場所に起因する。


 なぜならそこは馴染んだ自分の部屋のベッド――ではなかったのだ。


 揺れるとキイキイと音を立てている錆が目立ち、色もあせたブランコ。同じように塗装が剥げてしまったシーソー。


 銀色ではなく、汚れや錆で茶色になってしまった鉄棒。

 そして一羽のカラスがとまっている銀色のジャングルジム。


 どれもこれも、小さい頃に遊んだことのある遊具が並んでいる。


「うわ、懐かしーなーって、なんで俺はここに?」


 そこは小学生までよく来ていた近所の公園だったのだ。

 さらに、ヨウスケが寝ていたのは公園のベンチではなく、その後ろにある大きな木の根元だった。木を見上げると、上の方に鳥の巣のようなものが見えた。


 学校と家の間にあるこの公園。

 もしかしたら帰る途中に疲れてここで寝てしまったのだろうか。

 家に帰らず、外で夜を越したなら、家族が心配しているかもしれない。


 そのような考えが一瞬浮かんだものの、家に帰ったり、家族に連絡をしたりするよりも先に、部活に行かなきゃという気持ちが勝った。

 パタパタと着ていた制服の砂埃を軽くはたき落とすと、荷物を持って急ぎ足で学校へ向かう。


「やっべえ、やっべえ。無断欠席なんて、めちゃくちゃ怒られるじゃん。コーチにも怒られるし、親にも怒られる。謝る人がどんどん増えるってーの」


 公園から出て、走って学校へ。

 歩いて行こうとすれば、二十分は余裕でかかる距離。だけど、走れば十分かからないぐらいで着くと見込んだ。


 部活のための練習着や日中の授業に必要な教科書は忘れるわけにはいかない。

 それらが入った荷物を斜めにかけ、走りにくいのを我慢しながら、スタートする。


 仕事に向かうのであろうスーツ姿の男性。子供を幼稚園へ送るのか、ベビーカーと大きな荷物を持った女性。散歩中なのかゆっくりと歩く老人。多種多様な住民の横を駆け抜け、走り続けると、ゆっくりと歩く同じ制服を着た学生を見かけた。


 自分と同じ制服、そして見た事のあるリュックや歩き方からして、ヨウスケのクラスメイトであることがわかった。


「よう、おはよっ! 遅刻すんなよな!」


 追い越しざま、軽く挨拶をする。部活でもそうだが、自分自身の声はよく通る方だと思っていた。


 だが、クラスメイトはそんなヨウスケの声に気づかなかったのか、ただまっすぐ前を見て無言で歩く。


 変なの、と思った。


 周囲がうるさいわけではないし、距離が離れていたわけでもない。それなのに聞き取れないなんてことがあるだろうか。


 不思議に思うも、何か聞こえなかった理由があるかもしれない。


 もしかしたら、髪の毛に隠れていてわからなかったけどワイヤレスのイヤホンでもして大きな音で音楽を聞いていたのかもしれない、ということにして、そのまま学校へ向けて走り続けた。


 サッカーはポジションにもよるが、試合中に走り続けている。

 だから体力、持久力がある人が多い。


 ヨウスケも体力には自信があった。だが、いくら自身があっても、全力で十分も走り続ければ人間である以上、息も切れるし疲れが出る。

 しかし、今はどれだけ走っても不思議と息が切れることもなく、最初からずっと同じスピードで学校にたどり着いた。


 校門に入った時の時刻は八時二十五分。

 とっくに朝練習は終わっていた。

 何故部活に来なかったのかと、後でハヤトにも、顧問にも怒られることを覚悟する。


 朝のホームルームが八時半からなので、ギリギリの時刻だった。

 きっと追い越したあのクラスメイトは、ホームルームに間に合わないと悟って、ゆっくりと歩いていたのだろう。気の毒ではあるが、ヨウスケにはどうすることもできない。


 慣れた下駄箱で慌てて履き替えながら、教室に入ったときには八時二十八分。本当に遅刻ギリギリであった。


 教室後方のヨウスケの席には、他のクラスの女子が遊びに来て座っていた。

 ヨウスケが来たのとほぼ同じタイミングで、担任の教師がやってきたため、女子は慌てて自分の教室へと帰っていく。


 空いた自分の席へ座り、間に合ったことに安心してふぅと息を吐く。同時に担任も大きく、そしてゆっくりと息を吐いてから口を開いた。


「えー……チャイムももうすぐなるだろうし、大切なことがあるからホームルームを早く始めるぞ」


 えー早すぎる、というブーイングをしながらも、談笑していたクラスメイトたちはしぶしぶ自分たちの席へと向かう。

 やっとのことで全員が席に着くと、廊下に近いヨウスケの席から、昨日喧嘩して謝りたかった窓際に座るハヤトがうつむきつつ、手元のスマートフォンを見ている様子がちらっと見えた。


「はいはい、静かに静かに。本当に……重大なことなんだから」


 明らかにいつもと違う担任の声。

 体育教師である担任は、生徒指導担当を請け負っており、普段から厳しく、そして怖い。

 そんな担任が、だんだんと声が小さく、弱くなっていった。


 その変化に敏感に気づいたクラスメイトは、一気にサッと静かになる。

 そしてその沈黙を破るように、ホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り響いた。


「あの……先生?」


 担任はチャイムが完全に消えるまで待った。そして静かに目じりから透明な液体が流れ落ちる。

 今まで見た事のない様子に、誰かが心配そうに声をかけたのだった。


「悪い……。その、重大なことっていうのは、だな……」


 もったいぶったような言い方をしたくてしているのではなく、必死にこらえて絞り出した言葉。

 零れ落ちる涙を持ってきたタオルでぬぐいながら、震える声を絞り出す。


「このクラスの……今までずっと一緒に過ごして、きた、大切なクラスメイトの……巻田が……」


 このクラスに、「巻田」という苗字はヨウスケだけ。

 突然自分の名前が挙げられ、ヨウスケの心臓が強く音を立てる。


 なぜ自分の名前が? 


 何か話題になるようなことはないかと記憶をたどる。でも思い当たることと言えば、ハヤトとの喧嘩しかなかった。

 友人と喧嘩したことがそんなに悪いと、大事になるだろうか。

 担任が何を言おうとしているのかわからず、緊張しながら言葉の続きを待つ。


「巻田ヨウスケくんが。昨日、亡くなりました」


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