第2話 天宮悠

 天宮 悠あまみや ゆう

 高等学校二年生。

 十六歳のどこにでもいる少年のように見える。


 均整の取れた体格をしており、引き締まった筋肉はアスリートのようだ。

 運動神経も抜きん出ており、助っ人として運動部を手伝うことはあっても決まった部には所属していない。


 やや収まりが悪い猫っ毛の髪は鴉の濡れ羽を思わせる深い闇の色に染まっていた。

 とりたてて整っていないが、人懐っこい印象を与える顔立ちにスクエアタイプの眼鏡を掛けており、掴みどころのない表情をしている。




 彼――天宮 悠あめみや ゆうの記憶はところどころがちぐはぐとしたものだった。

 十六歳ながら、波乱万丈な生き方はさながら、奇々怪々とでも例えられる代物だった。


 幼い頃、悠が住んでいたのは良く言えば、自然が豊かな地方の都市だった。

 陽光に煌めく湖面が印象的な湖には透き通るようにきれいな水が満ちている。

 青々とした草原には色とりどりの花が咲き誇り、まるで天然の花畑のようだった。

 風光明媚という言葉がこれほど、よく似合う地はなかっただろう。


 澄んだ空気が心地良く、どこかのんびりとした雰囲気が漂う。

 異国情緒と言うだけでは説明がつかない不思議な空気はどこか、強い違和感を伴うものだった。

 日本ではないと感じる。

 それどころか、地球なのかも分からない。

 幼い頃の悠の記憶にある思い出の地はそんな場所だった。


 そんな悠のあやふやとした記憶が鮮明になるのは六歳からだった。

 彼には家族がいなかった。

 友人もいなかった。

 いつも一人だった理由はひとえに彼の容貌のせいだろう。

 空のように澄んだ青い目を気味悪がられたのだ。

 どことなく日本人離れした顔立ちに青い瞳の子供の存在が小さな町で話題になるのは当然のことだったのかもしれない。


 だが、年下の子や同年代の子は特に偏見がなく、彼と普通に接していた。

 悠のことを気に入らないと意地悪をするのは決まって、年長の子供達だった。

 理由は単純なものだ。

 彼が満足に言葉を喋れない。

 ただ、それだけである。

 当時の悠は日本語を全く、理解していないとしか、思えない行動をとっていた。

 周りが何を喋っているのかも理解出来なければ、自分の意思を表現することも出来ない。

 そんな状況にあったのだ。


 子供は無垢でありながら、どこまでも残酷な生き物である。

 女の子は無視というていを取って、遠巻きに見るだけだったが、男の子はそうもいかなかった。

 直接的な暴力という手段をもって、異分子というべき少年を排除しようとしたのだ。

 それでも悠は何をされようが、気に留めている様子が見られなかった。

 まるで痛くも痒くもないとでも言わんばかりに平然としている。

 それがまた、いじめっ子を刺激したのかもしれない。


 そして、事件が起きてしまう。

 悠という少年に平凡で普通に生きることは許されないとでも言うべき、痛ましい事件である。

 ちょっと成長が早いのか、体つきが他の子よりも大柄な男の子がいた。

 彼はボス気取りで仕切っており、いわゆるガキ大将のような存在だった。

 彼は元々、悠のことを気に入らなかったのだろう。

 年少の子をいじめる問題児で弱い者いじめが好きな彼にとって、かっこうの獲物と思ったのかもしれない。


 言葉が喋れないのを態度が悪い。

 瞳の色が青いのを気持ちが悪い。

 そう難癖をつけ、殴りかかったのだ。

 『気持ちの悪い目だな。こうしてやる!』と背後から、殴りかかったガキ大将の手には悠を傷つけようと思ったのか、砂遊びに使うスコップが握られていた。

 ちょっと驚かせよう。

 それくらいの気持ちだったのかもしれない。


 だが、次の瞬間、不思議なことが起こった。

 ガキ大将の姿が忽然と消えていた。

 まるで最初から、そこに誰もいなかったかのように消えたのだ。

 何が起きたのか、分からず、悠はただ、震えているだけだった。


 しかし、不思議なのはそれだけではない。

