第41話 黒船

 ストーンは急いでいた。

上着を羽織はおると、ぼろぼろの階段を駆け下りていく。


「こうしちゃいられねえ、いったい何があるんだ? あの船が来て平穏だったためしなんてないだろ、レントゥめ……!!」


「待ってよ、ストーン。わたしを置いてどこに行くの? こんな朝っぱらから、もぉ……」

追いかけようとしたローゼだが、すぐに姿が見えなくなってあきらめる。ローゼはめずらしく自慢の黒髪をポニーテールにして、エプロン姿。早起きして料理を作っていたので、かなり怒っている。


 かつての都スカーレットブルクにあった下宿で暮らしていたストーンとローゼだったが、その日の朝、二階の窓から海を眺めていたストーンは、食べかけていたパンをくわえたまま、慌てて階段を駆け下りるとそのまま港の方へ走って行ってしまったのだ。


騎竜剣ドラグーンくらい持ってくるべきだったか……」

走りながら考えていたが、武器は手元にあった小さな投げナイフが数本だけだ。防具も籠手こてもなにもない。麻のシャツに作業着のようなズボンだけの格好だ。


「めずらしい船だな。このクラスの船は外国船だ」

目線の先に漆黒の巨大な鉄の塊がゆっくりと浮かんでいた。外洋貿易船のようだ。商船にしては材質が違いすぎる。鉄の船など、あのレントゥの軍艦くらいしかみたことはないとストーンは腑に落ちない様子だ。とでも呼んでおく。


「沖のほうにさらに二隻、いつもは見かけない船だ。ここからは霞んでよくわからないが、さらに大型の船舶である。見るからに軍艦、しかも旗艦クラスの船である。奥側の船はレントゥのもので間違いないだろう。もう一隻のほうも同型艦だな。入港してこない所をみると、ここまでの護衛任務か。……ってことは、このがわけありみたいだ」


 波止場にやって来たストーンは船員たちの隙を伺いながらに近づいた。水筒に封じてある水精霊の力を開放し飛沫しぶきひとつたてずに水中を移動すると首尾よく船倉に忍び込んだ。


「こいつどう見ても戦艦だな、商船のふりをした偽装船というわけか。国籍は消してあるが間違いない、リオニアの船だ。こんな得体のしれないものがよく入港できたな。港の奴らの目は節穴か」


 人の気配がする。そっと覗いて見る。「あの男、ロンディル卿。なぜ、この船から降りて行く? もう密談は済んだ後ってか。ちっ、もう少し早く見に来るべきだったな」


 船に装備されていた小型のボートに乗り移るロンディルの姿を目撃した。港を通らずに、ボートで用水路を抜けて姿をくらますつもりだろう。ボートが離れていく。

「嫌な予感がする。後をつければ何かわかるかもしれないな」

ストーンが甲板からそっと水面に飛び込もうとした矢先、背後から声が掛かった。


「おっと、河童でも迷い混んだか」


「ちっ、気付かれたか」慌てて身を隠そうとするストーン。


 空気を裂く音が三つ聞こえた。たった今、ストーンがひそんでいた物陰に三本の手投げナイフのようなものが突き刺さっていた。ナイフ投げが得意なストーンでもこのように複数本を投げるは難しい。丈夫そうな板が無惨に裂かれている。ダークとよばれる大型の短剣ダガーだ。忍びや船乗りが使うタイプのものではない、あきらかに殺傷を目的とした武器だ。体に喰らっていたら骨も砕かれ内臓を引き裂かれていただろう。


 投げつけた男は、ゆっくりとストーンのほうに近寄ってきた。身につけていた軍用の長く煌びやかな外套は将軍クラスのものだ。

 男はさやから剣を抜いた。とてもゆっくりとした優雅な動きだった。


「遅い!!」ストーンは、男が剣を構えるまでにすでに飛び出すと同時に相手の懐に渾身の右ストレートを叩きこもうと飛び掛って行った。

 だが、次の瞬間、落雷のような衝撃が辺りを襲った。

ストーンは、船の甲板もろとも、轟音とともに引き裂かれたかと思った。

船のすぐ先に大きく水柱が上がった。


「なに。外したか、この白虎水雷剣を」男は信じ難いような表情を浮かべながら自分の手元をみた。しっかりと握られていた刃の先からは、血が滴り落ちていた。


「俺は手加減していなかった。あれで即死を免れるとは、なんという反射神経だ」

水柱の上がったほうに首を向けて、男はつぶやいた。

「追え、逃がすな」


 すると、男の背後に姿を現した軽装の男たちが、すぐさま水面に飛び込んで行った。男たちは飛び込む水の音もさせることなくしなやかに潜った。水面に沈みながら素早く追撃していく様子は、まさに、血に飢えた人食い鮫を思わせた。


 その男、リオニアの軍人で名をティグリスという。リオニア第三軍団を指揮する軍団長だ。ひとよんで、という。この男はまさに虎のように恐ろしい強者で、愛用の剣は虎の怪物を封じ込めて鍛えた魔剣であるという。その剣は一撃でドラゴンをも切り裂く竜殺しの剣ドラゴンスレイヤーとして知られていた。


「追っ手は、五人か、大げさなやつらだ」

負傷した左腕を押さえながら水中をさまようストーン。手は使わず足だけでも器用に泳いだ。陸に向ったとしても逃げ込む先はない。腰に下げていた水袋のフタを口にくわえて開けると、水の精霊を呼び出した。潜水の魔法を使うと海底に向った。


 五人を相手にしても水中戦なら勝てそうな気がしたが、このほうが楽でいい。いくら水泳に長けた追手でもいつまでも潜水は続けられないだろう。深海魚にでもなったつもりでやり過ごした。この辺りはサンゴ礁がきれいだ。旨そうな貝を見つけたので持って帰ることにした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る