第3話 粟島るいの本気

 粟島るいが、何故そこまで女装に固執するのかがわからない。


 今回の粟島の行動は、普段の彼女を知っている人間からすれば普段の彼女を大きく逸脱している。何度も繰り返すがリーダーシップを張ったり目立つことには消極的なクラスメイトだったのだ。俺も彼女とはクラスが同じというだけで、今日までほとんど話してこなかった。


 それなのになんだ、この目の輝きようは。


「とりあえず試作してみたの。今日はこれを着てみてもらえないかしら」

「仕事が早すぎないか⁉」


 翌日。

 放課後、やはり美術室に呼び出された。もちろん粟島に。本当は部活バスケがあるから無理だと言ったのだが、あと二日しか時間がないんだから仮病でも使って来いと非常に強い口調で言われた。謎の迫力に圧倒され、渋々やってきた先でどこか得意気にお出しされたのが件のメイド服というわけだ。

 俺だって洋服に詳しいわけじゃないが、一日でできるものとは到底思えない。


 しかし、お披露目されたこれはどこからどう見てもきちんと縫製されたメイド服だ。しかも粟島が持つとでかいのがわかる。悔しいが俺用に合わせたのだろう。


「既存のものを改造する形で作ったわ。採寸は昨日したけど、やっぱり実際に来てみないと細かいフィット感はわからないから」


 そういえばあのあと身体のあちこちにメジャーを当てられた。何もせずひたすら直立するのもなかなか難儀なものだった。


「ということで、さあ。早く着替えて」

「……ここでか」

「別に恥ずかしがることではないでしょう?」

「お前にはデリカシーというものがないのか?」


 露出狂の気はないし、一般常識が欠落している訳でもない。少なくとも着替えというものは人前で堂々と誇らしげにやるものではないと教わった。それが男であれ女であれ、何が嬉しくて人前でパンツを晒さなくてはいけないのか。


「霧生くんって、意外とシャイなのね」

「常識的だと言ってくれ」

「私にも常識は備わっているから、そんな酷なことはしないわ」


 どこまで本気だったのかわからない話は、ジョークで一応決着がついた。真顔で着替えを要求してきた粟島の瞳は、かなりガチだったようにも映るが。


 ともあれ、美術室の奥に隣接する美術準備室なる物置小屋で着替えをしてこいと、粟島は俺に件のメイド服を寄越した。布がたっぷり使われたそれは俺が抱えてもなかなかの厚みがある。既製品だと言っていたコスプレ衣装だが、露出の少ないクラシカルなものであることは不幸中の幸いだった。これならふくらはぎくらいまではスカートで隠せそうだ。

 本当、どうしてこうなった。


「どうかしら?」


 外から粟島の催促が聞こえる。とりあえず制服を脱いでメイド服を被るように着た。胴回りはウエストの絞りが解かれ、俺が頭から着てもすとんと落ちるようになっている。それがどう映るのか、正直怖くて鏡なんて見たくもなかった。

 黒地のワンピースの上から白エプロンを着るスタイルで、背面でリボンを結ぶのに難儀した。普段から料理をする人間なら手慣れているのかもしれない。俺が付けているのはフリル付きのエプロンだけども。


 そして困ることがもう一つ。

 ファスナーが背中にあって上げられない。


「その、ファスナーを上げられないんだが」

「あ、背中にあるタイプだったか。ちょっと入るわね」

「おい」


 心の準備を整える時間は一秒も与えられなかった。鍵の掛かっていない美術準備室の扉は無抵抗に開く。制服姿の粟島るいが躊躇せずに入ってきた。何もかもが予定調和のように。

 粟島と目が合う。背中の開いたワンピースと結べていないエプロンの俺はみっともないとしかいいようのない見てくれだ。


 粟島は笑うでも不満にするでもなく、極めて真面目な顔で俺の背中のファスナーを上げる。特に感想はないようだ。身長一七八センチの男子高校生がメイド服を着ているという、どう見ても変質者の極みのようなシチュエーションに対しノーコメントである。まあ、俺も妙なフォローをされるよりはずっといい。


「肩幅はエプロンのフリルで誤魔化せそうね。スカートも裾をたっぷり広げられるから違和感なし。あとはやっぱり、ウエストなのよね」


 粟島が俺をじろじろと眺めながら唸る。そしてメジャーを持ちつつ腰回りを測ったり、実際に布をつまんで絞り具合を確かめているようだった。

 そのまま、ウエストの調整作業に入る。安全ピンでウエストを留めて、「きつくない?」「これだと腰のラインがまだ弱いのよね」と試行錯誤を繰り返す。粟島に対して文句の一つでも垂れてやろうと思っていたのだが、真剣に調整を続けているものだから口を挟むのも野暮だと思い直した。


「……うん。この辺りがいいかしら」


 調整が完了したらしい。安全ピンを外して粟島が言う。


「長時間ありがとう、霧生くん。あとは家で縫ってくるから、明日には衣装の完成よ」

「……なあ」

「何かしら」


 このままノーコメントで終わってもいいが、やっぱり言っておこうと思った。醜態を晒すのは俺自身だからだ。


「鏡を見てないが、多分誰がどう見ても、男の俺がメイド服を着てるだけで似合うには程遠いと思うんだが」

「そうね。だからメイクするんじゃない」

「はっ⁉︎」


 聞いてない、聞いてないんだが⁉︎


「服の目処が立ったから、明日はメイクをしていくわ。放課後、もちろん空けてくれるわよね?」

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