 そんな子は最初から、いなかったとでもいうように日常は進んでいく。

 ガキ大将の存在など、誰も知らなかったように進む日常。

 不思議なことはそれだけではなかった……。

 悠は日本語を普通に喋れるようになっていた。


 小学校に通い始めた悠のことを気にかけていたのが、親代わりのシスターである。

 孤児院を運営しているシスターにとって、彼も面倒を看る子供の一人にすぎないはずだった。

 だが、それだけでは理由が付かないほどに彼女は愛情を注いだようだ。

 瞳の色が原因でいじめられるのならと黒い瞳に偽装が出来るカラーコンタクトを与えた。

 それは気休めに過ぎない物のように見えたが、意外なほどに効果的だった。

 お陰で悠は瞳の色で難癖をつけられることが少なくなった。


 彼はガキ大将が消失した事件以来、悠は他者と必要以上に深く、関わるのが怖くなっていたのだろう。

 出来るだけ、目立たないようにおとなしくしていた悠だったが、ここで予期せぬことが起こってしまった。

 たまたま、通りがかって、見てしまったのだ。

 同級生が上級生によるいわれのない暴力を受けていた。

 出来るだけ、関わらないようにしていた悠だったが、現場に居合わせてしまった以上、彼は見て見ぬふりを出来るような器用な性格ではなかった。


 件の上級生が幼い頃から、格闘技を嗜む手の付けられない暴れ者で有名だったのだ。

 悠は同級生をかばおうとその間に踊り出た結果、と同じことが起きてしまった。

 奇しくも再現してしまったのだ。

 殴りかかった上級生の姿は跡形もなく、消え失せた。

 彼の存在もまた、最初からいなかった者のように扱われる。

 誰もそれを不思議に思わない。


 それが逆に彼は怖かったのだろう。

 人と関わるのをさらに避けるようになったのだ。

 人に何かを頼まれたら、取り繕った笑顔で了承する道化を演じる。

 周囲をそして、自分自身を誤魔化して生きることにした悠だったが、生来のお人好しな面はどうしても消せなかったらしい。

 困っている人がいると、無意識のうちについ手を貸してしまうのだ。

 だから、彼は気付かないうちに同級生からの信頼を得ていたのだが、本人は決して、それに気付かない。


「これで……これでいいんだ」


 自分が我慢すれば、皆が幸せになれる。

 そう信じた少年は勘違いしたまま、成長していくことになる。

 悠が小学校の卒業を迎える頃には感情のこもっていない張り付けたような笑顔を浮かべるのが簡単な芸当になっていた。


 中学生になっても、彼の日常にこれといった変化は訪れていなかった。

 相変わらず、目立たないようにと考えているのについ人助けをしてしまう。

 そうして、その日、その日を生きていた。

 人と出来るだけ関わらないようにしていれば、それで大丈夫だと信じていたからだ。


 その日の朝も悠はいつもと変わりのない日常だった。

 通い慣れた通学路で落とし物をした自分と同じくらいか、少し年上に見える少女が落とし物をしたのだ。

 声を掛けようと彼が思ったその時だった。

 悠の目の前で少女の姿が金色の光に包まれたかと思うと消えてしまったのだ。


「え……?」


 言葉を失い、呆然と立ち尽くす彼は考えた。

 『僕がもし、もう少し早く、声を掛けていたら、彼女を助けられたかもしれない』と。

 そうでなくても何かをしてあげられたかもしれないと考えてしまった彼は自らを責めた。


「君のせいではあるまいよ」


 そんな悠に手を差し伸べたのが悠の養父となる光宗みつむね博士――永遠なる機関エテルネル・モトゥールを発明した光宗みつむね吉行だった。

 光宗みつむね博士はその当時、かなりの高齢だったが、まるで自らの死期を悟ったかのように様々な知識を悠に教えるだけではなく、技を授けた。

 そして、もっと普通に生きられるようにと自らが発明した不思議な『眼鏡』を与えたのだ。

 『眼鏡』のお陰で雨宮悠は自身の影に怯えることがなくなった。

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