特級怪異襲来

第15話 でっかいお化けみたいな蛸が出たんやって

 楽し気に聞こえる雀の鳴き声に悠の意識が緩やかに覚醒する。


(泥のように眠っていたお陰か、思ったよりもスッキリしているなぁ)


 悠は少々の驚きを覚えながらも着替え、支度を整え、リビングへ向かい、そこで真っ白に燃え尽きている義妹アスカの姿を見つけた。

 『わたしにだって、目玉焼きの一つや二つ!』と息巻いていたものの、結果は炭素化合物が二個誕生しただけだったのだ。


 本当に何かしらの才能はあるのだろう。

 物を燃焼させる炎の魔法とやらが実在するのならと仮定した場合に限定されるだろうが……。


(怪異がいるんだし、何があってもおかしくないから、ないとは言い切れないか)


 そう結論付けたものの結局、いつもの通り、悠が朝食とお弁当を用意することになった。

 光宗家の家事を回しているのは悠なのだ。

 料理だけではなく、炊事・洗濯までも完璧にこなしている。

 アスカが光宗家に迎え入れられてから、二年余りしか経っていない。

 ところが悠は生活能力がまるでないと五年も一緒にいるのだ。

 嫌でも適応能力が高まっていくというものである。




「せやから、ホンマやて」

「昨日の緊急警報は誤報だって、ニュースで……」

「政府の陰謀やな。出たんや」

「で、出たって、まさか?」

「そのまさかやで」


 その日の朝も木田と河本の話し声が教室に木霊する。

 話し声と言ってもほぼ木田が一人で喋っており、その声が大きすぎるだけなのだが。

 ともあれ、この二人は本当に仲が良い。

 このクラスにおいて、朝礼前の木田の一人語りは一種の恒例行事となっていた。


(あれだけ、飽きずにじゃれていられるなんて、ある意味、羨ましいな)


 悠の心に去来するのはついぞ、なかった心を許せる友人が欲しいと羨むものだった。

 自分が望もうとも決して、得られなかったものだとも考えていた。


 やや暗い気分に陥った悠が左隣の席を窺うと百合愛は今日も一人、静かに文庫本を読んでいる。

 昨日はツインテールにまとめていた髪を今日は右サイドにまとめたサイドテールにしている。

 左ではなく、右にしたのは自分を意識しているのだろうか。

 一瞬、そう思った悠だったが、それはないとかぶりを振った。


 そう思いながらも百合愛がちょっと頭を動かしただけで揺れるテールをつい目が追ってしまうのは男の性だろう。

 まるで猫じゃらしで遊ばれている猫の気分だと感じつつも目を離せない。


「でっかいお化けみたいな蛸が出たんやって」

「蛸!? そんなのが出たら、ニュースになるよ」

「だから、情報が統制されてるんやて。ホンマやで。これはワシの中のリトル木田が言うとるんや」


 悠の心の中の葛藤を他所よそに木田の一人舞台は絶好調のようだ。


(彼はきっと、いい役者になれるだろうなぁ)


 大袈裟に身振り手振りを使い、感情豊かに語れる人間はそうそう、いるものではない。

 その点では木田には役者の素質が少なからず、あるのだろう。


(リトル木田は一体、何者なんだろう?)


 悠の頭の中では様々な疑問が浮かんでは消え、また浮かんでくるので軽く混乱を来していた。

 その時、おりから入って来たそよ風が百合愛の髪を軽やかに揺らした。

 思わず、悠は目を離せなくなる。

 百合愛は向けられる熱い視線に気付いていないのだろうか。

 ただ、気怠そうに窓の外の日常風景に目をやっていた。


「陸自が倒したのかな?」

「せや。陸自の秘密兵器が倒したんやて」

「見たかったなー。秘密兵器かー。かっこよかったんだろうなー」

「せ、せやな」

「やっぱ、陸自のAM-08は最高だよね。あのカクカクした見た目! その中から醸し出される実用的で武骨な美しさは人類の生み出した文化の極みだよね! たまらないよね!」

「せ、せやな」


 急に熱く語り始める河本に珍しく、木田が押され始めた。

 河本はミリタリーオタクだったのだ。

 木田の与えた僅かな種火が引火し、予想だにしない大爆発が起きたらしい。

 河本の喋りはとても、止まるとは思えないほどに勢いがいい。

 教室の誰もがそう思っていると、小気味のいい音が木霊した。


「「あいたっ」」

「あんた達はいつまで下らないこと言ってんのよ!」


 いつの間にか、ハリセンを手にした瑞希が仁王立ちしていた。

 彼女のハリセンアタックが決まったことにクラスメイトは胸を撫で下ろす。


 あの大きなハリセンは一体、どこから出てきたのか?

