カリカリ油揚げのシーザーサラダ 4

 バターが乗った厚切りトーストも、奈央人がホームベーカリーで自ら焼いたものだ。

 そのホームベーカリーは瑤子が会社の忘年会のビンゴで当てたものだが、長いこと放ったらかしにされていて、ようやく日の目を見ることとなった。

 一見何の変哲もない料理に、奈央人はこうやって少しずつ自分の色を足す。だからこそ、彼が作る料理は美味しい。味わえば味わうほど、心までとろける。

 大好物が入ったサラダと、自家製ハーブが振りかかったムニエル。そして焼きたての手作りパン。

 すべてをしっかりと味わい、瑤子はフォークを置いた。

「ごちそうさまでした」

 目の前では、奈央人も同じように綺麗になった皿の前で手を合わせている。

 しばらくすると、きつね色の癖っ毛がふわりと揺れた。

「瑤子、俺……今日は仕事を見つけてこようと思うんだ」

 薄茶色の瞳にまっすぐ見つめられ、瑤子は少し息を呑む。

「えっ……」

「一緒に暮らし始めてもう一か月経つからね。瑤子には世話になりっぱなしだし、俺、そろそろ……」

「私、お世話なんかしてないよ! 寝る場所を提供してるだけ。奈央人はご飯も作ってくれるし!」

 奈央人の声を遮って、瑤子は首を横に振った。

『俺、そろそろ……』

 あとに続く言葉なんて聞きたくない。

 それはきっと、この日々に終わりを告げる一言だ。奈央人は、この家から出ていこうとしている。

 唐突に始まった二人暮らし。しかも狭い1Kでは、寝る場所さえ確保し辛い。着替えるときは一人ずつバスルームに籠もるしかなく、不便極まりなかった。口にこそ出さないが、お互いがあちこち、少しずつ無理を重ねている。

 それでも、瑤子は楽しかった。

 すでに、奈央人の作る料理がなければ生きていけない。疲れて帰ってきたとき「お帰り」と迎えてくれる声や、何も言ってないのに瑤子の好みを知っていてくれる優しさ……。呑気な奈央人を見ていると、自分まで笑顔になる。

 一緒に暮らしたのはたった一か月だが、その日々は今までで一番、愛おしかった。

 奈央人をもっと見ていたい。まだまだ、いろいろな話がしたい。毎朝声を揃えて「いただきます」と言いたい。

 つまり――

「ありがとう瑤子。でも俺、このままじゃ駄目だと思うんだ。暮らしていくには、やっぱりお金がいるだろ? 瑤子にばかり負担をかけるのは、よくない」

 奈央人はそう言うと、空いた皿を重ねて持ち、立ち上がってキッチンに向かう。

「待って奈央人!」

 瑤子も慌てて奈央人のあとを追った。

 フローリングの部屋からキッチンに足を踏み入れると、ビニールクロスの床がぎしっと軋む。

「私はこのままでいい。負担だなんて、思ったことないよ。奈央人は優しいし、作ってくれるご飯、すごく美味しいし、私……私!」

 思いつく限りの言葉を次々とぶつけた。

 奈央人はそんな瑤子を見て、皿を調理台の端に置いてからやんわりと口を開く。

「俺、そろそろ、しっかりしようと思うんだ。こっちの言葉にも慣れたし。それに――俺には『秘密』もあるしね」

 飛び出した言葉に、瑤子は目を見開く。

 秘密――すなわち、出会った日に、奈央人が打ち明けてくれた彼の『正体』。

 大きな爆弾を抱えたまま、二人は一緒に暮らしていた。それについて、今まで深く話し合ったことはなかった。

 でも……。

「秘密なんてどうでもいい。私、そんなの全然気にしてない!」

「瑤子が気にしなくても、俺は気にするんだよ。このまま一緒にいたら、きっと俺、瑤子に迷惑をかける」

「そんなことない!」

 瑤子は思わず奈央人の方へぐっと身を乗り出した。反対に少し仰け反った奈央人の身体が、調理台の端に触れる。

 そこには空になった白いお皿が二枚、置いてあった。一緒に暮らし始めたばかりの頃、商店街の雑貨屋で買った揃いのデッシュプレートだ。

 奈央人が調理台にぶつかった拍子に、大切な二枚のお皿がぐらりと揺れ、大きく傾く。

(あ――落ちる!)

 そう思ったとき、瑤子は胸の前で手を組み合わせていた。

 次の瞬間、二枚の皿――ではなく、二枚の大きな『葉っぱ』が、ばさりと床に落ちる。

「危なかった……」

 瑤子は胸を撫で下ろしつつ柔らかな葉を拾い上げ、それにふっと息を吹きかけた。

 すると、みるみるうちに緑色の葉っぱが白いお皿へ姿を変える。

「すごいなぁ、瑤子!」

 皿を再び調理台の上に置くと、奈央人がパチパチと拍手した。彼はそのまま丸い瞳を仔ぎつねのように輝かせ、瑤子を見つめる。

「今の『変化へんげの術』だっけ? すごいね! 俺たち人間には、とてもできないよ!」

 落ちそうになったお皿を葉っぱに変えて、また元に戻す。

 確かに奈央人の言う通り、普通の人間にはできない。だが、瑤子にとっては朝飯前だ。……もっとも、朝食はもう食べたが。

「そんなにたいした術じゃないけど……」

 と瑤子が言うと、奈央人はますます目を輝かせた。

「いや、すごいって! やっぱり瑤子は――『あやかし』は、不思議な力を持ってるんだな!」

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