 二人とも自分から、ハリセンに当たりに行っているのではないか?


 クラスメイトはそれを聞いてはいけないお約束だと身を以て、学んでいた。

 触らぬ神に祟りなしである。


 ホームルームの時間が間近になったこともあり、やや静けさを取り戻した教室に悠のざわついていた心も幾分、落ち着きを取り戻していた。

 しかし、平穏な時を終わらせる存在がそろそろ、現れる時間なのだ。


(ヤツだ。ヤツが来るんだ)


「ユ~ウく~んっ」


 それは男の脳を蕩けさせる成分を含んでいると思わせるのに十分な甘ったるい声だった。

 声の主は遠目にも目立つストロベリーブロンドの髪を揺らし、席に着いた勇奈である。

 彼女にとって、ソーシャルディスタンスはあって、ないものらしい。

 席に着くや否や悠の机と自分の机をくっつけると椅子を近付けた。


「分からないことがあって、教えて欲しいんだぁ」


 そう言いながら、勇奈は悠の腕に自らの豊かな双丘を押し付けていた。

 わざとなのか?

 それとも天然なのか?

 実際、勇奈の胸は十六歳という年齢にしては育ちがいい方だった。

 体育で薄着になった彼女がちょっと走っただけで男子生徒の視線を集めてしまうほどだ。

 悠とて、思春期真っ只中の健全な男子である。

 なるべく、周囲と深く関わらないように努めていても魅力的な異性のアピールが気にならない訳ではないのだ。

 意識しないように集中しても腕に当たる柔らかい物体が気になって、仕方ない。


「ねぇ、もっと教えてよぉ」


 しかし、悠にとって、不幸中の幸いなのは左隣のクラスメイトから、名状しがたい強烈な絶対零度の威圧感プレッシャーを受けていることだった。

 それによって、必要以上のスキンシップにもどうにか、理性を保てるのだ。

 代償として、残暑が厳しい九月だというのに肌寒く感じるほどの恐怖を味わっているのだから、幸いと呼べるのかは怪しいところだが……。

 今日も悠の一日はハードなものになりそうだ。




 勇奈の過剰なスキンシップは例え、授業中でも容赦がなかった。

 密着攻撃を仕掛けながら、耳元で息を吹きかけてくるのだから、心の休まる時がない。


 だが、ようやく解放される時がやって来た。

 昼休みである。

 しかし、実は悠の心中では複雑な思いが交錯していた。

 過剰な密着からの解放を嬉しく思うのとやや残念で後ろ髪を引かれる思いとがせめぎ合っていたのだ。


(僕は隠れおっぱい星人なんだろうか。アレは人を惑わせるいけないものだ)


 悠は目にも留まらぬ動きで教室を離れ、目的地である中庭のガゼボへと歩みを進めていた。

 百合愛からの無言の威圧感プレッシャーがなければ、流されるままに今頃、勇奈と仲良くランチになっていただろう。

 そう考えると怖気が今更のように襲ってきて、悠は身震いする。


「さてと。ここなら、見つからないし……」


 中庭のガゼボは目立たない場所に建てられているのと長い年月で劣化が激しく、お世辞にもきれいとは言えない。

 どこか陰気な場所であり、そのせいか、人気がないのだ。


 つまり、人を避けたい者にとっては穴場中の穴場である。

 悠はまず、ここで人と出会うことはないと身をもって学んでいた。


 もしかしたら、ここがどこか別の次元に通じているのではないかと思えるくらいに静けさが漂っている。


「だから、いいんだけどな」


 お弁当を片手にガゼボへと足を運ぼうとした悠の耳に小さな声だが女性の話し声が入ってきた。


「それではお嬢様……」

「ありがとう」


 確かにそう言っているように聞こえた。

 足を止めるのも聞き耳を立てていたように思われて嫌だから、そのまま足を進めた悠はガゼボから出てきた女性とばったり、出くわしてしまった。


 黒髪を肩の辺りで切り揃え、全身をいわゆるメイドドレスに身を包んだ長身の女性だった。

 包み切れないくらいに自己主張している胸に目がいきそうになって、悠ははたと気付いた。

 彼女の瞳が陽光で黄金色に輝く、珍しい色彩を持っていたからだ。


 軽く会釈をして、去っていった女性――年齢は悠とあまり、変わりがないように感じるから、少女なのかもしれない――から目を離し、ガゼボに目をやると優雅にティーカップでお茶を楽しむ同級生の姿があった。


「月影さん?」


 ゆっくりと悠へと視線を向けた百合愛の瞳は心無し、揺蕩たゆたうように力無く、揺れていた。

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